ある解放奴隷の物語

二水

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第十七話 奇術師の奇跡

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 それを知らぬ者から見れば
 奇術は魔法に見えるだろう
 しかし魔法に種はない
   ――吟遊詩人ジーンの歌より


 夜更けまで読み書きを勉強したヨナは数字を覚えた。早くその実感を得たいと日の出と同時に寝不足気味でぐずるノーラを叩き起こし、朝食も兼ねて集会場へ行こうと何度も急かした。
「集会場が開くのはもっと遅くですよ……」
 眠い目をこすりながらノーラがぼやく。ヨナの振る舞いはまるでやんちゃ盛りの男の子そのものだ。尤も、それまで危機や関わったことのない立場の人々と関わっていたために忘れがちだが一般的に言えばやんちゃ盛りな年頃ではある。
 冷たい水で顔を洗い、いまだ寝静まっているウェインズ邸を二人は出た。人影がまばらな通りを歩きながら二人は無言で歩く。ほんのりと薄暗い街はとても静かで、生きたまま死んでいるような穏やかさがあった。
「ノーラ」
 噴水のふもとで腰を下ろしてぼんやりしていると、ヨナが不意に彼女の名を呼んだ。
「なんでしょうか、ヨナ君」
 こうして二人で歩くのがとても久しぶりのことのようにノーラは感じた。
 はじめは何をしでかすかわからないと危険視していたが、最近のヨナは以前ほどの寡黙さは薄れ、時々彼の方からも話しかけてくるようになった。
 とくに昨晩の勉強の時間では夢中になれる趣味を見つけたかのように文字をあれこれ聞いてきて、もしもノーラが彼の覚えるべき事柄の整理をしなければ一晩でも二晩でも続けて教える羽目になったかもしれない。
 少しずつではあるがこの少年の心が開きかけている手応えを彼女は感じていた。
「ありがとう」
 唐突な言葉にノーラはきょとんとした。
「えっと……何についてのお礼でしょうか、それは」
「勉強とか……色々」
 ここまでノーラに直接的にお礼を言うことはヨナはあまりなかった。だからこそ、今言っておいた方が良いと直感に従った。勉強のみならず、景色や食事だけではなく人と関わることが大切だということを教えてくれたことに対する感謝の意でもあった。
 ノーラは少し照れた様子で「いえ……こちらこそ」と言うと、顔をそらした。なんだか今は彼に顔を見られるのが恥ずかしい。
「睦み合ってるところ悪いんだけど」
 背後から声がした。
 驚いた二人が振り向くと、そこには派手で珍妙な恰好をした少女が一人立っていた。
「ここ、私が芸をする場所なの」
 そばかすの目立つ顔がじとっと二人を睨みつける。
「あら、これはごめんなさい」
 ノーラは立ち上がると少女に謝った。
「いいのよ、嫌がらせで来たわけじゃないんでしょ」
 その場所に自分の荷物を下ろし、場所取りをする。ずいぶんと重そうだ。
「……何よ」
 少女は数歩引いたところから彼女を見つめるふたつの視線に気づいた。
「芸をするのはもうちょっと後よ」
 期待に満ちた目から露骨に残念そうな表情に変わったのを見て彼女は首を振った。
 芸人というのは多くの人にとっての娯楽だ。ときには人を笑わせ、ときには驚かす。そういう才を持った者たちの多くは旅芸人として行商人の供として長い旅路に癒しを与えたり、大きな街を渡り歩きながら芸をを披露し日銭を得る。
「……仕方ないわね、少しだけよ」
 ヨナ達の視線に耐え切れず少女は小さなきらきらとした石を袋から取り出すと、それを手の中に握り込んだ。
「石の歴史は炎の呼吸とならん」
 俯きながら小さく、それでもはっきりとした声でそう言うと少女は大きく息を吸い込んだ。
 そして唇を突き出しながらその息を勢いよく吐き出した。赤い炎を伴いながら。炎は一瞬風に揺られ、ヨナの頬をかすめ髪を焼いた。
「おお……!」
 目の前で起きた不可思議な現象にヨナは口をあんぐりと開けながら感嘆した。
 そして「もう一回」と再度要求したが、すぐにそれは断られた。
「私だって慈善事業じゃないのよ。それなりの費用かけてるんだから」
 むっと頬をふくらますヨナだったがノーラがそれをなだめた。
「それは魔法……なのでしょうか」
 ノーラの質問にあっさりと「そうよ」と返す少女。
