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第二話 名もなき冒険者
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かくしてヨナの旅は始まった
目の前に次々と現れる未知なる体験に埋もれ彼はまだその運命の始まりを知らない
苦楽の味さえも
――吟遊詩人ジーンの歌より
ロメル男爵に見送られ領地を出たヨナは振り返ることなくその歩みを始めた。草原を抜け、川のせせらぎで喉を潤し、木の実を食べた。持ち物は一振りの短剣と硬貨の袋。そして丸めた着替え一枚。
ほぼ手ぶらとも言える軽装で出で立ったヨナにとって今まで圧し掛かっていた奴隷としての生活がいかに新しい発見を曇らせていたかをはっきりさせた。
空の青さ、水の冷たさ、汗をかいた肌を撫でる風の心地よさ、昼寝時の鳥のさえずり、全てがまるで感じたことのないくらい強烈にヨナを刺激した。独りぼっちではあったが、それは彼の心に孤独感を与えるほどではなかった。
立ち寄った町ではいろいろな話を聞くことができた。どこか遠くの北の国が日に日に勢力を拡大していること、魔物がどこからともなく現れ町や村を襲っていること。巨大な魔物に立ち向かった勇者が帰らぬ人になったこと。知らないくらい遠い場所の話がまるですぐ近所の出来事かのように人々は話していた。町の特産魚料理を食べながら横耳を立てる。
「ここからガルダってどのくらいかかるの?」
ヨナは町民に尋ねてみるが、「うーん……」と考え込んでしまった。
「そうだねえ、歩いて行くなら休まなくても一年以上かかるんじゃないかねえ」
漠然としているが、とても遠いという事だけはわかった。
北のガルダか。いつか行ってみたい、とヨナは思った。なんでもそこは常に凍てつくような寒さに覆われ、日の光も当たらない暗い国であるという。
想像しきれないほどの差異だ。是非行ってみたい。きっと服も生活も違うのだろう。
「そんなところへ行きたいとは物好きだねえ。オススメはしないけどどうしても行くってんなら夜空を見るんだ。一番白く輝く星を目当てに進んでいけばそれが北さ」
麻の縄と小さな腰袋を買って町を出るとそれからヨナは夜が来るたびに空を見上げた。白い星を目指し、時々星と共に寝た。
そんなある夜、虫の鳴き声以外に何か妙な音がするのを感じてヨナは目を開いた。
何か嫌なことがあるときは前触れが起こる。必ずしも起こるとは限らないが起きたときにはヨナはそれに素直に従うようにしていた。
草を踏む音。それは獣を連想させた。
注意深く音のする方を見ると、それはいた。
黒くて大きい、それは野犬か狼か、低い唸り声を上げながらこちらのほうに近付いていた。
静かに短剣へ手を伸ばす。
その時それはすばやく動いた。
「魔物……!」
人や動物を食らい、快楽のためにいたぶり殺すもの。町民はそう言っていた。
目的なくただ動くものを蹂躙するもの、そしてその体は魔力を帯びているとも。
宝石のように妖しく光る眼はしっかりとヨナを見据えている。
最初の一撃を躱し、人一人を丸呑みにできそうな大口を開けたそれを前にヨナは吐き気を堪えた。
逃げるか。
背を向ければきっとそれは追って来るだろう。無防備な背中を爪が襲い、あとは生きたまま餌にされるだろう。
ならば戦うか。
力では到底勝てはしないだろう。慣れない短剣での勝算は限りなく低い。
それでも。ヨナは短剣を構え、次の一撃に備える。
嬉しそうに魔物の目が歪んだ気がした。捕食よりも狩りが好みらしい。
「僕はおまえの餌にはならないよ」
まずは避けることに集中し、再び飛びかかってきた一撃を凌ぐ。
その際になんとか脚を切りつけることに成功し、魔物が体制を崩す。確かに肉を斬った感触が手を伝わる。
往生際が悪いといわんばかりに魔物が唸る。ヨナも気圧されまいとそれを睨みつけ、神経を集中させた。
