ある解放奴隷の物語

二水

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第一話 北の進軍

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 ここから始まるのはティウのヨナの冒険譚
 農奴から名もなき冒険者となった小さき勇者
 さあ聞いてくれ、いかにして奴隷は英雄になったのか
   ――吟遊詩人ジーンの歌より



――北のガルダが魔の手に落ちた。
 そんなうわさ話が周辺諸国へ伝播し、それは大陸の隅々まで届いた。
 多くの国がひしめきあう大陸の中でも孤立主義で影の国と呼ばれたガルダは魔物の軍勢を供として各国を侵略、噂が南まで伝わる頃には既に大陸の四分の一をも支配する巨大な帝国と化し時を同じくして疫病の流行や獣の凶暴化、魔物の活性化などの異常な現象が各地で起き始めていた。
 ガルダの侵攻はそれまで保たれていた各国の緊張を一気に高め、そしてこれを機にと動いた小さな国同士はお互いに争いそして滅びていった。

 農奴として売られ育ったヨナは町での農作物の納品を終え三日間の帰路を経てようやく村へ帰りついたと思ったが、そこに村はなかった。ただ瓦礫の山と、日差しに晒され腐り始めている死体の臭いがそこにあった。
 人の死を悲しむべきかそれとも解放されたと喜ぶべきかで迷ったが、ひとまずは帰らない命を嘆くことにし、穴を掘った。田を耕すように穴を掘り続けた。
 日が出る時間いつも働かせてくれた主人を最初に埋め、芋のスープをくれたその妻をその次に埋めた。それからようやくこっそり小さな肉入りのスープを分けてくれた娘を思い出して、探して埋めた。そうやって村人の半分も埋め終わった頃にはすっかり日も暮れ、あたりはしんと静まり返り、時々風に流された死臭が鼻をついた。ようやくそれに気づいたヨナはその場に鍬を放り出し深い眠りについた。

 肌を焼くような暑さで目が覚めた。所々に土盛りがあることでヨナは昨日の出来事が夢ではないことを再実感した。
 それよりも、数名の兵士が不穏な形相でヨナを取り囲んでいることにヨナは驚いた。
「ここで何をしていた」兵士が問う。
「村のみんなを埋めていました」ヨナが答える。
 そうではない、と兵士はあたりの瓦礫の塊や死体を指さした。
「この状況の説明を求めている」
「僕が帰ってきたときにはすでにこうでした」
「お前が村人を皆殺しにしたのではないか?」動揺もなく淡々と答えるヨナを兵士は訝しんでいる。
「いいえ、僕が帰ってきたときにはすでにこうでした」ヨナは再び繰り返した。
 兵士は顔を見合わせると、「だいぶ弱っているのかもしれん」「こんなのを見せられたらな」とひそひそ話し合い始めた。
「兵士さんたちはどうしてここに?」
「納税日を過ぎても来やしないし嘆願にも来やしないのでこちらから出向いた次第だ」
 しかしこの有様ではな、とため息をつく。
「領主様に報告しなければ。お前も来い」
 馬にヨナを乗せたとき、兵士が顔をしかめた。
「お前……すごい臭いだぞ」
 すっかり鼻が慣れてしまったようで感じなかったが、三日三晩歩き続けてそのまま埋葬をし死体の中で寝ていたことを道中で話すと「大変だったな」と一言。
「領主様はお優しい方だ。水浴びをさせてもらうといい。後で残りの村民も丁寧に埋葬しておいてやろう」
 馬に揺られながら、離れていく村を遠目にしてもヨナはそれを名残惜しいとは思わなかった。見知った顔ではあったが、それは自分が人として扱われなかったからだろう。
 領主の屋敷につくころにはやはりすっかり日が暮れていた。
「一人だけ生き残りがいました」
 兵士の報告に領主と思しき男は「ご苦労」と声をかけ、部屋から退出させた。
「ロメル男爵だ。さて、辛いことが続いてるとは思うが、話を聞かせてくれるかね?」
「はい」
 ヨナはロメルに事の次第を説明した。自分が農奴であり、町への納品に行かされて村を留守にしていたこと、帰ってきたらすでに村は全滅していたこと。
 ふぅむ、とロメルは唸った。
「実はいまあちこちから似たような報告があってな。不作が原因でとうとう集団一揆でも起こしたのかと思っていたのだ」
「実りはあまりよくはないですが、そういう話は僕の村では聞いたことがありません」
 そうだろうとも、と領主は頷く。
「一揆ならば村が全滅しているのはおかしい。となればよその者がそれらを皆殺しにしたのだろう。野盗かはたまた魔物か……うむ」
 ヨナには難しい話はわからない。さっさと旅の疲れとこびりついた臭いを洗い流したいというのが現在のヨナの正直なところだった。
「それにしてもひどい臭いだな……うちの水浴び場を使いなさい。その間に食事も用意させよう」
 ロメルが手を叩くと使用人が現れ、「どうぞこちらへ」と手を差し出した。
「しかし僕は奴隷ですからそのような扱いはしていただかなくても」と言いかけたところでロメルはそれを遮った。
「君の主人はもういない。そうだろう?」
「はい、僕が彼らを埋めました」
「それなら君はもう人間だ。そしてティウの最後の領民だ。領民なら私は保護しなければならない」
「……」
領主であるロメル男爵からの事実上のヨナの奴隷解放宣言に対し彼は何も言わず「さ、どうぞ」と使用人に手を引かれその場を後にした。

