ある解放奴隷の物語

二水

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第十五話 倦怠な朝に

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 飲みすぎた後っていうのは辛いものだ
 でも世の大人たちはこれが好きだというんだから
 世界っていうのは広いよなあ
   ――吟遊詩人ジーンの歌より


 陽気な朝日でヨナは目を覚ました。
 たっぷりと羽毛の詰まったベッドは軽く、起き上がったヨナの体も羽のように軽くなった気がした。
 早朝だというのに、外では数人の庭師たちが手入れをしている。
 すでに遠くの方では人々が動き始め、いくつもの話し声が重なってざわざわとしていた。
 昨晩の会話の後はよく覚えていない。葡萄酒というものを飲んだせいだろうか、酩酊感を催していた。
「おはようございます……うっ……」
 ノーラがのそりと同じベッドから這い出てきた。彼女も相当に悪酔いをしたらしく、血色が悪く青白くなっている。
「ヨナ君が食事の後に倒れ込んでしまったのでここまでベラさんと運んできたのですが、私もどうやら酔ってしまったようで……」
 二人とも酒を飲んだのは初めてで、なかなか後を引くものなのだということを身をもって知った。ひとくち飲めば口が軽くなり、ふたくち飲めば体が火照り綿の上を歩くような浮遊感に包まれ、三度も盃を傾ける頃にはすっかり眠気に襲われてしまう、まるで妙薬と毒薬を掛け合わせたような代物だった。
「頭が痛い……」
「どうやら私たちはお酒を控えた方がよさそうですね」
 ヨナは頷いた。頷いたときに頭が鉛の錘でも入っているかのようにぐわんと揺られ、さらに頭痛は悪化した。
 はじめての酒の印象は最悪だった。
「今日は冒険者や職人たちの集まる集会場へ行きますが大丈夫ですか?」
 うっぷ、と口元を押さえてノーラが言う。彼女もだいぶ体調が悪そうだ。
「街の様子も見たいし行きたいけど……」
「おはようございます」
 フェルリとベラが部屋へ入ってきて、グロッキーな様子の二人を見て苦笑いをした。
「どうやら二日酔いのようですね。水と薬を持ってきますから飲んでください」
 ベラが薬を取りに部屋を出て、フェルリは傍の椅子に腰かけた。彼女はまるで平気な様子で二人の様子を見ている。
「フェルリさんは平気なんですね」
「お酒の席は多い故、飲み方は心得ています」
 彼女が言うには、酒には適切な飲み方というものがあるらしい。
「ベラさんが持ってくる薬は貴族の間でも飲み過ぎに効くと評判のものです。たくさん水を飲んで半日も休めばよくなりますからそれまではゆっくりしていてください」
 すぐにベラが戻ってきて二人に小さな丸薬を渡した。鼻を近づけなくてもわかる薬草特有の強烈な臭いに二人は顔をしかめた。
「一日中その臭いと付き合いたくなければ噛まずに飲んでくださいね」
 フェルリがけらけらと笑いながら忠告する通りに二人は鼻をつまんで水と共に一気にそれを流し込んだ。
「さ、しばらく休んでてください。お昼過ぎになったらまたお迎えに上がります」
 フェルリとベラは一礼すると部屋から出て行った。
「あのお二方、ずいぶんと慣れてる様子でしたね」
「うん」
「というか私、ヨナ君のベッドで勝手に寝てしまっていたようで……すみません」
 今更自分が何をしたのかに気が付いて頬を赤らめ、ノーラもそそくさと立ち去って行った。ヨナが「別にいいのに」といった声はおそらく彼女には届いていない。

 フェルリは二人が同じベッドから出てくるのを見てしまった。
 自分と大して変わらない年齢であろう少年と、純潔を誓った聖職者である少女がである。
 二回りも年上の婚約者がいる立場で言うのも憚られるが、衝撃を受けてしまった。
冒険というのは危険と隣り合わせ故本能としてそういうものを求めるようになってしまうのだろうか、それとも二人が愛し合っている故なのか。
「おはようございますフェルリ様」
 いつからそこにいたのだろうか、悶々と考え事をしているうちに使用人のベラが背後に立っていた。
「お、おはようございますベラさん」
 動揺を隠そうとするフェルリだったが、果たしてその試みが上手くいっているかは知る由もない。
「ベラさんはウェインズ様とは長いお付き合いなのでしょうか」
 この際なので今後は長い付き合いになるであろうベラのことを知っておくのも悪くないと思い、フェルリは質問した。
「かれこれ五年といったところでしょうか。田舎の家族の面倒も見ていただいて非常に良くしていただいております」
 ベラは両親と五人の兄弟姉妹を養うべく出稼ぎに来たが、その際に行商人として旅をしていたウェインズに出会い商いの手ほどきを受け、拠点の確保が進むと使用人として勤めるようになったそうだ。上流階級の作法や礼儀なども叩き込まれ今では複数の使用人たちをまとめる立場でもある。
「すごいですね……きっと相当の努力をされたのでしょう」
 家柄が物を言うこの世界で成り上がるのはとてつもなく困難な道と言われる。ウェインズ然りベラ然り、彼らが苦難に満ちた経験をしてきたことはフェルリにも容易に想像ができた。そしてその経験から来る確かな人を見る力や先見の明、駆け引きの術は今のフェルリではきっと太刀打ちできるものではないということをわずか一晩で理解した。
嫁に来たという立場ではあるが、身分としてはフェルリの方が当然上である。それはウェインズやベラが彼女を恭しく扱うことからも明らかだ。しかし自分はただ家柄が良く、香りについての勉強をちょっとかじった程度の小娘だとフェルリは自省した。
「以前お手紙のやり取りをされていたとき同封されていた香水を旦那様はたいそう気に入り、王室との会合でもつけていかれました」
 その言葉は暗にフェルリがやっていたことが趣味の延長ではなく、実を結んだ成果物として評価するものであった。
「あの方々に旦那様が塩を贈ったのも、きっと何か感じるものがあったのでしょう。無条件で他人に好意を振りまく方ではありませんから」
 ベラはふっとヨナたちの部屋の方を見る。おそらく彼らもウェインズと近い思想、つまり身分や人種などに惑わされない一人の人としての価値を持っていると判断したのだろう。ベラはヨナたちに対する厚遇をそう解釈していた。
「私は本日の予定の管理がありますゆえ、このあたりで失礼させていただきます」
 ぺこりと一礼するとベラは振り返ることなく歩き去った。
「これは……ウェインズ様の嫁として認められたと思ってもいいのかしら……」
 一人で考えこむフェルリ。彼女のことを知るつもりがいい具合におだてられてしまったような感覚は否めないが、悪い方に考えすぎるのもよくないと思いベラの言葉を素直に受け取ることにした。
 外は燦燦と陽が照り付けている。今日は暑くなりそうだ。
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