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大切なモノ

56話 あやかしの夢

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「リョウタぁ…っ…リョウタぁぁ…っ…」

悪いことなんてなにひとつしていない。それなのに我が子を目の前で殺された。お侍さんの機嫌が悪かったというだけで、ただよそ見をしていてぶつかった子どもを容赦なく切りつけた。首がなくなった我が子を抱きしめ私は泣いた。泣いても誰も何もしてくれなかった。ただ目を背け、私たちから距離をとって眺めるだけ。

私にはこの子しかいなかった。誰との子かも分からない我が子。この子だけが、私を必要としてくれた。

我が子の亡骸と頭を、今にも崩れそうな家に持ち帰る。
その日はリョウタを抱いて寝た。次の日も、その次の日も。うじがわいても、肉が腐っても、我が子のそばを離れなかった。

我が子の肉を食っているうじを見て怒りを覚えた。私の息子の肉を奪うな。私からこれ以上愛するものを奪うな。それならいっそ、私が食う。そうだ、私の血肉にしてしまえば、私は我が子と二度と離れることはない。

その日から私は食事もとらず、亡くした我が子を愛おしみ、腐った肉を食い、骨を舐めた。
食う肉がなくなってからも、私は我が子の骨を舐めて日々を過ごした。
このまま食事をとらず、我が子の骨を舐めながら飢え死のう。そう思っていた。

それなのに私はいつまで経っても死ななかった。
小屋が朽ちたので山の麓で骨を舐めて過ごした。
山の麓に黒い道が敷き詰められた。
そばに家が建った。
どうやら300年の月日をここで過ごしていたようだ。
私はいつのまにかヒトではなくなり、ヒトの目に映らなくなっていた。

山の麓に建った家に入ると、我が子に面影が似ている男が住んでいた。
私は300年舐めていた骨を土へ還し、その男を愛おしむようになった。
彼は私の主人。そう思うようになった。

男には妻と息子がいた。彼の愛情を一身に受けるソレらが憎かった。そしたらすぐに死んだ。
彼と言葉を交わすヒトたちが許せなかった。そいつらもすぐに死んだ。
どうやら私が憎く思ったモノはすべて死ぬようだった。

男は独りになった。悲しむ彼を私は抱きしめた。

「あなたは私のモノよ。愛しの主人」

「ああ…どうしてだ…冴子…卓也…」

「あなたには私がいるでしょう。どうして私の声を聞かないの。どうして私の目を見てくれないの」

悲しかった。愛するヒトの目に映らない日々は苦しかった。

「私を見てよ…」

死にたかった。愛するヒトの目に映らない私はいても意味がなかった。
必要としてくれない。そんなの、共に生きている意味がない。
苦しみに耐えられなかった私は、死を望むようになった。でも、死に方が分からない。

「すみません!」

「……」

「すみませーん!えーっと…中島さまでしょうかー!!」

「……」

私の家の前で女が叫んでいる。

「はじめまして!突然伺い申し訳ありません。……」

「…?」

その女と妙にしっかり目が合った。彼女は私に笑いかけているのか?

「え、わたし?」

「あ、はい。中島さまで…でお間違いないでしょうか?」

私が頷くと彼女はまた笑った。
私が見えるの?この子には私が見えている。私は今この子と言葉を交わしている。

私は家に彼女を招いた。彼女は私の話を聞いてくれた。嬉しかった。もっと話したい。

そう思って彼女の家へ行った。
彼女の家にはよく分からないモノがふたつ棲みこんでいた。彼女の家に近づくと気分が悪くなった。それも妙なモノが放つ気味が悪いほど澄んだ気のせいだ。

ソレと過ごす彼女は幸せそうだった。愛情を注がれているソレが憎い。
彼女は私と言葉を交わしておきながら、他のモノと幸せそうに暮らしている。なぜ。

「私でよければ、いつでもお話聞きますから」

再び私の家に訪れたとき、彼女が我が主人にそう言っているのが聞こえた。嫉妬に震えた。我が主人に嫉妬をした。彼女に話を聞いてもらうのは私だけでいい。彼女の目に映るのは私だけでいい。

彼女が帰ったあと、私に憎まれた主人は死んだ。
これで私は心置きなくこの家を捨てられる。次は彼女の家で住もう。先に棲んでいる妙なモノは追い払い、私だけを見てもらおう。それから肉を食い、彼女を私だけのモノにしよう。

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