3 / 55
2
しおりを挟む
六時間目の授業は国語だった。
五時間目の体育の後の国語は眠ってくださいと言わんばかりで、船を漕いでいる生徒もちらほら。そんな教室内の様子を一番後ろの席でぼんやりと眺めながら、翠は板書用のノートとは別に一枚のメモ用紙を机の上に広げていた。
『紅に聞きたいことリスト』
メモのいちばん上にそう書いて、その下に点を打つ。
板書もきちんと取りながら、紅に聞きたいと思っていた事もリストに追加していく。こうしてメモしておけばいざ紅と対面したときに焦らずに済む。ふとそこでもし万が一このメモをパパに見られてはまずいと思い付き、『紅』というところを消しゴムで消して咄嗟に思い浮かんだアイドルの名前である『愛』に変更した。これならばメモを落としたとしても安全だ。少し恥をかくだけで。
そうして紅に聞きたいことをあれこれメモしている間に六時間目の授業は終了し、帰りの会の時間となった。今日はクラブ活動がある為にすぐ帰れないのが歯痒かった。
翠は一刻も早く帰宅して紅に会いたいのだ。
「明日は午前授業だからそのことをお母さんに伝えるのを忘れないように! それじゃあ日直、挨拶して」
翠に母親はいないが、その代わり家政婦の葛がいる。学校の連絡は以前配られたプリントを見た葛が把握しているので翠の場合はいちいち報告する必要はなかった。
そうなると、明日は早く帰っても葛がいるから紅とはすぐに話せないのかと考えながら翠は日直の号令に合わせて「さようなら」と毎日お決まりの――今年で五年目の――挨拶をしてのんびりとクラブ活動の為の教室へと向かった。
「翠! おはよ!」
「もう放課後だよ」
家庭科クラブの部室ともいえる家庭科室。ごく少ない人数で構成されているこのクラブに翠は所属していた。大抵の生徒は運動系のクラブに流れてしまうので文系のこのクラブは人数が少ない。
「俺はやく料理やりたいんだよなー」
「料理は後期にやるって久留米先生言ってたのに」
「そうだけどさぁ」
テーブル兼調理台を挟んで向かい側に座るのは唯一の男子部員である柚希だ。柚希の母親と翠のパパが同じ職場で働いているということもあってか二人は幼馴染で仲が良く、柚希がこのクラブを選んだのも楽そうだし翠が入るなら、という理由だった。
「でも柚希、この前先生に褒められてたじゃん」
「え? あぁーあれか……」
現在、家庭科クラブの活動は縫い物が中心で、先週から新しくフェルト人形の制作に入っていた。その中で柚希は縫い方が均一で真っすぐに縫えていると先生に褒められていたのだった。
「いやぁでも、俺べつに器用とかじゃないし。翠のがそういうの得意そうに見えるけど」
「ぼくはそこまでじゃないよ。ほら、先週だって切るフェルト間違えて作り直しだし」
翠は家庭科クラブに所属していながらあまり手先が器用な方ではなかった。それもそのはずで、本来ならバスケットボールクラブに入りたかったのだがパパに反対されたこともあって翠は人数不足であった家庭科クラブへの所属を余儀なくされたのだ。
「でもいいんじゃね? いま裁縫の練習しとけば後期に家庭科でトートバッグ作るときに失敗せずに済むだろ」
「それはあるかも。柚希って良い事言うよね、たまに」
「いや俺はいつも良い事しか言ってねぇから」
「意味わかんない」
翠と柚希が談笑しているとクラブ活動の始業時刻を少し過ぎてから大きなプラスチックの箱に生徒たちの作りかけの作品や材料を入れた家庭科クラブ担当の教師がやってきた。
「くるめっち遅―い」
「これ運ぶの大変で……! はい、じゃあ始めましょ!じゃあ鈴村さん、挨拶お願いします」
最初と最後の号令を除けば家庭科クラブは比較的自由なクラブだった。手さえ動かせば好きなだけお喋りできる――と、ほとんどの生徒は同じテーブルに座る者同士で作業しながら会話を楽しんでいた。定員割れしていたクラブだというのに随分と居心地の良いものだ。
教師からの簡単な話が終わり、ほとんどの生徒が席を立って作りかけの作品を取りにいった後で翠は新しい材料を貰うべく席を立って教室前方へと向かった。
「先生、あの」
「あ! 浦上さんのね。申し訳ないんだけど、前作ってた作品と同じ色のフェルトがなくて……でも黒いフェルトがあるから黒髪の女の子にしたらどうかな? って」
前回まで翠が作っていたのは自身の名前にちなんで緑色をした髪の女の子の人形だった。しかし緑色のフェルトを間違えて裁断してしまい、他のパーツは揃っているものの髪の毛のフェルトだけ無くなってしまった状況だった。
緑色のフェルトがないとなると、そもそもの計画である『自身の名前にちなんで緑髪の女の子』が崩れてしまう。
「わかりました。じゃあ黒髪の女の子にします」
嫌だとは言えなかった。もう緑色のフェルトは残ってないのだ。
「ごめんなさいね、じゃあこれ」
翠は黒いフェルトを受け取りつつ、失敗したのが悪いから仕方がないと自身を納得させる。
黒髪の女の子でも良いじゃないか。自分の髪色は黒で紅も髪色は黒だ。
そこまで考えて、新しい友達である紅をモチーフに人形を作ったらどうか? と翠は考え付いた。表情のパーツはまだ制作していない。紅に充分寄せる事ができる。