 スープに入っていない肉を食べるのは初めてだった。それどころか味のあるものというのを食べるのはこれが初めてかもしれない。テーブルに並べられた料理はどれも彩があり、食事は生きるためのものであり、贅沢のうちの一つなのだということをヨナはこのとき初めて知った。
「これからどうするつもりだね?」
 素手で肉を頬張るヨナに対しフォークを使いながらロメルはヨナに尋ねた。
「今更奴隷に戻れとは言わない。必要であればどこかの町に農夫として紹介してもいい。私にできる限りのことなら君に自由な選択を与えたいんだ」
 ヨナは迷った。奴隷の身分から解放されたとはいえ、何をすればいいのか自分にもわからないのだ。食べる手を止め、考える。その間ロメルも食事に手を付けずヨナの回答を待った。
 目の前の食事。初めて食べるものだ。今座っている椅子の座り心地も初めてだ。室内にはやはり見たこともない調度品が並び、使用人たちは嗅いだことのない臭いを漂わせている。それまで着ていたボロは洗濯に回され、今着ている服の肌触りは柔らかい。あたりを見渡すとそれは市場でも見たことがないようなものに溢れていて、どれもが新鮮にヨナを刺激した。
「冒険に行きたい」
 まとまらない思考よりも先にその言葉が口から出た。
 ほう、とロメルは頷く。
「身分だけではなく領地からも自由を求めると……うむ」
「僕はただ、僕の知らないものを見てみたいです」
「魔物に襲われるやもしれんぞ。野盗に襲われるかもしれんし戦争に巻き込まれるかもしれん。そんなことに自由になった身を無碍にするのか?」
 私兵を抱える貴族であればそれはただの蛮勇だろう。自分の安全が確保されすでに自由を持ってる身であればわざわざ冒険に出る必要がないのだから。
「僕は一生を奴隷で終えると思っていました。あの長く苦しい思いを続ける死を思うなら僕は自分の見たいものを見て死にます」
「ふむ、奴隷制については私は好かないが法は法だ、これ以上は言うまい。命を捨てる覚悟をせねばならんときは男なら誰にでもあるが……君はまだそれを考えるには早い」
 そう諭すものの、ロメルはヨナの瞳の中に未知を求める光を見た。そしてその興味という欲望は非常に抗いがたいものだということをロメルはよく理解していた。
 ロメルが手を叩くと使用人たちが現れ、一振りの短剣と着替えが一枚、そして少しばかり食べるのには困らない程度の金銀銅貨の詰まった袋をテーブルに置いた。
「私も君くらいの年頃は冒険に出たいと常々思っていた。退屈な領地から抜け出そうと足掻いたが私の立場がそうさせてはくれん」
 少年時代を思い出すように老齢の男爵は目を輝かせた。ああ王都の絢爛たるや。交易品のなんとも珍妙なことか。すべてが目新しく世界というものはかくも広いものなのか。
「ティウの村のヨナよ、いつの日か私の元を再び訪れて旅の話を聞かせてくれ」
それが領地から出る条件だと言うとヨナは頷いた。
「さあ、残りを食べよう。私の夢と、君の旅路に幸あらんことを」

 
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