35 / 71
二週目
33話 大切なヒト
しおりを挟む
歳をとったからか、1日1日があっという間に過ぎていくように感じる。気が付けば金曜日。無理矢理仕事を切り上げて帰ってきた私は、薄雪と晩酌をした。
「……」
「またひとりで考えこんでいますね。たまには口に出してごらんなさい」
煙草を吸いながら遠い目をしていた私に薄雪が声をかけた。どうせ心を読んで私が考えてることなんて分かってるくせに。そう思いながらも、ぽつりぽつりと思っていたことを言葉にした。
「あのね。あのおばあさんいたでしょ。ご主人を亡くした」
「ええ」
「おばあさんにとってご主人はとっても大切な人だったでしょ。だからご主人を亡くして、あんなに心を痛めてた。喪失感、悲壮感、すごく伝わってきてさ」
「はい」
「私、こう思っちゃったの。失ってあんなに辛い思いをするくらいなら、私はずっとひとりでいいって。大切な人がいるから失ったとき辛くなっちゃう。もともといなかったら、失うこともないもん」
自分でも根暗でネガティブだと思うよ。でもそう思わずにはいられなかった。私はもう大切なものを失う辛さを経験したくない。心が耐えきれない。
薄雪は私のことを否定しなかった。ただ静かに話を聞いてくれて、日本酒を一口飲んだ。しばらくの沈黙ののち、薄雪が口を開いた。
「大切なヒトを失うことは、なによりも辛いことです。私にも経験があります」
「何千年と生きてますもんね。そんな経験たくさんしてきたんじゃないですか?」
「いいえ。一度だけです。何よりも大切なヒトでした。私の生きる意味だった」
「それは…辛かったでしょう」
「はい。何百年と引きずりました」
「うわぁ…」
「その間、何度も死にたいと思いました。ですが周りのモノがなかなか死なせてくれなかったんです。アチラ側に、私のことをなによりも大切に想うモノがいましてね。彼に懇願されるとどうも生きなくてはという気持ちになる。ただそれだけのために、虚しい時間を過ごしてきました」
「そこに関しては、喜代春に感謝してます」
今まで静かに耳を傾けていた綾目がボソっと呟いた。薄雪は彼の言葉に小さく頷き言葉を続けた。
「しかし、そのおかげで花雫と出会えました。なので私も喜代春に感謝していますよ」
「…やっぱり、ヒトのためにしか生きられないのですね。薄雪さまは」
どこかムスっとしている綾目の頭を、薄雪がそっと撫でた。申し訳なさがありながらも、そんな自分を変えるつもりはないという気持ちが入り混じった表情で困ったように微笑んでいる。薄雪は綾目を撫でながら言葉を続けた。
「だから私はあなたの気持ちが分かります。失うくらいならば、出会わなければよかったと。そう考えずにはいられなかった」
「……」
「ですがこうも思います。あの子たちと過ごした日々は、今まで過ごしてきた数千年の間で一番幸せなときだったと。私はあの時のために生まれたのだと、そう思ってしまうほどに」
「どんな人たちだったんですか?」
「異国から来た少年と少女だったのですがね。優しく、清らかなヒトたちでした。あなたとは違い、ヒトらしい欲望がすっぽりと抜け落ちたようなヒト」
「え?さりげなく私の悪口言わないでください」
「少女の方は私を目に映せるヒトでした。蓮華と蕣を介して、ですが」
「そうなんですね。男の子の方は見えなかったの?」
「はい。ですが喜代春の術によって、私を目に映せるようになりました。それからは、私は二人と数年に一度言葉を交わし、絆を育んでいました」
「そっか。っていうかキヨハルってそんなこともできるんだ。すごいですね」
「ええ、彼もなかなかの大あやかしですからね。…話が逸れましたね。とにかく、私はあなたと同じ考えを持っています。なので痛いほど分かります」
「ありがとう、薄雪」
「ちなみに、喜代春は上手に生きていますよ。彼はヒトの社会に溶け込んで、ヒトに化けて生活しているものでね、彼には大切なヒトがたくさんいます。なのでよく大切なヒトを亡くしています。彼は悲しみに暮れながらも幸せそうですよ。なぜなら他にも大切なヒトがたくさんいるから」
「…?」
「花雫。大切なヒトを持たないのではなく、大切なヒトを、そして大切にしてくれるヒトをたくさん作りなさい。たくさん作って、一人を亡くしたときに泣ける場所を作ればいいのです。私やおばあさんのように、たった一人…私は二人ですが…しか大切なヒトがいないから悲しさが拭えない。たくさんいれば、残りのヒトたちが癒してくれます。失う悲しさは変わらないですし、大切なヒトの代わりにはならないですが…。あなたはきっと、長い時間をかけながらですがいつか立ち直ることができる」
「なるほど…。つまり、リスクを分散させておけばいい、ということですね」
納得がいった私は力強く頷いた。綾目は苦笑いをして私から目を背けている。
「言い方でこうも印象が変わるんだなあ…」
「いやでもそういうことじゃない?!リスク分散!投資と同じだわ!!」
「ああ、うん…。いかにも花雫らしいよ…」
大切なヒトを作っても、きっとぽっかり空いた穴は埋めてくれないだろう。それでも大切な人たちにに支えてもらって、なんと立っていられるのかも。大切な人を作るのはこわい。でも大切な人たちと過ごす日々の楽しさは、それを忘れてしまうほどに幸せを与えてもらえることなのかもしれない。
「……」
