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第三章 ブロンテとルノワール

第三十三話

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 今日の花崎さんは、夏らしい薄手のワンピースを身に付けていた。クリームイエローの生地に、小さな花の刺繍が施されている、上品でフェミニンなその服は、彼女の腕とウェストの細さを際立てている。それに、肌の白さも。

「ちょっと」

 花崎さんが、眉を下げて微かに苦笑いをしている。急に声をかけられて、俺は「んっ!?」とビクついてしまった。

「南君、見すぎ」
「あっ、ごめん!」

 きっと俺はバカみたいな顔で、彼女をジロジロ見ていたのだろう。
 目を伏せて髪に耳をかけ、ほんのり頬を赤らめる彼女につられて、俺まで体温が上がる。慌てて視線を本に戻したが、心臓がバクバクうるさくて集中できない。

 このワンピース、明らかにデートで着るような気合いが入っている服だろ。少なくとも図書館に着て来るようなものじゃない。俺に会うと思って着替えて来たのかな。

 やっぱり花崎さん、俺のことが好きなのかな。
 だって、学校でも俺にだけ積極的に話しかけてくれるし。最近は七岡、木渕とも仲が良いけど、やっぱり俺にだけ態度が違うような気がする。

 それになにより、あの借り物競争。花崎さんに当たったお題が「好きな人」だったんじゃないかと、実は今でも思っている。

 木渕には申し訳ないが、花崎さんに好かれるのは正直嬉しい。だってこんな素敵な人に好かれるなんて、そうそうあることじゃないだろう。

 でも、告白されたら困ってしまう。花崎さんのことは俺も好きだが、それはあくまで人として、友人としてだ。
 俺はもう、ステータスのことを考えて恋愛はしたくない。それに俺は、やっぱり彼女に恋愛感情を持つことができなかった。それは俺の特殊性癖と、それを隠している罪悪感によるところが大きい。

「南君、全然進んでないけど」

 まただ。本当に集中力がないな、俺。やらないといけないことがある今だって、花崎さんのことばかり考えていた。

「考え事?」
「あ、うん……」
「悩みごと?」
「うーん」

 俺の曖昧な返事を肯定と受け取った花崎さんは、ペンを置いて首を傾ける。

「私でよければ、話聞くよ?」

 君のことで、悩んでいるんです。

「私には言えないこと?」

 答えられない俺に、彼女は不安げに上目遣いをする。

「……私のこと?」

 俺の顔がカッと赤くなり、それを隠すために顔を背けた。
 勘違いした彼女が、肩を落とす。

「もしかして、迷惑だったかな……。ごめんね」
「ちがう! そうじゃない!」

 声を落とすことも忘れて衝いて出た言葉に、花崎さんが目を丸くした。
 このままだんまりを決め込めば、彼女はきっと、どんどん勘違いを重ねてしまう。
 俺は深呼吸をして、ずっと気になっていたことを口にした。

「あの、さ……。教えて欲しいことがあって」
「ん? 何?」
「……体育祭の、借り物競争で……」

 そこまで言うと、今度は花崎さんが顔を真っ赤にする番だった。狼狽えた彼女は、目を泳がせながら、無意識に唇に指を押し付けている。

「あのお題って、何だったの?」
「あ、あれは……」

 口ごもる花崎さんの脳が、急速に回転しているのが分かる。
 嘘をつこうか、ごまかそうか考えた結果、本当のことを話すのが彼女自身も一番楽になれると判断したのだろう。彼女は俺と目を合わせずに、言え入りそうな声を出す。

「……笑わない?」
「笑わない」

 彼女はよく「笑わない?」と聞く。その確認をしたあとの言葉は、いつも笑う要素がないことばかりだ。

「……分かった」 

 花崎さんは何度か深呼吸して、俺の手を握った。

「!?」
「あの、ね。あのお題は……」

 ちょっと待ってくれ。こんな。こんな手を握られて、もし告白されてしまったら、いくら性癖がおかしい俺でも頭がバグッてOKを出してしまうかもしれないだろうがっ。離せ、離すんだ、くそ、手がスベスベしてやがる。柔らかいなおいっ。

「『高校で初めてできた友だち』だったの」
「……」

 爆走していた血液が、一瞬にして落ち着きを取り戻した。しかしすぐにまた暴れ始める。

 俺はとんだ勘違いをして、一人で盛り上がって、さらには告ろうともしていない相手を勝手にフろうとしていたのか? 恥ずかしすぎて今すぐ死にたい!!

 俺の魂が抜けかかっていることに気付いていない花崎さんは、頬をスモモのように赤く染めている。

「あのね、南君は覚えてないかもしれないけど。私たち、オープンキャンパスで出会ったことがあるの。そのとき、ちょっとお話したんだよ」
「そうだったっけ!? あー……、ごめん。覚えてない……」
「ううん、いいの。二言三言話しただけだったし。……あの時の南君の印象がすごく良くて。入学式で南君を見かけたときに、勝手に『牟潮高校で初めてできた友だち』に位置付けしちゃってたの。実は私ね、一年の時から、南君と仲良くなりたいなって思ってたの、ずっと」

 まるで恋の告白かのように、しどろもどろになりながら言葉を紡ぐ花崎さん。

 対して俺は、彼女にとって俺が「高校で初めてできた友だち」に留まっていることに、安堵と共に、どこかから湧いてくるちょっとした怒りに似た感情を抱いた。

 紛らわしい態度を取らないでくれよ。そしたら俺だって、こんな勘違いをしなくて済んだのに。

 花崎さんが、俺の手を撫でる。

「あのね、実は私……男の人が苦手なの」
「あ……。そうだったんだ」

 それはなんとなく気付いていた。花崎さんは、俺と木渕と七岡以外とほとんど話さない。いや、木渕と七岡にさえ、未だに警戒心を持っているように感じる。

「小学生の頃、男子にいじめられてたの。先生は、みんなあなたのことが好きだから意地悪しちゃうのって言ってたんだけど。好きだから意地悪するって、意味が分からなくて」
「ほんとにね」
「中学生の時は、男子生徒とか、先生に……なんていうかその、いやらしい目で見られるのがすごく気持ち悪くて」

 確かに花崎さんには華がある。顔立ちも良いし、胸も大きい。じろじろ見られているところは安易に想像できるし、なんなら高校でも彼女をジロジロ見る男は多い。

 彼女の話を聞いて、いろいろなことが腑に落ちた。

 似ているんだ、俺と花崎さん。

 人の目に触れたくなくて、ずっと俯いて生きてきた。人を避けているうちに、自分でも気付かないうちに、孤独を感じていたのだ。

 俺たちは、本当はずっと、友だちが欲しかった。
 友だちと呼べる、一緒にいて心休まるような人の傍にいたいという、頭の隅でちょんと佇んで離れてくれない願望を、俺たちは持っていたんだ。
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