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六時間目の授業は国語だった。
五時間目の体育の後の国語は眠ってくださいと言わんばかりで、船を漕いでいる生徒もちらほら。そんな教室内の様子を一番後ろの席でぼんやりと眺めながら、翠は板書用のノートとは別に一枚のメモ用紙を机の上に広げていた。
『紅に聞きたいことリスト』
メモのいちばん上にそう書いて、その下に点を打つ。
板書もきちんと取りながら、紅に聞きたいと思っていた事もリストに追加していく。こうしてメモしておけばいざ紅と対面したときに焦らずに済む。ふとそこでもし万が一このメモをパパに見られてはまずいと思い付き、『紅』というところを消しゴムで消して咄嗟に思い浮かんだアイドルの名前である『愛』に変更した。これならばメモを落としたとしても安全だ。少し恥をかくだけで。
そうして紅に聞きたいことをあれこれメモしている間に六時間目の授業は終了し、帰りの会の時間となった。今日はクラブ活動がある為にすぐ帰れないのが歯痒かった。
翠は一刻も早く帰宅して紅に会いたいのだ。
「明日は午前授業だからそのことをお母さんに伝えるのを忘れないように! それじゃあ日直、挨拶して」
翠に母親はいないが、その代わり家政婦の葛がいる。学校の連絡は以前配られたプリントを見た葛が把握しているので翠の場合はいちいち報告する必要はなかった。
そうなると、明日は早く帰っても葛がいるから紅とはすぐに話せないのかと考えながら翠は日直の号令に合わせて「さようなら」と毎日お決まりの――今年で五年目の――挨拶をしてのんびりとクラブ活動の為の教室へと向かった。
「翠! おはよ!」
「もう放課後だよ」
家庭科クラブの部室ともいえる家庭科室。ごく少ない人数で構成されているこのクラブに翠は所属していた。大抵の生徒は運動系のクラブに流れてしまうので文系のこのクラブは人数が少ない。
「俺はやく料理やりたいんだよなー」
「料理は後期にやるって久留米先生言ってたのに」
「そうだけどさぁ」
テーブル兼調理台を挟んで向かい側に座るのは唯一の男子部員である柚希だ。柚希の母親と翠のパパが同じ職場で働いているということもあってか二人は幼馴染で仲が良く、柚希がこのクラブを選んだのも楽そうだし翠が入るなら、という理由だった。
「でも柚希、この前先生に褒められてたじゃん」
「え? あぁーあれか……」
現在、家庭科クラブの活動は縫い物が中心で、先週から新しくフェルト人形の制作に入っていた。その中で柚希は縫い方が均一で真っすぐに縫えていると先生に褒められていたのだった。
「いやぁでも、俺べつに器用とかじゃないし。翠のがそういうの得意そうに見えるけど」
「ぼくはそこまでじゃないよ。ほら、先週だって切るフェルト間違えて作り直しだし」
翠は家庭科クラブに所属していながらあまり手先が器用な方ではなかった。それもそのはずで、本来ならバスケットボールクラブに入りたかったのだがパパに反対されたこともあって翠は人数不足であった家庭科クラブへの所属を余儀なくされたのだ。
「でもいいんじゃね? いま裁縫の練習しとけば後期に家庭科でトートバッグ作るときに失敗せずに済むだろ」
「それはあるかも。柚希って良い事言うよね、たまに」
「いや俺はいつも良い事しか言ってねぇから」
「意味わかんない」
翠と柚希が談笑しているとクラブ活動の始業時刻を少し過ぎてから大きなプラスチックの箱に生徒たちの作りかけの作品や材料を入れた家庭科クラブ担当の教師がやってきた。
「くるめっち遅―い」
「これ運ぶの大変で……! はい、じゃあ始めましょ!じゃあ鈴村さん、挨拶お願いします」
最初と最後の号令を除けば家庭科クラブは比較的自由なクラブだった。手さえ動かせば好きなだけお喋りできる――と、ほとんどの生徒は同じテーブルに座る者同士で作業しながら会話を楽しんでいた。定員割れしていたクラブだというのに随分と居心地の良いものだ。
教師からの簡単な話が終わり、ほとんどの生徒が席を立って作りかけの作品を取りにいった後で翠は新しい材料を貰うべく席を立って教室前方へと向かった。