「またひとりで考えこんでいますね。たまには口に出してごらんなさい」
煙草を吸いながら遠い目をしていた私に薄雪が声をかけた。どうせ心を読んで私が考えてることなんて分かってるくせに。そう思いながらも、ぽつりぽつりと思っていたことを言葉にした。
「あのね。あのおばあさんいたでしょ。ご主人を亡くした」
「ええ」
「おばあさんにとってご主人はとっても大切な人だったでしょ。だからご主人を亡くして、あんなに心を痛めてた。喪失感、悲壮感、すごく伝わってきてさ」
「はい」
「私、こう思っちゃったの。失ってあんなに辛い思いをするくらいなら、私はずっとひとりでいいって。大切な人がいるから失ったとき辛くなっちゃう。もともといなかったら、失うこともないもん」
自分でも根暗でネガティブだと思うよ。でもそう思わずにはいられなかった。私はもう大切なものを失う辛さを経験したくない。心が耐えきれない。
薄雪は私のことを否定しなかった。ただ静かに話を聞いてくれて、日本酒を一口飲んだ。しばらくの沈黙ののち、薄雪が口を開いた。
「大切なヒトを失うことは、なによりも辛いことです。私にも経験があります」
「何千年と生きてますもんね。そんな経験たくさんしてきたんじゃないですか?」
「いいえ。一度だけです。何よりも大切なヒトでした。私の生きる意味だった」
「それは…辛かったでしょう」
「はい。何百年と引きずりました」
「うわぁ…」
「その間、何度も死にたいと思いました。ですが周りのモノがなかなか死なせてくれなかったんです。アチラ側に、私のことをなによりも大切に想うモノがいましてね。彼に懇願されるとどうも生きなくてはという気持ちになる。ただそれだけのために、虚しい時間を過ごしてきました」
「そこに関しては、喜代春に感謝してます」
今まで静かに耳を傾けていた綾目がボソっと呟いた。薄雪は彼の言葉に小さく頷き言葉を続けた。
「しかし、そのおかげで花雫と出会えました。なので私も喜代春に感謝していますよ」
「…やっぱり、ヒトのためにしか生きられないのですね。薄雪さまは」
どこかムスっとしている綾目の頭を、薄雪がそっと撫でた。申し訳なさがありながらも、そんな自分を変えるつもりはないという気持ちが入り混じった表情で困ったように微笑んでいる。薄雪は綾目を撫でながら言葉を続けた。
「だから私はあなたの気持ちが分かります。失うくらいならば、出会わなければよかったと。そう考えずにはいられなかった」
「……」
「ですがこうも思います。あの子たちと過ごした日々は、今まで過ごしてきた数千年の間で一番幸せなときだったと。私はあの時のために生まれたのだと、そう思ってしまうほどに」
「どんな人たちだったんですか?」
「異国から来た少年と少女だったのですがね。優しく、清らかなヒトたちでした。あなたとは違い、ヒトらしい欲望がすっぽりと抜け落ちたようなヒト」
「え?さりげなく私の悪口言わないでください」
「少女の方は私を目に映せるヒトでした。蓮華と蕣を介して、ですが」
「そうなんですね。男の子の方は見えなかったの?」
「はい。ですが喜代春の術によって、私を目に映せるようになりました。それからは、私は二人と数年に一度言葉を交わし、絆を育んでいました」
「そっか。っていうかキヨハルってそんなこともできるんだ。すごいですね」
「ええ、彼もなかなかの大あやかしですからね。…話が逸れましたね。とにかく、私はあなたと同じ考えを持っています。なので痛いほど分かります」
「ありがとう、薄雪」
「ちなみに、喜代春は上手に生きていますよ。彼はヒトの社会に溶け込んで、ヒトに化けて生活しているものでね、彼には大切なヒトがたくさんいます。なのでよく大切なヒトを亡くしています。彼は悲しみに暮れながらも幸せそうですよ。なぜなら他にも大切なヒトがたくさんいるから」
「…?」
「花雫。大切なヒトを持たないのではなく、大切なヒトを、そして大切にしてくれるヒトをたくさん作りなさい。たくさん作って、一人を亡くしたときに泣ける場所を作ればいいのです。私やおばあさんのように、たった一人…私は二人ですが…しか大切なヒトがいないから悲しさが拭えない。たくさんいれば、残りのヒトたちが癒してくれます。失う悲しさは変わらないですし、大切なヒトの代わりにはならないですが…。あなたはきっと、長い時間をかけながらですがいつか立ち直ることができる」
「なるほど…。つまり、リスクを分散させておけばいい、ということですね」
納得がいった私は力強く頷いた。綾目は苦笑いをして私から目を背けている。
「言い方でこうも印象が変わるんだなあ…」
「いやでもそういうことじゃない?!リスク分散!投資と同じだわ!!」
「ああ、うん…。いかにも花雫らしいよ…」
大切なヒトを作っても、きっとぽっかり空いた穴は埋めてくれないだろう。それでも大切な人たちにに支えてもらって、なんと立っていられるのかも。大切な人を作るのはこわい。でも大切な人たちと過ごす日々の楽しさは、それを忘れてしまうほどに幸せを与えてもらえることなのかもしれない。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
108
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる