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第三章 ブロンテとルノワール

第三十四話

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「トドメは、電車で痴漢されちゃって。そこからダメになったの。男の人のこと」
「それは……大変だったね」
「うん。……でもね、南君は違ったの。私のことを、そんな目で見ない唯一の人だった」

 それは……俺が普通とは違うからだよ。

「安心できたの。男の人で南君だけが、私を性的な目で見ないから。それが嬉しくて、勝手に懐いちゃった。ごめんね」

 その言葉に、喉にクンと何かが詰まった。

 俺の他とは違う、特殊な性癖。このおかげで、花崎さんは俺と仲良くなってくれたんだ。
 このおかげで、花崎さんに男の友だちができたんだ。

「だからね、私にとって、南君は特別な人。実は『高校で初めてできた友だち』じゃなくて、『人生で初めてできた男の人の友だち』なんだよ」

 不覚にも涙が零れてしまった。その涙は、俺の手を握る花崎さんの腕に落ちる。
 驚いて俺を見た彼女に、慌てて「ごめん」と言って目をこする。

「南君?」
「ちょっと、ごめん。あー」
「ご、ごめん。何か嫌なこと言っちゃった……?」
「ううん。逆。嬉しくて。俺……嬉しくて……」

 彼女になら、話してもいいだろうか。俺の普通ではない、誰にも言えなかったこと。やっぱり気持ち悪がられるかな。嫌われてしまうかな。

 いいや、大丈夫。花崎さんは、大丈夫だ。
 だって俺の、気心知れた友だちなんだから。

「あのさ、花崎さん」
「ん?」
「聞いてくれる?」
「うん。聞くよ」
「笑わない?」
「笑わない」
「俺のこと、嫌いにならない?」
「ならないよ」

 花崎さんはそう言って、優しく俺の手をさすった。落ち着く。彼女の手は、心地いい。

「俺……」
「うん」
「普通の人とは違うくって」
「うん」
「俺、ぽっちゃりした人が好きなんだ」
「……うん?」
「でも、世間で言われるぽっちゃりじゃなくて、世間では太ってるって思われてるようなくらいの体格の人が好きで」

 中途半端な話の切り方をしてしまったが、これ以上のことはさすがに言えない。
 おそるおそる花崎さんを見ると、彼女は「それで?」と、まだ話の続きを待っている様子だった。

「えっと、それで終わり」
「あっ、そうなの?」
「う、うん。……大丈夫? 引いてない?」
「え? 引かないよ。体型の好みなんて人それぞれだし」

 そう言いながら、花崎さんはモジモジして俺に尋ねる。

「じゃあさ、私のことも、太ってるって思わないの?」
「はっ? 花崎さんは太ってないどころか、痩せすぎだよ。あ、いや。それこそ俺の価値観だから、えっと、今のナシで。とにかく花崎さんは全く太ってない」

 俺の言葉に、彼女は照れくさそうににっこり笑う。

「嬉しい。私のこと、細いって思ってくれてるんだ」
「どう見たって細いでしょ」
「えへへ」

 彼女は、細いと言われることが嬉しいらしい。はにかむ彼女は、少女のようにあどけなかった。

「南君は、私の体型とか、顔が好みじゃないのね?」
「いや、花崎さんのことは可愛いと思ってるよ。体型は、まあ……細いなーと思う」
「だから、私のことをいやらしい目で見ないんだ」
「あ、う、うん……。そういう目では見たことないかな。……ちょっと待て、これはこれで失礼か?」
「ううん。嬉しい」

 考え込んでしまった俺に、彼女はほんのり目尻を下げる。
 花崎さんの表情は柔らかくて、何でも受け入れてくれそうな――そう、ママみを感じた。
 そんな彼女に甘えて、今まで隠していたこと、思っていたことを、ポロポロと吐露してしまう俺に、花崎さんは表情だけで相槌を打ち、静かに耳を傾けてくれた。

「――今までずっと、こんなこと誰にも言えなかったし、普通になりたいって思ってた。でも、俺の普通と違う性癖で、俺たちこんなに仲良くなれたんだって思って。嬉しくて」
「私も嬉しい。南君がデブ専で良かった」
「ぽっちゃり好きね」
「はい、ぽっちゃり好きでした」

 俺たちは顔を見合わせてクスクス笑った。
 今でも彼女は俺の手を握っている。俺もその手を握り返した。

 これは、友情の握手。
 この日俺と花崎さんは、もっと深いところで「友だち」になれた気がした。

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