ダーカー・ザン・チョコレィト 〜魔法少女の復讐、甘い香りとともに〜

浜能来

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チョコレィト編-修道服を着ているから、修道士なのではない

第四十四話 決別

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 時針塔の頂上、元素魔球が砕け散る。
 元素魔球とは巨大な魔石の複合体だ。火の魔力を四方八方に放射してしまう魔石を組み合わせ、それをさらに、すでに魔力を放出しきった魔石で囲むことで、その巨体の中で火の元素魔力を閉じ込め、互いに共鳴させ、無限に増幅する。定期的に調整さえ加えてやれば、半永久的に魔力を供給する、この王都を囲む結界のエネルギーソース。
 その元素魔球が、泥に塗れた獅子の牙に砕かれた。

 もちろん、太陽と見間違うほどの巨大を全壊させることはできずとも。
 表面を包む外殻としての魔石を飲み込み、そのなかで鮮紅の輝きを放つ火の魔石を削り砕く。がらがらと組み合わさっていた魔石が崩れ、艶やかな赤い実をこぼすザクロのように、火を噴く魔石が時針塔に降り注ぐ。

「いったい何を」

 ヴァンホーテンは、落下した魔石片の起こす土埃にせき込みながら、疑問を口にする。ショコラの意図が読めなかった。

 目くらまし? そのためにわざわざ、元素魔球を壊すだろうか。
 自分の魔法に使うため? いや、彼女に火の元素魔法適正はないはずだ。

 元素魔球を食らうのかと口走った自分がばかばかしい。まがい物の獅子が火の元素魔球を食ったところで。古の魔術書に記された太陽を食らう獅子でさえ、それは記号的な意味しか持たない妄想の産物であるのに。

 ならば。ならば。

「あなたの纏うそれはなんです?」

 土煙の中に人影が見える。小柄な少女の体躯は間違いなくショコラで、その魔力の流れは間違いなく、先ほどまでの泥水のドレスの魔法のはずで。

「なぜあなたの魔法が、火の元素を宿しているのです」

 しかし、その右腕から感じるのは、火の元素だ。赤熱し、ぐつぐつと煮えたぎるその右腕は、確かに熱を発している。

「母の血統? 隔世遺伝? いや、どれもありえない。この貴族社会であり得るはずがない」

 もうもうとした土煙は地に落ちて、転がる魔石がちろちろと火の手を上げる、燎原の景色の中。ショコラが目の前に立っている。自分の理解の及ばないものが、初めてヴァンホーテンの前にある。

「それは、本当に魔法ですか?」

 声が震えた。こんな、否定されるための問いをなぜ自分が問いかけるのかはわからないが、問いかけずにはいられない。

「それは。本当に。私の知る。魔法なんですか?」
「えぇ、そうよ」

 ヴァンホーテンへ見せつけられる、不気味な右腕と。

「これがわたしの、お父さんを殺す魔法よ」

 自分すら焼き尽くす劫火を秘めた、ルビーの瞳。

 ◇◆◇

 右腕が燃えるように熱かった。
 違う。そうじゃない。
 右腕が燃えている。

「なら、その真価を見せてもらいましょう!」

 ヴァンホーテンが気付いていない様子でよかった。不敵に笑ってやろうとも思ったが、ショコラの表情筋は痛みにひきつって動かない。まだ苦痛で顔が歪んでいないだけマシなのだろう。
 だから、取り繕えている今のうちに、勝負を決める必要があった。

 ヴァンホーテンを守るように立つ鋼の獅子の背から、鋼鉄の小鳥が無数に飛び出してくる。十数メートルのこの距離を保ったまま、近づけさせない気だろう。


 それで立ち止まるのは、さっきまでのショコラだ。

「行くわよ、ジェラート」

 右腕に魔力を集中させる。
 彼女は火の元素魔法など使ったことはない。けれど、夢に見るほどに焼き付けられた記憶ならある。クーリ・グラスであったジェラートとの記憶が。