この名案を、さっそく形にしなくては。
「あれ、緑じゃねぇの?」
「うん。もうないんだって」
「いいん?」
それは勿論、翠の設計図を知っているうえでの発言だった。
「うん。最近……」
そこまで言いかけて翠は言葉を切った。
最近できた友達。パパには言わないと約束をしているが、他の人に話してはいけないとは言われていない。
しかし柚希の母親と翠のパパは職場が同じという繋がりがあり、もし翠が新しく出来た友達をモチーフに人形を作ったとなると万が一、憶が一にも柚希から柚希の母親へ、そしてパパへと伝わってしまい新しい友達とは誰なのかと問い詰められる可能性もなくはなかった。
「最近?」
「さ、最近、黒い髪の人形も良いかなって、考えてたから」
「へぇ」
苦し紛れの言い訳だったが柚希は手元に集中していることもあってか特に話を深堀されることもなく翠は事なきを得た。我ながらよく頭が回ったと翠は自画自賛した。
紅をモチーフにした人形ができたら紅に見せよう。そう決めて翠は黒いフェルトにピンク色のチャコペンで下描きを始めた。
五時間目の体育の後の国語は眠ってくださいと言わんばかりで、船を漕いでいる生徒もちらほら。そんな教室内の様子を一番後ろの席でぼんやりと眺めながら、翠は板書用のノートとは別に一枚のメモ用紙を机の上に広げていた。
『紅に聞きたいことリスト』
メモのいちばん上にそう書いて、その下に点を打つ。
板書もきちんと取りながら、紅に聞きたいと思っていた事もリストに追加していく。こうしてメモしておけばいざ紅と対面したときに焦らずに済む。ふとそこでもし万が一このメモをパパに見られてはまずいと思い付き、『紅』というところを消しゴムで消して咄嗟に思い浮かんだアイドルの名前である『愛』に変更した。これならばメモを落としたとしても安全だ。少し恥をかくだけで。
そうして紅に聞きたいことをあれこれメモしている間に六時間目の授業は終了し、帰りの会の時間となった。今日はクラブ活動がある為にすぐ帰れないのが歯痒かった。
翠は一刻も早く帰宅して紅に会いたいのだ。
「明日は午前授業だからそのことをお母さんに伝えるのを忘れないように! それじゃあ日直、挨拶して」
翠に母親はいないが、その代わり家政婦の葛がいる。学校の連絡は以前配られたプリントを見た葛が把握しているので翠の場合はいちいち報告する必要はなかった。
そうなると、明日は早く帰っても葛がいるから紅とはすぐに話せないのかと考えながら翠は日直の号令に合わせて「さようなら」と毎日お決まりの――今年で五年目の――挨拶をしてのんびりとクラブ活動の為の教室へと向かった。
「翠! おはよ!」
「もう放課後だよ」
家庭科クラブの部室ともいえる家庭科室。ごく少ない人数で構成されているこのクラブに翠は所属していた。大抵の生徒は運動系のクラブに流れてしまうので文系のこのクラブは人数が少ない。
「俺はやく料理やりたいんだよなー」
「料理は後期にやるって久留米先生言ってたのに」
「そうだけどさぁ」
テーブル兼調理台を挟んで向かい側に座るのは唯一の男子部員である柚希だ。柚希の母親と翠のパパが同じ職場で働いているということもあってか二人は幼馴染で仲が良く、柚希がこのクラブを選んだのも楽そうだし翠が入るなら、という理由だった。
「でも柚希、この前先生に褒められてたじゃん」
「え? あぁーあれか……」
現在、家庭科クラブの活動は縫い物が中心で、先週から新しくフェルト人形の制作に入っていた。その中で柚希は縫い方が均一で真っすぐに縫えていると先生に褒められていたのだった。
「いやぁでも、俺べつに器用とかじゃないし。翠のがそういうの得意そうに見えるけど」
「ぼくはそこまでじゃないよ。ほら、先週だって切るフェルト間違えて作り直しだし」
翠は家庭科クラブに所属していながらあまり手先が器用な方ではなかった。それもそのはずで、本来ならバスケットボールクラブに入りたかったのだがパパに反対されたこともあって翠は人数不足であった家庭科クラブへの所属を余儀なくされたのだ。
「でもいいんじゃね? いま裁縫の練習しとけば後期に家庭科でトートバッグ作るときに失敗せずに済むだろ」
「それはあるかも。柚希って良い事言うよね、たまに」
「いや俺はいつも良い事しか言ってねぇから」
「意味わかんない」
翠と柚希が談笑しているとクラブ活動の始業時刻を少し過ぎてから大きなプラスチックの箱に生徒たちの作りかけの作品や材料を入れた家庭科クラブ担当の教師がやってきた。
「くるめっち遅―い」
「これ運ぶの大変で……! はい、じゃあ始めましょ!じゃあ鈴村さん、挨拶お願いします」
最初と最後の号令を除けば家庭科クラブは比較的自由なクラブだった。手さえ動かせば好きなだけお喋りできる――と、ほとんどの生徒は同じテーブルに座る者同士で作業しながら会話を楽しんでいた。定員割れしていたクラブだというのに随分と居心地の良いものだ。
教師からの簡単な話が終わり、ほとんどの生徒が席を立って作りかけの作品を取りにいった後で翠は新しい材料を貰うべく席を立って教室前方へと向かった。