傷を負った脚をかばったからか魔物の次の一打は先ほどよりも緩慢なものであった。短剣でそれをいなすと再び足を切りつけ、魔物が転倒する。その隙をヨナは逃さなかった。
魔物の喉を刺し、次にやわらかそうな腹を刺した。暴れるそれに抵抗され体のあちこちを引っかかれながらもヨナは剣を振り続け、最後に首を半分ほど裂いたところでようやくそれは動きを止めた。
傷だらけになりながらヨナは魔物の体毛を撫で、それを枕にして再び眠りについた。初めてとはいえ命を奪われるかもしれなかった恐怖とそれを克服した安堵感、そして自らの一つの命を摘み取った感触を手に残しながら。
よく日が照る時間にヨナは起き出し、魔物の死体の足を持ってそれを引き摺って歩き始めた。小さなヨナにとってとても重いそれは歩を鈍らせ、担ごうとしてみたり持ち方を変えてみたがやはり変わらず、解体すべく近くの小川までやっとの思いで運び終えた。
短剣で腹を裂き、どす黒い内臓を素手で掻き出した。途中で昨日の昼から何も食べてないことを思い出し、脚を一本切り落とした。その皮を不器用に剥いで木々を集めて石で火をつけた。少し焦がしてしまったが十分に火が通った魔物の脚はおよそ料理とは言えないものの、自力で木の実や草以外の食物を調達した達成感がヨナを包んだ。
「む……」
俊敏に動く魔物の脚は火を通しても生臭く、そして筋が通っていて固かった。次に焼くときは叩いてから焼いてみよう。そうすれば少しは柔らかくなるかもしれない。
とはいえ、肉の固さも生臭さも空腹の前には障害にならず、すぐにそれを平らげてしまった。
再び解体をし、大人二人分はありそうな魔物の質量は内臓がなくなったおかげでその半分程度になった。これならなんとか運べそうだったので、川の水でどろっとした血が出なくなるまで洗い流す。
「こんなものかな」
これなら体液がつくことはほとんどないだろう。
縄で背中に魔物を括りつけてヨナはうっすら見え始めた白い大きな星を目指して再び歩き始めた。
目の前に次々と現れる未知なる体験に埋もれ彼はまだその運命の始まりを知らない
苦楽の味さえも
――吟遊詩人ジーンの歌より
ロメル男爵に見送られ領地を出たヨナは振り返ることなくその歩みを始めた。草原を抜け、川のせせらぎで喉を潤し、木の実を食べた。持ち物は一振りの短剣と硬貨の袋。そして丸めた着替え一枚。
ほぼ手ぶらとも言える軽装で出で立ったヨナにとって今まで圧し掛かっていた奴隷としての生活がいかに新しい発見を曇らせていたかをはっきりさせた。
空の青さ、水の冷たさ、汗をかいた肌を撫でる風の心地よさ、昼寝時の鳥のさえずり、全てがまるで感じたことのないくらい強烈にヨナを刺激した。独りぼっちではあったが、それは彼の心に孤独感を与えるほどではなかった。
立ち寄った町ではいろいろな話を聞くことができた。どこか遠くの北の国が日に日に勢力を拡大していること、魔物がどこからともなく現れ町や村を襲っていること。巨大な魔物に立ち向かった勇者が帰らぬ人になったこと。知らないくらい遠い場所の話がまるですぐ近所の出来事かのように人々は話していた。町の特産魚料理を食べながら横耳を立てる。
「ここからガルダってどのくらいかかるの?」
ヨナは町民に尋ねてみるが、「うーん……」と考え込んでしまった。
「そうだねえ、歩いて行くなら休まなくても一年以上かかるんじゃないかねえ」
漠然としているが、とても遠いという事だけはわかった。
北のガルダか。いつか行ってみたい、とヨナは思った。なんでもそこは常に凍てつくような寒さに覆われ、日の光も当たらない暗い国であるという。
想像しきれないほどの差異だ。是非行ってみたい。きっと服も生活も違うのだろう。
「そんなところへ行きたいとは物好きだねえ。オススメはしないけどどうしても行くってんなら夜空を見るんだ。一番白く輝く星を目当てに進んでいけばそれが北さ」