 ぐつぐつと煮えたぎる右腕から、泥水の飛沫が飛び、その一滴一滴が生物を形作る。ぶっ滑降ながら翅をもち、群体を形成する、それは高熱の蜂。

「突撃《シャルジュ》」

 真っ直ぐに走るショコラの露払いとばかり、先行する蜂の群れ。それらは小鳥たちへと特攻をかけるが、高速の突撃は同時に制御を難しくする。柔軟に空を舞い、回避行動をとる小鳥に直撃することはない。
 だが、彼らはその身をささげて女王を守る蜂なのだ。

 彼らはその身の内に隠していた火の元素魔石の赤色を見せた途端、爆発四散し炎熱をまき散らす。元素魔石の一辺が翼の可動部に直撃した一羽が、翼の挙動を崩して墜落し。墜落した一羽に激突してもう一羽が落ちる。
 小さな体の爆発が、混乱を生み、それが小鳥たちを次々と道ずれにしていく。

 ショコラの突進を彩るように、小鳥の死体が降る。

獅子よ!ピエスモンテ

 ヴァンホーテンの声が響く。獅子が口を開き、高まる水の魔力。
 幾条もの高圧水流が、ショコラを四方八方から切り刻まんと迫る。
 右腕の火の元素を強め、蒸発させて防いだ。

 獅子の鬣に紫電が走る。
 轟音。稲妻が宙をかけ、ショコラを襲う。
 地面からせりあがった泥水が、そのすべてを弾き散らす。

 ショコラが盾とした泥水をドレスに吸収しなおすと、その裏から迫る風の一閃。
 彼女の自慢のドレスには傷一つつかない。

 ついに、その鼻先にまで迫ったショコラを、獅子の爪撃が出迎える。右腕で受け止めるショコラ。その爪は彼女の腕と同様に赤熱し、高速で振動し、彼女の掌に食い込もうとしてくる。

「まさか。まさか、その魔法は」

 獅子の足元にいたヴァンホーテンは、この距離まで近づいてやっとショコラの魔法を理解したらしい。

「馬鹿げてる。そんなのはもはや、魔法であって魔法でない」
「そうね。魔法に美学とやらを求めるあなたからすれば、こんなものは魔法でも何でもない」

 狼狽しきった彼をしり目に、ショコラの右腕は熱量を高め、蒼く燃え上がる。

「でも、お父さんを超えることができる。それなら、わたしにとってこれは魔法よ」

 ショコラの魔法は。元素魔球の応用だった。
 元素魔球を食らった獅子≪レガルティオ≫を、再び身に纏う。取り込んだ火の魔石を、石と見立てて土の元素で操り、右腕に閉じ込める。ただ、彼女の右腕というスケールでは、元素魔球のような反射増幅はできないから。
 彼女は今、火の元素に燃料をくべている。それは、彼女の右腕そのものだ。

 自分の腕に食い込もうとしていた獅子の爪を、ぐにぃと押し返す感触。
 ついにショコラの火力が獅子に勝り、その装甲を溶かしている。

 けれど同時に、ショコラの腕にもはや感覚はない。痛みすら感じず、動いているのもきっと、魔法で強制的に動かしているからだ。

 一瞬、スフレの顔が脳裏をよぎる。この火傷を見ただけでもあんな気遣ってくれたスフレが、腕のなくなったわたしを見て、何と言うのか。
 だけど、これだけは譲れない。譲っちゃいけない。

「うあぁぁぁぁっ!」

 蒼い炎が吹き上がる。獅子の前足を溶かしつくす。
 巨大な体躯は体勢を崩し、ショコラの前に差し出される頭部。

 敗北を認める騎士のような。

 懺悔する父親のような。

 その獅子の頭に手をかざし。

「我が夢の化身よ《レオン・デ・フラーメ》」

 ショコラは声を絞り出す。

「撃て《フゥ》!」

 その号令に合わせ、彼女の右腕が流動する。吹き上げていた蒼炎を一挙にその中に収め、再圧縮。獅子の鼻先に、たった一滴の泥水だけが残り。次の瞬間、噴き出した。
 超高温の穂先は装甲など障害としない。すべて溶かして食い破り、獅子の体内に流れ込む物理法則を超越した灼熱の濁流が流れ込む。それはヴァンホーテンの人生を込めたあらゆる機構を蹂躙しつくし、意味のない流体へと還元していった。
 今、彼の頭上で、その魔法の極致が溶融し、血を流すように熔鉄を垂れ流している。もう彼の魔法制御など受け付けない。

