上 下
32 / 71
二週目

30話 夢でさえ逢えたら

しおりを挟む
まったく。このあやかしのせいでとんでもない噂が立っちゃったじゃないの!うわぁぁ職場戻るの嫌すぎるぅぅ…。

「花雫。何をそんなに落ち込んでいるのですか?ヒモとはなんでしょう」

ブツブツごちりながら運転している私に、助手席に座った薄雪が声をかけた。

「ヒモというのはですね、働かずに女性に養ってもらっている男性のことを指します」

「おお。では私はヒモですね」

「ヒモですね…」

「じゃあ僕もヒモだ!」

「子どもは大丈夫。ヒモとは言わない」

「ふむ。どうやらヒモというのは悪い意味を持っているらしい」

「はい…」

「花雫。私がいては迷惑でしょうか?」

「……」

その問いかけに私は黙り込んだ。口に出すのは恥ずかしい。

「ふふ。迷惑でないならよかったです」

…口に出さなくてもモロバレだ。迷惑なわけないじゃない。こんなにも一緒にいて、心地が良いのに。

◇◇◇

1時間ほど車を走らせて目的地へ到着した。今日のアポは契約者変更の手続きだ。

先週奥様から、契約者だったご主人が亡くなったという電話をいただいた。このお客さんは生命保険、火災保険、自動車保険をまるっと私で入ってくれていた。なのでお会いする頻度も高く、私は彼らととても仲が良かった。ご主人と奥様両方は孫のように私をを可愛がってくれてた。

どちらも75歳を過ぎたご夫婦だし、ご主人がご病気になっていたことも知っていたから、お亡くなりになったと聞いても悲しかったけど驚きはしなかった。

インターフォンを鳴らすと奥様が顔を出した。いつも元気な奥様が、今日は笑顔がなくどんよりとしている。御夫婦で仲がよかったから当然だ。

家に上がらせてもらい、お線香をあげた。お客さまが亡くなり手を合わせることは何度かあったけど、こんなに仲が良かったお客さまが亡くなったのははじめてだった。仏壇の前に立てかけられている遺影は、何十年前だってくらい若い時のご主人だった。にっこりと笑っている。もう会えないかと思うと喉元が熱くなった。

大切な人を亡くした人になんて声をかけたらいいのか、今でも答えが分からない。私はただ「さみしくなりますね」と言い、必要な手続きをささっと済ませた。奥さまは沈んだ顔で、よく分からないまま署名をしていく。

「…寂しいなんてものじゃないの」

「……」

署名をしながら、奥さまが呟いた。

「私たち、どこに行くのもずっと一緒だったでしょ。旅行も旦那としか行ったことがなかったの。だから、どこへ行ったって、あの人のことを思い出すの。…どこへ行っても。いつでも」

「……」

「でも何度思い出したって、あの人にはもう会えないのよね。会いたい…。夢でもいいから会いたいの。でも、寝る前に何度お願いしても、夢に出てきてくれないの…。うぅぅ…」

泣き崩れてしまった奥様の背中をそっと撫でた。だめだ。なんて言えば良いのか分からない。赤の他人の私が何を言ってもきっと、奥様を悲しませるだけだ。

「見せて差し上げましょうか」

後ろに立っている薄雪が囁いた。

「綾目を彼女の愛するヒトに化けさせて、目に映すことはできます」

私は首を振った。そして心の中で返事をする。

(ううん。そんなことしないほうがいい。綾目はご主人じゃないでしょ?)

「そうですか。…ではせめて、夢で逢えるようにして差し上げましょう」

(やめて。奥様にあやかしの力を使わないであげて)

「いいえ。彼女が愛するヒトの夢を見ることができないことこそが、あやかしの力によるものなのです」

(なんですって?)

「この家に一匹あやかしが棲みついています。”ユメクイ”という、ヒトのユメを食うあやかしが」

「おじいちゃんは今まで何度もおばあちゃんの夢に出てるよ。でも、ユメクイがユメを食ってるから、起きたときにはおばあちゃんは夢を忘れちゃってるんだ」

「ソレを追い出してもよろしいですか、花雫」

私はちらりと二人のあやかしを見た。奥様の大切な夢を食べられるなんて許せない。

(おねがいします)

薄雪と綾目は頷き、応接間の扉をすり抜けて消えた。
しおりを挟む

処理中です...