麻の縄と小さな腰袋を買って町を出るとそれからヨナは夜が来るたびに空を見上げた。白い星を目指し、時々星と共に寝た。
そんなある夜、虫の鳴き声以外に何か妙な音がするのを感じてヨナは目を開いた。
何か嫌なことがあるときは前触れが起こる。必ずしも起こるとは限らないが起きたときにはヨナはそれに素直に従うようにしていた。
草を踏む音。それは獣を連想させた。
注意深く音のする方を見ると、それはいた。
黒くて大きい、それは野犬か狼か、低い唸り声を上げながらこちらのほうに近付いていた。
静かに短剣へ手を伸ばす。
その時それはすばやく動いた。
「魔物……!」
人や動物を食らい、快楽のためにいたぶり殺すもの。町民はそう言っていた。
目的なくただ動くものを蹂躙するもの、そしてその体は魔力を帯びているとも。
宝石のように妖しく光る眼はしっかりとヨナを見据えている。
最初の一撃を躱し、人一人を丸呑みにできそうな大口を開けたそれを前にヨナは吐き気を堪えた。
逃げるか。
背を向ければきっとそれは追って来るだろう。無防備な背中を爪が襲い、あとは生きたまま餌にされるだろう。
ならば戦うか。
力では到底勝てはしないだろう。慣れない短剣での勝算は限りなく低い。
それでも。ヨナは短剣を構え、次の一撃に備える。
嬉しそうに魔物の目が歪んだ気がした。捕食よりも狩りが好みらしい。
「僕はおまえの餌にはならないよ」
まずは避けることに集中し、再び飛びかかってきた一撃を凌ぐ。
その際になんとか脚を切りつけることに成功し、魔物が体制を崩す。確かに肉を斬った感触が手を伝わる。
往生際が悪いといわんばかりに魔物が唸る。ヨナも気圧されまいとそれを睨みつけ、神経を集中させた。
傷を負った脚をかばったからか魔物の次の一打は先ほどよりも緩慢なものであった。短剣でそれをいなすと再び足を切りつけ、魔物が転倒する。その隙をヨナは逃さなかった。
魔物の喉を刺し、次にやわらかそうな腹を刺した。暴れるそれに抵抗され体のあちこちを引っかかれながらもヨナは剣を振り続け、最後に首を半分ほど裂いたところでようやくそれは動きを止めた。
傷だらけになりながらヨナは魔物の体毛を撫で、それを枕にして再び眠りについた。初めてとはいえ命を奪われるかもしれなかった恐怖とそれを克服した安堵感、そして自らの一つの命を摘み取った感触を手に残しながら。
よく日が照る時間にヨナは起き出し、魔物の死体の足を持ってそれを引き摺って歩き始めた。小さなヨナにとってとても重いそれは歩を鈍らせ、担ごうとしてみたり持ち方を変えてみたがやはり変わらず、解体すべく近くの小川までやっとの思いで運び終えた。
短剣で腹を裂き、どす黒い内臓を素手で掻き出した。途中で昨日の昼から何も食べてないことを思い出し、脚を一本切り落とした。その皮を不器用に剥いで木々を集めて石で火をつけた。少し焦がしてしまったが十分に火が通った魔物の脚はおよそ料理とは言えないものの、自力で木の実や草以外の食物を調達した達成感がヨナを包んだ。
「む……」
俊敏に動く魔物の脚は火を通しても生臭く、そして筋が通っていて固かった。次に焼くときは叩いてから焼いてみよう。そうすれば少しは柔らかくなるかもしれない。
とはいえ、肉の固さも生臭さも空腹の前には障害にならず、すぐにそれを平らげてしまった。
再び解体をし、大人二人分はありそうな魔物の質量は内臓がなくなったおかげでその半分程度になった。これならなんとか運べそうだったので、川の水でどろっとした血が出なくなるまで洗い流す。
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これなら体液がつくことはほとんどないだろう。
縄で背中に魔物を括りつけてヨナはうっすら見え始めた白い大きな星を目指して再び歩き始めた。
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