パパには言わない

田中潮太

文字の大きさ
4 / 55

しおりを挟む
 授業中に作成したメモを片手に翠はクローゼットの扉を開いた。扉を開くとゆったりとした笑みで紅は翠を出迎えた。

「おかえり。今日は遅いのね」
「うん。クラブ活動があったから」
「へぇ、なんのクラブに入っているの?」
「家庭科クラブ」
「お料理とか、縫物をするクラブ?」
「そうだよ」
「翠に似合ってるわね」
「そうかな?」

 翠はクラスの女子の間で人気だったバスケットボールクラブを志望していたのだ。言われてみれば自分に運動部は似合わないかもしれないと、紅に言われて思い直す。
 そんな些細な会話から始まり、紅は学校のことに興味があるのか話の流れに沿って学校のことをあれこれと翠に尋ねた。翠はそれに対して逐一回答し、手に持っているメモの事は途中まですっかり忘れていた。
 翠が学芸会のことについて説明し終えたところで話が途切れ、翠はメモの存在を思い出す。

「あのさぁ、紅」
「なぁに?」
「いくつか聞きたいことがあって……ぼくたち、まだ仲が良いとは言えないかもしれないけど」

 まだ三日目だ。出会って三日の相手のことを、仲良しとは呼ばない。

「ちょっとぐらいなら答えてもいいけど」
「本当に? ありがとう。それじゃあ……」

疑問そのいち。リストの一番上にある質問。

「ええと、紅はいつからここのクローゼットにいるの?」
「八年前」

 意外にもあっさりと紅は質問に回答した。八年前というと、翠が三歳の時だ。

「そのとき紅は……」
「三歳。翠とおんなじ」
「だよね」

 しかし三歳というと翠はあまり記憶が残っていない。パパは今も昔も変わらず仕事が忙しく、翠は赤ちゃんの頃から保育園に通っていたと聞かされており、三歳の頃も保育園に行っていたという事しかわからない。小学校に入学してから知った事だが、一般的な家庭は子どもが幼い頃は家族でレジャーに出かけたりするのだそうだ。翠の場合はパパの仕事が忙しく母親も亡くなっている為そういった事は経験してこなかった。

「じゃあなんでクローゼットに?」
「パパに聞いてみたら?」
「パパにはきみのことを秘密にするって話だったじゃん」
「そっか、じゃあわからない」

 それは本当にわからないのではなく、答えをはぐらかすときの『わからない』だった。翠からしてみれば不服だったが仕方がない。

「あ、それなら……そのときぼくのこと知ってた? というか、ぼくが見つけるまでぼくのこと知ってた?」
「知ってたと言い切るのは何か違うけれど……でも知ってたか知らなかったかと言われれば知っていた」

 隠れるということは何かから逃げている状態にある。どこかへ隠れている間、多少なりとも隠れ家の外について知っているものだ。

「知ってたんだ」

 当然ながら翠はクローゼットを開けるまで紅のことなど全く知らなかった。こんな身近に友達が隠れているとは想像もしていなかったからだ。

「こんなに早く見つかるとは思ってなかったけれどね」
「どういうこと?」
「クローゼットの鍵がこんなに早く解かれるなんて想定外だったってこと。じゃあ今日はまたね」
「あっ……」

 最後に意味ありげな台詞を吐いて紅はクローゼットの奥へと姿を消した。

 クローゼットの鍵とはどういうことだろう。

 翠が覚えうる限り、クローゼットに鍵なんてものはついていなかった――ように思う。翠はほとんど無意識だった。なんとなくクローゼットをみつけて、というよりは今まで特に気にも留めていなかったクローゼットがそこに『ある』ということに気が付いた。一度認識してしまえばあとはその扉を開けるだけ。ごく自然な流れでその扉を開いた時、紅という友達が現れたのだ。

(幼い頃のことなら、柚希に聞けば何かわかるかも)

 紅に直接尋ねる以外の方法で紅のことを少しでも明らかにしようと翠は天才的に閃いた。
 葛にもそれとなく昔のことを聞いてみればヒントぐらいは掴めるかもしれないと、翠は自覚のないうちに随分と紅のことばかり考えるようになっていたらしい。紅の事。新しい友達という要素に加えクローゼットの鉄格子の向こうにいるというミステリアスな女の子。十一歳の翠が夢中になる要素は充分すぎる程揃っていた。


 柚希に小さい頃の事を聞いてみる。翠が昨日思いついたアイデアにはひとつ大きな欠陥があった。
翠が五年一組なのに対し、柚希は五年三組。クラブ活動は毎週木曜日。違うクラスの二人は木曜日のクラブ活動でしか交流がなかった。わざわざ訪ねて保育園の頃の話を聞く、というのも違う気がして結局翠はこの日、柚希に昔のことを尋ねる事ができなかった。チャンスは来週の木曜日。翠はあと一週間も待たなければいけない事に待ちきれない思いだったが、仕方がないのだと諦めるしかなかった。