「先生、あの」
「あ! 浦上さんのね。申し訳ないんだけど、前作ってた作品と同じ色のフェルトがなくて……でも黒いフェルトがあるから黒髪の女の子にしたらどうかな? って」
前回まで翠が作っていたのは自身の名前にちなんで緑色をした髪の女の子の人形だった。しかし緑色のフェルトを間違えて裁断してしまい、他のパーツは揃っているものの髪の毛のフェルトだけ無くなってしまった状況だった。
緑色のフェルトがないとなると、そもそもの計画である『自身の名前にちなんで緑髪の女の子』が崩れてしまう。
「わかりました。じゃあ黒髪の女の子にします」
嫌だとは言えなかった。もう緑色のフェルトは残ってないのだ。
「ごめんなさいね、じゃあこれ」
翠は黒いフェルトを受け取りつつ、失敗したのが悪いから仕方がないと自身を納得させる。
黒髪の女の子でも良いじゃないか。自分の髪色は黒で紅も髪色は黒だ。
そこまで考えて、新しい友達である紅をモチーフに人形を作ったらどうか? と翠は考え付いた。表情のパーツはまだ制作していない。紅に充分寄せる事ができる。
この名案を、さっそく形にしなくては。
「あれ、緑じゃねぇの?」
「うん。もうないんだって」
「いいん?」
それは勿論、翠の設計図を知っているうえでの発言だった。
「うん。最近……」
そこまで言いかけて翠は言葉を切った。
最近できた友達。パパには言わないと約束をしているが、他の人に話してはいけないとは言われていない。
しかし柚希の母親と翠のパパは職場が同じという繋がりがあり、もし翠が新しく出来た友達をモチーフに人形を作ったとなると万が一、憶が一にも柚希から柚希の母親へ、そしてパパへと伝わってしまい新しい友達とは誰なのかと問い詰められる可能性もなくはなかった。
「最近?」
「さ、最近、黒い髪の人形も良いかなって、考えてたから」
「へぇ」
苦し紛れの言い訳だったが柚希は手元に集中していることもあってか特に話を深堀されることもなく翠は事なきを得た。我ながらよく頭が回ったと翠は自画自賛した。
紅をモチーフにした人形ができたら紅に見せよう。そう決めて翠は黒いフェルトにピンク色のチャコペンで下描きを始めた。
五時間目の体育の後の国語は眠ってくださいと言わんばかりで、船を漕いでいる生徒もちらほら。そんな教室内の様子を一番後ろの席でぼんやりと眺めながら、翠は板書用のノートとは別に一枚のメモ用紙を机の上に広げていた。
『紅に聞きたいことリスト』
メモのいちばん上にそう書いて、その下に点を打つ。
板書もきちんと取りながら、紅に聞きたいと思っていた事もリストに追加していく。こうしてメモしておけばいざ紅と対面したときに焦らずに済む。ふとそこでもし万が一このメモをパパに見られてはまずいと思い付き、『紅』というところを消しゴムで消して咄嗟に思い浮かんだアイドルの名前である『愛』に変更した。これならばメモを落としたとしても安全だ。少し恥をかくだけで。
そうして紅に聞きたいことをあれこれメモしている間に六時間目の授業は終了し、帰りの会の時間となった。今日はクラブ活動がある為にすぐ帰れないのが歯痒かった。
翠は一刻も早く帰宅して紅に会いたいのだ。
「明日は午前授業だからそのことをお母さんに伝えるのを忘れないように! それじゃあ日直、挨拶して」
翠に母親はいないが、その代わり家政婦の葛がいる。学校の連絡は以前配られたプリントを見た葛が把握しているので翠の場合はいちいち報告する必要はなかった。
そうなると、明日は早く帰っても葛がいるから紅とはすぐに話せないのかと考えながら翠は日直の号令に合わせて「さようなら」と毎日お決まりの――今年で五年目の――挨拶をしてのんびりとクラブ活動の為の教室へと向かった。
「翠! おはよ!」
「もう放課後だよ」
家庭科クラブの部室ともいえる家庭科室。ごく少ない人数で構成されているこのクラブに翠は所属していた。大抵の生徒は運動系のクラブに流れてしまうので文系のこのクラブは人数が少ない。
「俺はやく料理やりたいんだよなー」
「料理は後期にやるって久留米先生言ってたのに」
「そうだけどさぁ」
