ある解放奴隷の物語

二水

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第十八話 依頼を受けて(上)

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 さあ汗を流そう
 誰かのために汗を流そう
 素敵な一杯がご褒美だ
   ――吟遊詩人ジーンの歌より


 二人は食の通り道で熱いスープと焼きたてのパンを食べた。
「おいしいね、これ」
乳を煮込んだスープは濃厚だが臭みがなく、パンを浸して食せば口の中に芳醇な香りが広がった。
「おそらく牛の乳でしょうか。そのまま飲んでもおいしいですよ」
 器に口を付けてノーラはゆっくりと啜った。
 ゆったりとしたひと時。食材屋が採れたばかりの新鮮な野菜や卵を並べて大きな声で呼び込みをしている。
「それで、集会場はそろそろ開いていると思いますが依頼を受けるのですか?」
 ノーラの問いにヨナは「できそうなのがあったらやってみたい」と答えた。
 ヨナが数字は読めても依頼内容を説明するのは自分なんだけどなあとノーラは思いながらも、人のために何かをやってみたいというヨナの希望であればやらせてあげて自分が補助をするのも良いのではないかと特に反対はしなかった。
 銅貨を支払い、席を立つ。
「今払った銅貨の数字はどう書きますか?」
 こう、とヨナがノーラの掌を指でなぞると彼女は「正解です」と彼を褒めた。
遠くで職人たちが金属を一定のリズムで叩いている。目についた野菜の数や道具の値段などの数字を読んだり書いたりしながら歩いているうちに集会場に着いた。
 集会場は先日来た時よりも人が混雑していて、二人は大勢の人の波にもみくちゃにされながらようやく掲示板まで到達した。
「たすけて……」
 小柄なヨナは周りの人の胸くらいまでしか身長がないせいで押しつぶされそうになっていた。ノーラが彼の手を取って助け出し、「離さないでくださいね」と念を押す。
 手をつないだまま二人は掲示板の依頼を見ていく。
「これ銀貨五枚」
「農作物の袋詰めですね」
「これは?白金貨一枚と金貨五十枚」
 どれ、とノーラが手に取った異様なほど高額の依頼書を見ると、達成条件や過程が詳しく書いてあったが途中まで読んだところで「ダメですね、これは」とヨナに返した。
「復讐依頼です。どんな目に遭わせてほしいかが細かく書いてありますが見るに堪えません。こんな依頼を受けたら主はお許しにならないでしょう。そもそも貼り出し禁止ですこんなもの。誰かが勝手に貼ったのでしょうか」
 徐々に殴り書きのように変化していく書体は依頼文を書いている間に怒りが込み上げてきたのだろう。いくら大金とはいえノーラは惨たらしい内容の依頼を遂行する気にはなれなかった。
 ヨナはノーラが嫌がるならとそれを元に戻した。
「これなんかどうでしょう。市場の店番です。一日で銀貨五枚ですが初めてやるならいいと思いますよ。街の人々のことも知れますし」
 依頼書の中からもっとも安全そうなものを選び、ヨナに渡す。
「じゃあこれにしよう」
 二人は依頼書を持って受付に行く。しばらく並んで待ってから、受付の婦人に紙を渡した。
「この依頼を受けたいんですが」
「はいはい、どれどれ……」
婦人はさっと上から依頼書の内容を確認していく。
「あー、鍛冶屋のベンさんのとこね。西の職人街に鍛冶通りってとこがあるから。そこにでっかい鎧飾ってあるところがベンさんの店だよ。詳しいことは本人から聞いてね」
 依頼書を受け取って半分に切って印をつけるとそれを渡し、「はい次」と後ろに並んでいる人を促した。
「あっさりでしたね」
「早速行こう」
 二人は集会所を出ると、鍛冶屋のベンの元に向かった。
 鍛冶通りはその名の通りで、多くの鍛冶屋が太い腕を鳴らしている光景があちこちで見られた。煤や煙が通りにまで広がっておりノーラは少し咳込んだ。
「ちょっとけむたいですね……」
「うん」
 ヨナは服の袖で顔を押さえて鼻から煤が入らないようにしている。周りの男たちはみんな布を顔に巻いて作業をしていた。
「よう、見ねえ顔だな。女子供にゃ似合わねえ場所だぜここは」
 上半身裸の男が二人に声をかけてきた。筋肉隆々の体つきはそのまま剣でも担げば戦場にでも飛んでいけそうだ。
 ヨナは依頼書の切られた半分を男に見せる。
「ベンっていう鍛冶屋を探してるの」
「ん?ああベンの依頼人か。おーいベン!」
 後ろを向いて男が声を上げながら手を振った。鋼材の選定をしていた男が気づいて立ち上がり、ずんずんとこちらに向かってくる。
 目の前の男も大きいが、ベンはさらにその一回りも大きい男だった。
 腕の太さはヨナの顔ほどもあり、背は隣の男よりも頭ふたつはゆうに高い。建物の入り口に頭をぶつけそうなほどだ。そして伸ばした髭は固く、束子のようだ。
「お前さんの依頼を見て来たんだとよ」
 仏頂面のベンは二人をじっと見下ろした。ノーラは二人の筋肉の圧迫感に小さく息を呑んだ。一方ヨナはそんな様子はみじんもなく、「これ」と依頼書を彼に差し出した。
 膝を曲げてそれを確認するとベンは静かに「こっちだ」と先導して歩き始める。
「ありがとうございます」
 ノーラが上半身裸の男にお礼を言うと「いいってことよ」と仕事に戻っていった。
 受付が言っていた通り、ベンの店には彼が着れそうなほどの大きな鎧が店の前に置かれていた。
 てっきりいつも通りろくでもない男が一人で来るだろうと思っていたのでベンは内心で少し困っていた。もしそうであれば椅子に縛り付けて客の応対をさせるなり竈に延々と石を投げ込ませるなり好きにできたのだが。こんな小さな少年と少女をこき使っているのを見られるのは対外的によろしくはないだろう。
 うむむ、と少し唸った後にベンは自分が使っている布の口当てを二人に渡した。
「これ付けろ」
 二人はしっかりとそれを顔に巻く。少し息苦しいがじきに慣れるだろう。
「お前こっち」
 ベンはそっと肩を押してノーラを近くの木箱に座らせた。
「そこ座る。客来たら俺呼ぶ」
 そしてヨナの方を向いて「お前こっち」と指で合図をし、工房内についてくるよう指示した。
 工房内は雑然としており、あちこちに鉄屑や石炭の欠片などが転がっている。轟轟と燃え続ける竈の熱気は肌をじりじりと焼くような熱さで、そこにいるだけでヨナはもう汗をにじませた。
「お前俺の手伝い。まず掃除」
 干し草を編んだ箒と布をヨナに渡した。
 ノーラを看板娘に、ヨナを自分の手伝いとして使うことに決めたようだった。どちらも子供に負担のない程度にしておこうとベンは気を使った。
 ヨナは落ちている大きな塊を拾って端へ寄せ、次に箒であたりを掃いていく。ベンは少しその様子を見ると大丈夫そうだと判断して自分の作業を始めた。
 鋼材を眺め、ときどき叩いたりして選定しているのを横目にヨナは掃除を続ける。
 ぱっと見ればすべて同じに見える鋼材を慎重に慎重に選定し、ベンはようやくそのうちの一つを選んだ。
 太い腕で竈にそれを放り込むと、徐々に鋼が赤みを帯びていく。それを炎をものともせずじっと見続けるベン。ヨナは明るく照らされたそんな彼の横顔が印象的で、指で作った窓でその様子を写し取った。

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