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盛り塩

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 それは竹原さんからの交換日記だった。
 元々やっていたやり取りの続きではない。最後のページに別物として書いてある。
 思いがけない演出に少し心臓が痛くなった。これは竹原さんが救済会のことを知ってから書いたものだろう。水原から詳しい事情を聞いたあとかもしれない。僕への批判や落胆が書いてあるのではないかと思って緊張したが、それでも竹原さんの筆跡を読まずにはいられなかった。


20××/12/11 担当:たけはら
本願くん、元気にしてる?してるといいなぁ。ちなみに俺は元気!
落ち着いたらまた会おうよ。年内とかどうかな。俺は暇人だからいつでも大丈夫!クリスマスとか特に暇🎄
あと俺の好きな映画、家で暇だったら観て!感想待ってる☺

・シークレット ウインドウ
・ブラック・スワン
・ヤコブへの手紙
・本能寺ホテル
・ブラザーフッド
・デンデラ
・まほろ駅前狂騒曲
・つぐない


 僕は読み終えてハハと笑った。拍子抜けだった。救済会についても僕への批判も何もなかった。
事情を知った上で、この日記をただの雑談で締めくくるなんて。さすが竹原さんは大物だ、心が広い。普通なら僕とはもう関わらないようにするか、無視できないなら宗教関係について色々書くかの2択だろう。
 こんな僕に竹原さんがまた会おうと書いてくれたのが嬉しくて、もう1度頭から読む。スマホさえ手元にあれば今すぐ『会うの、いつにしますか!』と連絡していただろうと思いながら繰り返し日記を眺めるうちに、なんとなく違和感を感じた。

(なんでこの内容を、最後のページに書いたんだろう)

 僕が救済会について書いた次のページに書くのが流れではないのか。そう思って見直すと、内容にも違和感がある気がしてくる。竹原さんは僕が書いた話題について、毎回少し言及してから日記を展開していた。それがこの最終ページにはない。まったく切り離された別物として存在している。
 映画をオススメしたいだけだったとも考えられるが、わざわざわかりにくい場所に書くだろうか。現に今まで僕はこの最終ページの記載に気づいていなかった。
 水原に見られたくなかったから?いや、ただの映画タイトルの羅列だ。水原に見られてまずい内容ではない。父に見られたくなかったから?ノートが見つかれば処分されただろうが、ここに書かれた内容については父も気にしないだろう。それでも最終ページに書いた。ということは、何かこのページに伝えたいことがあるのではないか。手に渡れば確実に読み直すであろう僕に向けた、何かが。
 映画タイトルを眺めて、ふとなぜ縦に並べているのだろうと思った。ページ幅は十分あり、横に並べて書いた方がバランスが良く見える。縦の羅列はノートを無駄に使うだけだ。

「……考えすぎ、かな」

 そこまで考えて、僕はノートから顔を離した。確かに変な部分はあるけど、竹原さんがただ気分で後ろの方のページに書きたかっただけかもしれない。こういうのは大抵思い過ごしだよなと椅子の背もたれに脱力しながらページを眺める。
 3秒ほど眺めて、ハッとした。

(いや、まさか、でも)

 すぐにタイトルを指でなぞる。
 縦に並んだタイトルの頭文字を上から読む。

『シブヤ本ブデまつ』

「……『渋谷本部で待つ』」

 そう読めた。1度そうだと思うと、そうとしか読めなかった。
 なんだ、これ。
 そう、これは。

「竹原さんからの、メッセージ……」

 そう思わざるを得なかった。救済会の本部は渋谷にある。そのことを指しているとしか思えなかった。
 だとしたら、なんだ、どうしたらいい。頭が混乱して、僕は立ち上がっていた。

(いや、落ち着け。簡単なことで、僕が本部に行けばいいだけだ。行くんだよ、本部に)

 これが単なる思い込みだとしても、僕に渋谷へ行かない理由はなかった。日記を書いた竹原さんにメッセージを隠したつもりがなかったとしても、これがまったくの偶然だったとしても、僕は一縷の望みをかけて本部に行かなければならない。誰に言われたからではなく、自分でそう決めた。
 自室での軟禁も、宗教への復帰も、どちらも僕の望んだ生き方ではない。わかっていたけど、僕はまた甘んじて受け入れようとしていた。竹原さんのメッセージはそんな僕の頬を打った。
 僕は、目が覚めたのだ。


本願くん、元気にしてる?してるといいなぁ。ちなみに俺は元気!
落ち着いたらまた会おうよ。年内とかどうかな。俺は暇人だからいつでも大丈夫!クリスマスとか特に暇🎄


 もう1度日記を読み直す。竹原さんの言葉を嚙み締めた。

(年内、クリスマス……)

 ──コンコンコン。

 暗唱するように日記を読んでいると、部屋のドアがノックされた。時計を見ると20時30分ちょうどで、食事を下げに来た世話係の信者だとわかる。
 僕は引き出しにしまっていた顔隠しをつけた。陰陽師のような、よくわからない印が描かれた顔全体を覆う布だ。覡様はむやみにそのご尊顔を晒してはならない、という掟があるためだ。本願家に出入りしている信者はみな僕の素顔を知っている幹部信者だったが、父は掟を守らせることに命をかけているので反抗してもいいことはない。
 こちらから開けないと信者は入ってこないので、ドアを開ける。見慣れた男性信者が一礼をして入ってきた。一言も発さず、小皿に乗った盛り塩を僕に差し出してくる。食事のあとはいつも、塩を口にする決まりだった。食事という穢れを清めるということらしい。この掟を考え出した父は、信者がいない時に好き勝手に好きなものを食べているのだから笑うしかない。
 僕が塩を受け取ると、信者はまっすぐテーブルの上に置かれた食器を取りに行った。いつもは信者が出て行くまでドアのところで待っていたが、今日は聞きたいことがある。僕は塩を舐めてから皿を床に置いた。

「今日は何月何日ですか」
「っ!……は、はい?」

 背後から話しかけると、信者は驚いて食器を落としてしまった。覡様が信者へ言葉をかけることは基本的にないからだ。覡様のお言葉はお布施によって発せられる課金制で、一方信者はむやみに覡様へ話しかけることが禁止されている。僕が実家で喋るときは、ほとんどが独り言だった。

「今日は何月何日ですか、と聞きました。答えてください」
「ほ、本日は12月23日でございます。どうされたのですか、お言葉を発されるなんて──」

 何事だ、と言いたげに顔を引きつらせている信者に、ゆっくり近づく。日本人は有象無象のひとりとして神に祈るのは好きだけど、神に目を付けられたとわかると途端に恐怖する。例にもれず救済会の信者も、ほとんどは僕を物言わぬ偶像として崇めたいだけだ。

「父と──教祖様と話をしたいのですが」

 僕は今にも逃げ出しそうな信者の顔を、捕らえるように覗き込んでそう言った。
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