「やってくれましたね……」

 ショコラは、ゆらりとこちらに歩いてくるヴァンホーテンを見る。
 もう、取り込んだ火の元素魔石は使い切ってしまった。そしてそれ以上に、もはや彼女の右腕がなかった。跡形もなく焼け落ちた分、腕のなくなった肩口も焼けてふさがっており、出血がないことは幸運。だけれども、覚悟の上とはいえ、自分の右腕がなくなったのを目の当たりにすると、これまでこらえていた痛みや気怠さがよみがえってきてしまう。

「これは、侮辱ですよ」
「……あぁ、そう」

 ぶじょく。侮辱。頭の中で言葉を反芻してようやく理解した。あぁ、あの男は怒っているのだ。
 その後ろで、ついに自立すらできなくなった獅子《ピエスモンテ》が音を立てて崩れ落ち。思わずショコラは目をつむった。その隙に、ヴァンホーテンがショコラの襟首を掴んでいた。

「わたしの人生を表す魔法を、あなたの父の人生すら織り込まれていた魔法を、あなたは侮辱したんですよ!?」
「はぁ? 知らないわよ」
「知らない? 貴方が、貴方がそれを言いますか!」

 力任せに頬を張られ、そのまま地面に投げ出された。地面には自分で砕いた元素魔球の破片が散らばっていて、ドレスごと自分の皮膚が裂ける痛みがあった。いつの間にか、自分の魔法はすべて解けてしまったらしい。ひきつる身体を、庇いながら起こした。見上げたヴァンホーテンは、いつも整っていた金髪を乱している。

「わたしと同類のあなたが、知らない? そんな都合のいい話が許されるわけないでしょう!」
「同類……?」
「えぇ、えぇ! わたしたちは同類です。自分のたどり着きたい場所があって、そのためには何を犠牲にしてもなんとも思わない。そんな、利他的なわたしたちが、同類でなくて何だというのです」
「同類」

 彼の言葉を、ショコラはやけにすんなりと受け入れることができた。だって、彼女は元素魔球を壊していたから。
 あれは、街の人々の生活を守るものだ。そして今や、人々が時間を知るためのものにもなっている。つまりは、人々の平穏な生活の一部にまでなっている。それを、自分が戦争を起こして、思う存分魔法を使いたいから壊そうとしたヴァンホーテンと、お父さんに追いついて、追い抜いて、その鼻を明かすために壊したショコラは、やはり彼の言う通り同類なのだろう。

「そう、同類です。だからわたしは、貴方を許せない」

 ヴァンホーテンの腕が乱暴に伸びてきて、再びショコラの身体を持ち上げる。ショコラは抵抗をしなかった。

 ここで殺されるのもいいかもしれないと思った。
 これまでたくさんの人を傷つけたし。たくさんの人を殺したし。いろんな人に、心配をかけた。
 わたしの復讐はあくまで、わたしの復讐だ。

 目の前のこの男のように、自分のエゴであり、わがままだ。
 作劇や吟遊詩人の語る夢見話のような、正義の復讐なんて言うのは、それこそ夢の世界の話なのだろう。

 わたしは悪い子だ。悪人だ。
 どうせこのまま生きて帰っても、元素魔球を壊した国家反逆者として追われる身となり、なんだかんだお人よしのヌガーは、きっとわたしを助けようとする。そして、悪い子のわたしのために、人生を棒に振る。

 もう十分、わたしは復讐なんて言う悪事のために人を付き合わせた。
 それに、鋼鉄の獅子を打倒した今、復讐は果たされてしまった。

 だから、もういいや。
 ダーカー・ザン・チョコレィト。甘えた考えは捨てなければいけない。そんな世界にわたしは帰って来たのだから。

 ヴァンホーテンが手の中に魔法を構築する。あの、刀身のない剣だ。意趣返しとして、わたしの魔法で私を殺すつもりなのだろう。魔力が流れ、泥水の刀身が作られる。
 その茶色を見て、この人を殺す泥水の魔法を見て、チョコレートみたいといった私を思い出す。