「ある人は魔法、ある人は奇跡の術と呼ぶわね。ある人はペテンとも言うけれど。私は旅芸人をしながら魔法に使う素材を集めてるの」
 二人は魔術師を見るのは初めてであった。もともとの素質を持つ者の少なさゆえにその習得方法は謎が多く、魔法を行使する者が社会に出てくることもまたこの国では多くはなかった。『魔法なんてものはデタラメで人をだます詐術の一つ』と考える人が一定数いるくらいには魔法についての理解は低い。
「どうやったら使えるの?」
 ヨナはそんな魔導士に対する偏見や畏れ多さなどはおかまいなしで少女に質問をぶつけた。
「タダでは教えないわよ。お金か素材をくれるならその素質があるかどうかくらいは教えてあげる」
 うーん、とヨナは荷物を漁った。あれこれと次々に地面に置き始める。
 硬貨の袋、短剣、食糧などを並べて魔物の爪まで置いたところで少女が「待って」とヨナの手を掴んだ。
「それは何?」
「これ?」
 爪を取り上げ少女に見せる。ずっと腰袋に入れっぱなしであったが、それはやはり昨日もいだかのように艶やかな黒色を保っていた。
「僕が殺した魔物の爪」
 ヨナが渡そうとすると彼女はさっと手を引いた。
「見るだけでいい。私は触れない」
「どうして?」
「魔物の素材はたしかに貴重ではあるし魔力を引き出すには十分なものではあるのだけど……今の私では多分扱いきれないと思うから」
 少女はその爪が死んでも尚魔力を宿し続け、意志だけを持つものだとすぐに判別した。
 つまりは肉体の死と引き換えにかけた呪いである。
「生きるものはすべて魔力を持っているわ。多かれ少なかれね。それが特に多い生き物というのが私達魔術師にとっての魔物の定義。そして魔力をほとんど感じられない人間でも、多すぎる魔力を持つものが近づけばそれを察知することはできるの……直感でね」
 ヨナは魔物と出会った瞬間を思い出す。眠っていたとしてもすぐに意識が覚醒するほどの嫌な予感。よく当たる予感ではあったが、それは魔物の持つ魔力に当てられたときにも作用するようだった。
「この爪の持ち主は死んでるけど、爪自身は生きてると言った方がいいかしら。だいたい時間が経てば消えるものだけど、これはまだ魔力が強すぎて私が使おうとしても素直になってくれないと思う」
 だから無用の長物ね、とヨナにそれをしまうよう促した。
「ちょっと話しすぎちゃったかも。ま、いいか。呪いが掛かったままの素材なんてあまり見れないし。もしかしたらその爪はあんたに災いをもたらすかもしれないから扱いには気を付けることね」
 少女は袋からいくつかの宝石を取り出した。
「そろそろ時間よ。向こう数日はこのあたりで『奇術師』として商売してるから見ていくならお金弾んでいって」
 人々の目を楽しませて金を巻き上げる強欲な奇術師。その手品の種は本物の魔法か。
 ノーラはあまり好きになれないタイプだと思いながらも、先ほどの火を噴く演出の余韻からかまだ目を輝かせているヨナを見るとまた関わることになるのだろうという予感がしていた。
「お姉ちゃん、名前は?」
「リタよ、小さなおませさん」
「おませさんって何?」とヨナはノーラの方を見たが彼女は聞こえなかったフリをした。
「僕はヨナ。さっきのすごかったからこれあげる。こんど魔法教えてね」
 ヨナは銀貨を数枚袋から取り出すとリタに握らせた。反射的に受け取ってしまってから彼女はすぐに後悔した。最後の一文を断る前に銀貨を受け取ってしまったことを。
 とはいえ、生活の糧になるお金を今更突き返すわけにもいかず、リタは「……気が向いたらね」と言って自分の鞄に銀貨をしまった。
「おなかすいた。朝ごはん食べに行こう、ノーラ」
 気が付けば空は青み、人々は各々の活動をするべく動き出していた。
「そうですね。行きましょう」
 二人の背中が小さくなっていくのを見届けながらリタは一人で噴水前に座り込む。
「あんな簡単に信じちゃうなんてね。魔法だなんて言っても信じる人のほうが少ないのに」
 宝石に語りかけるように独り言をつぶやく。宝石が日差しを受けてきらりと光った。
「ま、悪い気はしないけど」
 そばかすだらけの鼻をこするとリタは宝石を一つ選んで掌に握り込んだ。
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