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北部編:決断
追憶
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話し合いが終わり、アーサーとモニカは寝室のベッドに倒れこんだ。
モニカは兄に何と声をかけていいのか分からず、布団に顔をうずめて黙り込んでいる。考えなければいけないことと、考えたくないことが多すぎる。
もうこのまま眠ってしまいたいと目を瞑った時、アーサーのくぐもった声が聞こえた。
「キヨハルさんは、このことを言ってたんだ」
「え?」
突然異国のあやかしの名が出たので、モニカは意味が分からず首を傾げることしかできなかった。
アーサーはのろのろと顔をモニカに向け、彼女と目を合わさないままボソボソと話す。
「モニカ、覚えてる? ジッピンから帰るときに、キヨハルさんが言ってたこと」
「なんとなく……?」
「あのね、キヨハルさん、こう言ってたんだーー」
アーサーは目を瞑り、目に刻まれた記憶を遡った。
◇◇◇
《アーサー、モニカ。バンスティンを変えたいかい?》
《…変えたい》
《デモ ワタシタチニ ソンナコトデキナイ…》
《当然ふたりでなんてできるはずがない。それに君たちだけでは到底できないよ。なぜなら君たちは綺麗なことしかしないから》
《綺麗なこと…?》
《君たちは優しくて、純粋で、綺麗だ。人に恨まれるようなことはしないだろう。でもそれだけでは、あそこまで腐敗した国は良くならないよ。いびつに育ったモノは綺麗に磨くだけでは良くならない。一度壊してしまわないと》
《キヨハルノ イッテルコト ムズカシクテ ヨク ワカラナイ…》
《いつか分かるときがくる。ただ、ひとつだけ覚えておきなさい》
《……》
《自ら手を汚し、人に恨まれてでも国を変えようとしている子たちがいることを》
《……》
《君たちはその子たちを守らなければならない。そのためには君たちができることをしなさい。今までのように、君たちの優しさでヒトを助け、たくさんのヒトに愛されなさい。来るべき日にたくさんのヒトが君たちの味方になってくれるように》
《キヨハルさん…》
《私は…私たちはアーサーとモニカを見守っているよ。たとえ離れていてもずっと、君たちを支えよう。そう、彼のように》
《?》
キヨハルはそう呟き、指でモニカの胸元に触れた。その指は何かを伝うかのように空を滑り、キヨハルは遠い海の向こうを見た。
《辛い目に遭ったモノより、傍で見ているモノの方が辛いこともある。己の無力さを呪い、全てを失ってでも守りたいと思う。そのモノを守ることができるなら、何を壊してもいい。例えそれが、そのモノにとって一番大切なモノだったとしても。秩序、国、自分自身、…最も親しい友人であってもね》
《……》
《薄雪はそれでも私を赦してくれた。すべてを奪った私を、それでも大切なモノとして思ってくれている。君たちはどうだろう。…バンスティンの行く末を、私はここで見守っているよ》
《キヨハルさん、あの…僕、なんのことかさっぱり…》
《分かる日が来る。そう遠くないうちに、ねーー》
◇◇◇
「……キヨハルさんには、この未来がみえてたんだね。こうなることも、ヴィクスがしてることも、なにもかも。……そうなんでしょ、アサギリ」
それまで沈黙していたワキザシが、ため息交じりに答える。
《~~……、ああ、そうだよ……》
「キヨハルさんは、こうも言ってた。〝そうして身内の悪行から目を背けるのかい?〟〝民と共に暮らし、民の苦しみをその目で見てきた王族の者こそ、今の腐った王族を変えられるのではないかと私は思うのだが〟って」
《……ああ》
「僕が、統治者になりたくないって駄々をこねるのも分かってたんだね」
《そうだ。ヒトのことなんて、あの大あやかし様にはお見通しなんだよ》
「……僕たちは綺麗なことしかしてこなかった。汚い仕事は全部、他の人がやってくれたなんて。……大好きな人たちにさせちゃってたなんて……」
「わたしも……わたしもよ、アーサー。わたしだって気付いていなかったわ。……裏S級冒険者に言われるまでは」
「モニカ……」
縋るような目で見つめる兄を、モニカはぎゅっと抱きしめた。グスグスと泣きだしたアーサーの頭を撫でてやると、彼は押さえきれない本音を吐露する。
「ヴィクス……僕のせいで……っ。うぅぅ~……っ。僕のせいで、今までこんな……こんなひどいことをさせて……っ」
「……」
「僕のことなんて……気にしなくていいのに……っ。ただナイフで刺しただけじゃないか……たったそれだけで……こんなことをするまで傷ついていたなんて……っ!」
《……お前はそれを知っても、まだ〝ポントワーブでモニカと二人でまったり過ごしたい〟のか?》
アサギリの問いかけに、アーサーは押さえられない嗚咽を漏らした。
「っ……過ごしたいよ……っ!! だってあんなにしあわせだったんだ……! はじめてふるさとができたんだ。ポントワーブのあの家が、僕の全てなんだよ……っ! あの楽しかった毎日に戻りたい……っ!! 戻りたい……!!」
「アーサー」
泣き喚くアーサーの両頬を、モニカはそっと手で包んだ。ボロボロと泣いているアーサーとは対照的に、モニカは静かに涙を流し、微笑んでいる。
そして、静かな声で言った。
「ヴィクスを助けてあげましょう。ジュリアとウィルクを、守ってあげよう」
「モ、モニカ……」
「……」