 あぁ、そういえば。

 戦闘のさなかで中断した思考がよみがえる。
 こんなわたしにチョコレートを贈ってくれるような、スフレは。
 わたしが腕を失って帰ったら、あまつさえ、わたしが帰らなかったら。

 一体、何を言うのだろう。

 一体、どんな思いをするのだろう。

 きっと、それはまるで――

「ふっざけるなぁ!」

 ショコラはヴァンホーテンの身体を力いっぱい蹴り飛ばす。予想外の反撃に彼はあっけなくよろめき、ショコラを手放した。機を逃さず、土元素を用いた煙幕を展開。

 魔力はない。体力はない。右腕もない。

 それでも最後の魔力で、彼女はドレスを身に纏う。魔力の過負荷に鼻血が伝う。
 ダーカー・ザン・チョコレィト。
 ダーカー・ザン・チョコレィト。
 甘えは許されない。お父さんもきっと、甘えを許さなかった。

 だからわたしも、あの男に負けるわけにはいかない!

 ショコラは煙幕の中をかける。飛び道具を撃つ余裕などない。肉弾戦のみ。
 左の拳を引き絞れ。唯一残されたわたしの腕を。
 跳躍し、とびかかる。その時、ヴァンホーテンが振り返った。

「いい加減、その猪突猛進にも慣れましたよ!」

 振り下ろされる泥水の剣が、ショコラのドレスに届いた。
 搾りかすみたいな、なけなしの魔力で作ったドレスに、大した防御力は残っていない。彼の剣はやすやすとショコラのドレスを切り裂いて。
 しかし、それだけだった。

「確かあなたが言ったのよね」

 ヴァンホーテンが切ったのは所詮、ショコラが脱ぎ捨てたドレスに過ぎず。

「物理的な魔法の利点は、相手を錯覚させられることだって」

 ショコラはまたも、彼の背後に回り込んでいた。剣を振り切った後のヴァンホーテンは、すぐに振り返ることができない。そのまま、ショコラは彼の身体に触れ。

「オランジェット」

 ショコラの手から、漆黒が流れ出した。泥水はオレンジピールを包むチョコレートのように、ヴァンホーテンの身体を覆い包み、固めていく。

「くそっ。こんな、初歩的な魔法……!」
「どうするの? 五大元素適性があるのはご立派だけど、だからと言って、人の魔法には干渉できないんでしょう、あなた。だってそれができるなら、そもそも戦いになんてならなかったはずだし」
「……っ! なぜです。さっきまで死を受け入れいた貴方が、なぜ!」
「何よ。そんなの決まってるじゃない」

 納得できないと喚くヴァンホーテンに、ショコラは自分の銀髪をかきあげ、風になびかせる。

「わたしが死ぬと、悲しむ人がいるの。そうやって悲しませたら、わたし、お父さんと同じになっちゃうじゃない」

 それが、ショコラがこれから生きる、唯一の理由。
 言い終わると同時、ヴァンホーテンは物言わぬ彫像に変わっていた。別に返事を期待していたわけではなかったが、だからといって、やはり返事がないのは腹立たしくて、ショコラは彼の足を蹴った。人のものではない、硬い感触がした。

「終わった、のね……」

 それが、ショコラにやっと、勝利の実感をもたらした。
 喜びに小さくガッツポーズを作ろうとした途端、足の力がすとんと抜けて、彼女は地面に転がってしまう。やはり、破片がごつごつとして最悪の寝心地だったが。それでも今は喜びが勝る。
 空に手をかざそうとして、右手がなくなっていることを思い出して、左手を空にかざす。その先にある元素魔球は、彼女のつけた傷痕を深く残していて、やはり彼女は勝ったのだ。

「ねぇ、お父さん」

 その勝利を、彼女は左手に握りしめる。

「少しは、後悔した?」
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