テーブル兼調理台を挟んで向かい側に座るのは唯一の男子部員である柚希だ。柚希の母親と翠のパパが同じ職場で働いているということもあってか二人は幼馴染で仲が良く、柚希がこのクラブを選んだのも楽そうだし翠が入るなら、という理由だった。
「でも柚希、この前先生に褒められてたじゃん」
「え? あぁーあれか……」
現在、家庭科クラブの活動は縫い物が中心で、先週から新しくフェルト人形の制作に入っていた。その中で柚希は縫い方が均一で真っすぐに縫えていると先生に褒められていたのだった。
「いやぁでも、俺べつに器用とかじゃないし。翠のがそういうの得意そうに見えるけど」
「ぼくはそこまでじゃないよ。ほら、先週だって切るフェルト間違えて作り直しだし」
翠は家庭科クラブに所属していながらあまり手先が器用な方ではなかった。それもそのはずで、本来ならバスケットボールクラブに入りたかったのだがパパに反対されたこともあって翠は人数不足であった家庭科クラブへの所属を余儀なくされたのだ。
「でもいいんじゃね? いま裁縫の練習しとけば後期に家庭科でトートバッグ作るときに失敗せずに済むだろ」
「それはあるかも。柚希って良い事言うよね、たまに」
「いや俺はいつも良い事しか言ってねぇから」
「意味わかんない」
翠と柚希が談笑しているとクラブ活動の始業時刻を少し過ぎてから大きなプラスチックの箱に生徒たちの作りかけの作品や材料を入れた家庭科クラブ担当の教師がやってきた。
「くるめっち遅―い」
「これ運ぶの大変で……! はい、じゃあ始めましょ!じゃあ鈴村さん、挨拶お願いします」
最初と最後の号令を除けば家庭科クラブは比較的自由なクラブだった。手さえ動かせば好きなだけお喋りできる――と、ほとんどの生徒は同じテーブルに座る者同士で作業しながら会話を楽しんでいた。定員割れしていたクラブだというのに随分と居心地の良いものだ。
教師からの簡単な話が終わり、ほとんどの生徒が席を立って作りかけの作品を取りにいった後で翠は新しい材料を貰うべく席を立って教室前方へと向かった。
「先生、あの」
「あ! 浦上さんのね。申し訳ないんだけど、前作ってた作品と同じ色のフェルトがなくて……でも黒いフェルトがあるから黒髪の女の子にしたらどうかな? って」
前回まで翠が作っていたのは自身の名前にちなんで緑色をした髪の女の子の人形だった。しかし緑色のフェルトを間違えて裁断してしまい、他のパーツは揃っているものの髪の毛のフェルトだけ無くなってしまった状況だった。
緑色のフェルトがないとなると、そもそもの計画である『自身の名前にちなんで緑髪の女の子』が崩れてしまう。
「わかりました。じゃあ黒髪の女の子にします」
嫌だとは言えなかった。もう緑色のフェルトは残ってないのだ。
「ごめんなさいね、じゃあこれ」
翠は黒いフェルトを受け取りつつ、失敗したのが悪いから仕方がないと自身を納得させる。
黒髪の女の子でも良いじゃないか。自分の髪色は黒で紅も髪色は黒だ。
そこまで考えて、新しい友達である紅をモチーフに人形を作ったらどうか? と翠は考え付いた。表情のパーツはまだ制作していない。紅に充分寄せる事ができる。
この名案を、さっそく形にしなくては。
「あれ、緑じゃねぇの?」
「うん。もうないんだって」
「いいん?」
それは勿論、翠の設計図を知っているうえでの発言だった。
「うん。最近……」
そこまで言いかけて翠は言葉を切った。
最近できた友達。パパには言わないと約束をしているが、他の人に話してはいけないとは言われていない。
しかし柚希の母親と翠のパパは職場が同じという繋がりがあり、もし翠が新しく出来た友達をモチーフに人形を作ったとなると万が一、憶が一にも柚希から柚希の母親へ、そしてパパへと伝わってしまい新しい友達とは誰なのかと問い詰められる可能性もなくはなかった。
「最近?」
「さ、最近、黒い髪の人形も良いかなって、考えてたから」
「へぇ」
苦し紛れの言い訳だったが柚希は手元に集中していることもあってか特に話を深堀されることもなく翠は事なきを得た。我ながらよく頭が回ったと翠は自画自賛した。
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