「モニカまで、僕に統治者になれって言うの……?」
「いいえ」
「……?」
「わたしが統治者になるわ」
モニカは兄に何と声をかけていいのか分からず、布団に顔をうずめて黙り込んでいる。考えなければいけないことと、考えたくないことが多すぎる。
もうこのまま眠ってしまいたいと目を瞑った時、アーサーのくぐもった声が聞こえた。
「キヨハルさんは、このことを言ってたんだ」
「え?」
突然異国のあやかしの名が出たので、モニカは意味が分からず首を傾げることしかできなかった。
アーサーはのろのろと顔をモニカに向け、彼女と目を合わさないままボソボソと話す。
「モニカ、覚えてる? ジッピンから帰るときに、キヨハルさんが言ってたこと」
「なんとなく……?」
「あのね、キヨハルさん、こう言ってたんだーー」
アーサーは目を瞑り、目に刻まれた記憶を遡った。
◇◇◇
《アーサー、モニカ。バンスティンを変えたいかい?》
《…変えたい》
《デモ ワタシタチニ ソンナコトデキナイ…》
《当然ふたりでなんてできるはずがない。それに君たちだけでは到底できないよ。なぜなら君たちは綺麗なことしかしないから》
《綺麗なこと…?》
《君たちは優しくて、純粋で、綺麗だ。人に恨まれるようなことはしないだろう。でもそれだけでは、あそこまで腐敗した国は良くならないよ。いびつに育ったモノは綺麗に磨くだけでは良くならない。一度壊してしまわないと》
《キヨハルノ イッテルコト ムズカシクテ ヨク ワカラナイ…》
《いつか分かるときがくる。ただ、ひとつだけ覚えておきなさい》
《……》
《自ら手を汚し、人に恨まれてでも国を変えようとしている子たちがいることを》
《……》
《君たちはその子たちを守らなければならない。そのためには君たちができることをしなさい。今までのように、君たちの優しさでヒトを助け、たくさんのヒトに愛されなさい。来るべき日にたくさんのヒトが君たちの味方になってくれるように》
《キヨハルさん…》
《私は…私たちはアーサーとモニカを見守っているよ。たとえ離れていてもずっと、君たちを支えよう。そう、彼のように》
《?》
キヨハルはそう呟き、指でモニカの胸元に触れた。その指は何かを伝うかのように空を滑り、キヨハルは遠い海の向こうを見た。
《辛い目に遭ったモノより、傍で見ているモノの方が辛いこともある。己の無力さを呪い、全てを失ってでも守りたいと思う。そのモノを守ることができるなら、何を壊してもいい。例えそれが、そのモノにとって一番大切なモノだったとしても。秩序、国、自分自身、…最も親しい友人であってもね》
《……》
《薄雪はそれでも私を赦してくれた。すべてを奪った私を、それでも大切なモノとして思ってくれている。君たちはどうだろう。…バンスティンの行く末を、私はここで見守っているよ》
《キヨハルさん、あの…僕、なんのことかさっぱり…》
《分かる日が来る。そう遠くないうちに、ねーー》
◇◇◇
「……キヨハルさんには、この未来がみえてたんだね。こうなることも、ヴィクスがしてることも、なにもかも。……そうなんでしょ、アサギリ」
それまで沈黙していたワキザシが、ため息交じりに答える。
《~~……、ああ、そうだよ……》
「キヨハルさんは、こうも言ってた。〝そうして身内の悪行から目を背けるのかい?〟〝民と共に暮らし、民の苦しみをその目で見てきた王族の者こそ、今の腐った王族を変えられるのではないかと私は思うのだが〟って」
《……ああ》
「僕が、統治者になりたくないって駄々をこねるのも分かってたんだね」
《そうだ。ヒトのことなんて、あの大あやかし様にはお見通しなんだよ》
「……僕たちは綺麗なことしかしてこなかった。汚い仕事は全部、他の人がやってくれたなんて。……大好きな人たちにさせちゃってたなんて……」
「わたしも……わたしもよ、アーサー。わたしだって気付いていなかったわ。……裏S級冒険者に言われるまでは」
「モニカ……」
縋るような目で見つめる兄を、モニカはぎゅっと抱きしめた。グスグスと泣きだしたアーサーの頭を撫でてやると、彼は押さえきれない本音を吐露する。
「ヴィクス……僕のせいで……っ。うぅぅ~……っ。僕のせいで、今までこんな……こんなひどいことをさせて……っ」
「……」
「僕のことなんて……気にしなくていいのに……っ。ただナイフで刺しただけじゃないか……たったそれだけで……こんなことをするまで傷ついていたなんて……っ!」
《……お前はそれを知っても、まだ〝ポントワーブでモニカと二人でまったり過ごしたい〟のか?》
アサギリの問いかけに、アーサーは押さえられない嗚咽を漏らした。
「っ……過ごしたいよ……っ!! だってあんなにしあわせだったんだ……! はじめてふるさとができたんだ。ポントワーブのあの家が、僕の全てなんだよ……っ! あの楽しかった毎日に戻りたい……っ!! 戻りたい……!!」
「アーサー」
泣き喚くアーサーの両頬を、モニカはそっと手で包んだ。ボロボロと泣いているアーサーとは対照的に、モニカは静かに涙を流し、微笑んでいる。
そして、静かな声で言った。
「ヴィクスを助けてあげましょう。ジュリアとウィルクを、守ってあげよう」
「モ、モニカ……」
「……」
「モニカまで、僕に統治者になれって言うの……?」
「いいえ」
「……?」
「わたしが統治者になるわ」
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