「ねぇ翠!」

 授業と授業の間の五分休憩。二時間目の社会の教科書とノートを机の中から引っ張り出していると前に座る凛子が声をかけてきた。

「なに?」
「今日の放課後に瑞樹とか由愛とかとくすのき公園でケイドロやるんだけど翠も来ない?」

 翠は特定の友達といることが多く、普段はあまり交流のない凛子に遊び、それも放課後遊ぶ事に誘われとても嬉しく思った。それと同時にパパから放課後に出かける事を禁止されていると思い出し、せっかくの誘いを断らなければならない事を悲痛に思った。

「ごめん、放課後は遊べなくて……」

 一年生の頃から放課後遊びに誘われると断っていた為、次第に誘われなくなっていたがこうして誘われたのは久しぶりの事だった。だから尚更嬉しかったのだ。

「そっかー残念」
「うん、ごめんね」

 クラスの女子の中でも中心にいる凛子の誘いを断るのは翠にとって怖い事でもあった。今までにもクラスの中心にいる女子の誘いを断って仲間外れにされたりいじめのターゲットにされるという事はあった。しかしパパの言いつけを無視する事のほうが、翠にとってはよっぽど怖い事だ。

「翠~、これ遅くなっちゃってごめん~」

 翠が五年生になってから仲良くしている玲那だった。玲那はポニーテールのよく似合う活発な女の子で翠がバスケットボールクラブに入れないことを知ると自らも家庭科クラブに入ると言ってくれた友達思いな人物だった。結局のところ、少年団に入っているのだからバスケットボールクラブに入った方が良いという翠の意見で玲那は首を縦に振った為ふたりは違うクラブに所属する事になった。

「いまみていい?」
「だめだめ! ちゃんと家に帰ってからみてよ」

 渡されたブルーのノートはふたりの交換日記だった。ノートの表紙には玲那のまるっこい字で『交換日記※れなとみどり以外はえつらんきんし!』と書かれている。
 このクラスになって最初の座席、席が前後だった際に玲那に誘われて始めたものだ。初めの頃はお互いのプロフィールなんかを書いていたが、二か月経った今では家での出来事や面白かったマンガの話なんかをしている。もしくは、お絵かきをしてみたり。

「わかった。じゃあ家に帰ってからみる」
「絶対ね!」

 授業中にでもこそこそとノートを開いて玲那が何を書いたのか確認してしまいたかったが、秘密のノートを教室という場所で開いてしまうのは良くない気がして結局翠はそのノートをすぐにランドセルへとしまった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

もう散々泣いて悔やんだから、過去に戻ったら絶対に間違えない

もーりんもも
恋愛
セラフィネは一目惚れで結婚した夫に裏切られ、満足な食事も与えられず自宅に軟禁されていた。 ……私が馬鹿だった。それは分かっているけど悔しい。夫と出会う前からやり直したい。 そのチャンスを手に入れたセラフィネは復讐を誓う――。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

許婚と親友は両片思いだったので2人の仲を取り持つことにしました

結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
<2人の仲を応援するので、どうか私を嫌わないでください> 私には子供のころから決められた許嫁がいた。ある日、久しぶりに再会した親友を紹介した私は次第に2人がお互いを好きになっていく様子に気が付いた。どちらも私にとっては大切な存在。2人から邪魔者と思われ、嫌われたくはないので、私は全力で許嫁と親友の仲を取り持つ事を心に決めた。すると彼の評判が悪くなっていき、それまで冷たかった彼の態度が軟化してきて話は意外な展開に・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

離婚した彼女は死ぬことにした

はるかわ 美穂
恋愛
事故で命を落とす瞬間、政略結婚で結ばれた夫のアルバートを愛していたことに気づいたエレノア。 もう一度彼との結婚生活をやり直したいと願うと、四年前に巻き戻っていた。 今度こそ彼に相応しい妻になりたいと、これまでの臆病な自分を脱ぎ捨て奮闘するエレノア。しかし、 「前にも言ったけど、君は妻としての役目を果たさなくていいんだよ」 返ってくるのは拒絶を含んだ鉄壁の笑みと、表面的で義務的な優しさ。 それでも夫に想いを捧げ続けていたある日のこと、アルバートの大事にしている弟妹が原因不明の体調不良に襲われた。 神官から、二人の体調不良はエレノアの体内に宿る瘴気が原因だと告げられる。 大切な人を守るために離婚して彼らから離れることをエレノアは決意するが──。

処理中です...