隣人、イケメン俳優につき

タタミ

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出会い

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 その日は締め切りに追われていて、俺は朝からずっとイライラしていた。
 ソーシャルゲーム会社から発注を受けたキャラの立ち絵を着彩まで仕上げて納品しなければならないのに、17時時点でまだ線画も終わっていなかった。

「あ~!ダメだ!怒られる!」

 俺がPCを睨みながら描いているのは、誰がどう見ても『イケメンの王子様』という感想以外抱かない立ち絵だ。
 イケメンだろうが萌えキャラだろうがモブおじさんだろうが、依頼された仕事は個人的な感情を抜きにして取り組むのが俺のモットーだった。ドライになり過ぎず踏み込みすぎない仕事ぶりだと、常連の依頼主に言われたことがある。昔は依頼にこだわりすぎて自分の首を絞めていたが、数年仕事をするうちに良くも悪くも距離を置くことを覚えたのだ。
 しかし今回ばかりはキャラデザになかなか納得が行かず、なんだかんだ修正し始めたらイケメンの正解がわからなくなって頭を抱えて数日経っていた。

  ──ピロン。

 PC画面の右端に『立ち絵のご進捗に関しまして』というタイトルのメール通知が出る。発注元の担当者からだ。

清永一太きよながいちた様。いつも大変お世話になっております。ご依頼していた立ち絵のご進捗を伺うべく、ご連絡を差し上げております』

 そこまで読んで、俺はメールを閉じた。追い立てのメールを読んでも立ち絵は仕上がらない。無駄にメンタルを削られるより、とりあえずコーヒーでも飲んで気分転換しよう。
 コーヒーを淹れようと立ち上がったら、着ていたパーカーが引っ掛かって発注資料がデスクから落ちた。「あーあ」と言って資料を拾って、なんとなく設定に目を滑らせる。

 名前:ミカエル・ドルネシア
 職業:ドルネシア国第一王子
 容姿:金髪碧眼の美形
 性格:優しく紳士的

 めちゃくちゃファンタジーな外国人の王子様だ。それなのに『芸能人の例』の欄には『杉崎久遠すぎさきくおん』と書いてあり、端正な顔立ちで微笑む男性の画像が貼ってある。めちゃくちゃ日本人だ。金髪碧眼キャラを作ろうと思って黒髪の杉崎久遠を貼ったということは、発注元は杉崎久遠に似せた立ち絵が欲しいのか?と思ってからキャラデザがブレ始めて今に至っている。
 杉崎久遠のことはこの資料を見るまで存じ上げなかったが、ここ最近人気急上昇中の若手俳優で今年25歳らしい。ここ数日間キャラデザの方向性を探るべく杉崎久遠のことを調べまくっていたので、俺は妙に彼に詳しくなっていた。

    ガシャンッ!

  発注資料をデスクに戻そうとしたとき、隣部屋で何かが割れるような音がした。続けて暴れるような足音が続き、俺は思わず壁に耳を近づけた。

『ふざけんなよ、お前……!……だろ!』
『はぁ!?違……だろ!……んざりだッ……!』

  恐らくふたりの男が言い合っている声だ。
  隣部屋でこんなに物音がするのは初めてで、俺は少し不安になっていた。そもそも隣部屋に人が住んでいたのかというところから、俺は驚いていた。隣部屋から誰かが出てくるところも入っていくところも見たことはなく、今この怒鳴り合いを聞くまで物音すらろくに聞こえてきたことはなかったのだ。

『このッ……!いい加減……ッ』

    ガダンッ!

『クソッ!やめ……!』

    ドンッ!

「……ヤバない?」

 聞いているそばからヒートアップしていく喧嘩に、俺は唇に指を当てて呟いた。
 止めた方がいいだろうか。
 知りもしない男の喧嘩に首を突っ込むのは、正直ハードルがかなりある。俺はイラストレーターなどという不健康な仕事をしているが、趣味の筋トレで一般的なイラストレーターよりは筋力があるとは思う。しかし殴るための筋肉ではなく健康のための筋肉だし、そもそも喧嘩などしたことはないし、喧嘩しそうになったこともないし、ムカついたから喧嘩するという気性は持ち合わせていないし……。
 踏ん切りがつかず壁に耳を当て続けていると『離せッ!やだッて……!』と言う声が涙声になっているように聞こえた。
 気付けば、俺は資料を放り出して玄関を出ていて。

    ──ピンポーン。

 玄関を出た勢いで、隣部屋のチャイムを鳴らす。
廊下まで出てしまうと喧嘩の声は聞こえなくて、もう喧嘩が終わったなら俺は野次馬のウザい奴だと嫌な緊張が流れる。

    ──ピンポン、ピンポン。

 しばらく待ってみたが誰も出てこないので少し急かすようにチャイムを鳴らす。するとカチャリと鍵の開く音がした。

「あ、隣の清永と言う者なんですが……」
「……なんの用ですか?」

 出てきた男は俺よりもかなり背が高い──と言っても俺だって175cmはあるのだが──大柄な男だった。
 年齢は30後半くらいだろうか。顔の造形が濃くてごりごりの不動産営業マンみたいな顔だ。少なくとも俺よりは年上だし、不機嫌そうにしかめられた顔は迫力があって怖い。

「あ、のですね。先程から喧嘩?みたいな音が結構聞こえてきていて……大丈夫ですかね?」

 そんな聞き方でいいのかと自分でも思うくらい弱気な問いになった。

「……あぁ、すみません。ご心配なく」

 口元だけ笑った顔は笑顔なのに怖くて、泣きそうな声を上げていた方の男じゃないなと思った。

「こちらに住んでる方ですか?」

 つい踏み込んでしまうと、男の眉が『めんどくせえな』と言うように上がる。その眉の上がり方がどうにも加害者に見えた。

「まぁ、そうです。もういいですか?」
「あーっと、ちょっと待ってください!できればお相手の方にも話を……」
「警察でもないのに何なんだ、あんた」

 ドアを閉めようとする男がわかりやすくイラつきを見せる。
 普通、隣人が喧嘩を疑ってきたらもう少し弁明しようとしないか?

「警察ではないですけど、トラブルがあったんじゃないかと……」
「ッた、助けて!助けてください!」

 俺がドアノブに手をかけたとき、廊下の奥──リビングに続くであろうドアから男が転がり出てきた。呆気にとられていると、不動産営業マンのような男の方が舌打ちをしてドアを押しやったので俺は押し負けて尻餅をついた。

「俺は帰る。また連絡するからな」

 そう廊下の男に告げると、営業マン面の男は玄関に置いてあった何か──おそらくスマホを掴んで尻餅をついたままの俺を乗り越える。何事もなかったように、すたすたとエレベーターの方に歩き出してしまった。

「あ、ちょっと!あんた何したんですか!」
「いいから!追いかけないでください!」

 逃げられてしまうと思って立ち上がったが、部屋の廊下に立っていた男に腕を掴まれた。

「いや、でもあの人加害者なんじゃ……」

 言いながら男の顔を見て、俺は固まった。
 それは男が鼻血を溢れさせていたことも、唇に血を滲ませていたことも、はだけたシャツから覗く腹に大きなアザがあることも関係していたが、それより何より知った顔だったからだ。

「す、杉崎久遠……!?」
「えっ……うわァ。知ってんですか」

 思わず顔を指差してしまうと、男──杉崎久遠は投げやりな笑みを浮かべながら鼻血を拭った。
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