「先生、あの」
「あ! 浦上さんのね。申し訳ないんだけど、前作ってた作品と同じ色のフェルトがなくて……でも黒いフェルトがあるから黒髪の女の子にしたらどうかな? って」
前回まで翠が作っていたのは自身の名前にちなんで緑色をした髪の女の子の人形だった。しかし緑色のフェルトを間違えて裁断してしまい、他のパーツは揃っているものの髪の毛のフェルトだけ無くなってしまった状況だった。
緑色のフェルトがないとなると、そもそもの計画である『自身の名前にちなんで緑髪の女の子』が崩れてしまう。
「わかりました。じゃあ黒髪の女の子にします」
嫌だとは言えなかった。もう緑色のフェルトは残ってないのだ。
「ごめんなさいね、じゃあこれ」
翠は黒いフェルトを受け取りつつ、失敗したのが悪いから仕方がないと自身を納得させる。
黒髪の女の子でも良いじゃないか。自分の髪色は黒で紅も髪色は黒だ。
そこまで考えて、新しい友達である紅をモチーフに人形を作ったらどうか? と翠は考え付いた。表情のパーツはまだ制作していない。紅に充分寄せる事ができる。
この名案を、さっそく形にしなくては。
「あれ、緑じゃねぇの?」
「うん。もうないんだって」
「いいん?」
それは勿論、翠の設計図を知っているうえでの発言だった。
「うん。最近……」
そこまで言いかけて翠は言葉を切った。
最近できた友達。パパには言わないと約束をしているが、他の人に話してはいけないとは言われていない。
しかし柚希の母親と翠のパパは職場が同じという繋がりがあり、もし翠が新しく出来た友達をモチーフに人形を作ったとなると万が一、憶が一にも柚希から柚希の母親へ、そしてパパへと伝わってしまい新しい友達とは誰なのかと問い詰められる可能性もなくはなかった。
「最近?」
「さ、最近、黒い髪の人形も良いかなって、考えてたから」
「へぇ」
苦し紛れの言い訳だったが柚希は手元に集中していることもあってか特に話を深堀されることもなく翠は事なきを得た。我ながらよく頭が回ったと翠は自画自賛した。
紅をモチーフにした人形ができたら紅に見せよう。そう決めて翠は黒いフェルトにピンク色のチャコペンで下描きを始めた。
0
あなたにおすすめの小説
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。
設楽理沙
ライト文芸
2026.1.4 73話見直した際、瑛士の台詞《本音/懺悔》を加筆しました。😇
☘ 累計ポイント/ 200万pt 超えました。ありがとうございます。
―― 備忘録 ――
第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。 最高 57,392 pt
〃 24h/pt-1位ではじまり2位で終了。 最高 89,034 pt
◇ ◇ ◇ ◇
紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる
素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。
隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が
始まる。
苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・
消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように
大きな声で泣いた。
泣きながらも、よろけながらも、気がつけば
大地をしっかりと踏みしめていた。
そう、立ち止まってなんていられない。
☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★
2025.4.19☑~
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
義妹の嫌がらせで、子持ち男性と結婚する羽目になりました。義理の娘に嫌われることも覚悟していましたが、本当の家族を手に入れることができました。
石河 翠
ファンタジー
義母と義妹の嫌がらせにより、子持ち男性の元に嫁ぐことになった主人公。夫になる男性は、前妻が残した一人娘を可愛がっており、新しい子どもはいらないのだという。
実家を出ても、自分は家族を持つことなどできない。そう思っていた主人公だが、娘思いの男性と素直になれないわがままな義理の娘に好感を持ち、少しずつ距離を縮めていく。
そんなある日、死んだはずの前妻が屋敷に現れ、主人公を追い出そうとしてきた。前妻いわく、血の繋がった母親の方が、継母よりも価値があるのだという。主人公が言葉に詰まったその時……。
血の繋がらない母と娘が家族になるまでのお話。
この作品は、小説家になろうおよびエブリスタにも投稿しております。
扉絵は、管澤捻さまに描いていただきました。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる