6 / 55
5
しおりを挟む
机の上に置いていたピンク色の小ぶりなスマートフォン、キッズ用の最低限連絡だけが取れるこのスマホがメールを受信したことを知らせた。このスマホに連絡ができるのはパパと葛だけで、この時間に来る連絡はパパだと翠は知っている。
『今から帰る』
メールの内容は基本的にいつも同じで『今から帰る』か『遅くなる』かのどちらかだ。翠のスマホの受信ボックスは同じ内容のメールばかり並んでいた。
パパが時間通りに帰って来る日には学校で起きた事を話すようにしていたが、もしかするとそろそろ自分の要求を伝えても良いのかもしれないと翠は考えた。今まではパパの言う事は絶対でただ黙って従っていたが、もう翠も十一歳だ。あれがしたいこれがしたいという欲求も今まで以上に出てきた訳で、それがマンガを読みたいだとか映画を見たいだとかその程度ならパパも聞いてくれるのではないのだろうか? 翠は少しだけ、強気な気持ちだった。紅が現れた事で、翠の内面にも些細だが変化があった。心強い友達がすぐ近くにいるということは味方がすぐ傍にいるような安心感に繋がったのだ。
パパに意見を言おうだなんて、そんな発想は今までなかったのだから。
九時を過ぎた頃。ヴーンという玄関のドアのロックが解除される音がしてパパが帰ってきたことを知らせた。翠はちょうどパパの夕飯を温め直していたところで、キッチンからおかえりなさいと声をかけた。
「先にシャワーを浴びてくる。少しぐらいなら冷めても構わないから食事は出しておいてくれ」
「わかった」
ジャケットを脱いでネクタイをゆるめながらパパはシャワールームの方へと消えて行った。パパが淡々としているのはいつものことで、たくさんの児童向け小説に出てきたような大らかで優しい家族思いな父親とは程遠いように翠は思っている。翠から見てパパはいつだって何を考えているのかさっぱりな上に厳格すぎる。表情もあまり変わらない。背も高く娘の翠でさえも時折恐怖を感じてしまう存在だった。
ビーフシチューと輪切りにしたフランスパン、それからレタスのサラダをお盆に載せてテーブルへと運ぶ。強制されている訳ではなかったが、毎日遅くまで働いて休みもああまり取っていないパパに、子供心ながらせめてこのくらいはしてあげたいという翠の気持ちだった。
テレビをつけるとちょうど毎週金曜九時から放送されている豆知識クイズの番組の途中で、パパを待つ間これでも見ていようとソファに座り翠はぼぅっとその番組を眺めていた。
ドライヤーの音が止む。リビングへ続くドアが開く。
「学校はどうだった?」
ここからは父と娘の時間だった。もちろんこの時間が無い日もある。今日はある日だった。
「いつも通り、楽しかったよ」
翠はテレビを消してから再びキッチンへと向かい葛が翠の誕生日にとプレゼントしてくれたマグカップを手に取りそこに牛乳を注いだ。そうしてそれをレンジに入れて温める。
「クラスの子――凛子ちゃんって子に放課後遊ぼうって誘われたんだ」
「断ったのか」
「うん、もちろん」
「ならいい」
小学五年生にもなるとパパが放課後に遊びに行く事を絶対許してはくれないと翠はよくわかっていた。けれど高学年になったことでパパが『もう高学年なんだから遊びに行ってもいい』と許可を出さないか少しだけ期待したのだ。その期待はたった今外れてしまったが。
ホットミルクが出来上がりそれを持ってパパが食事をしている反対側に翠は座る。
「実はパパにお願いがあって」
そう話を切り出すとパパは顔をあげて鋭い目で翠のことを直視した。パパは視線が鋭くて、端的に言えば顔が怖い。けれど幼い頃の翠が葛にそれを話したところ葛は『あぁみえて優しい人だ』という。
「前に買ってもらった本、全部読み終わっちゃって」
翠は続ける。どのように言葉を選べばパパの癇に障らないか、慎重に続ける。
「だから、新しい本が欲しいなって。それか映画のディスクとか……勉強の息抜きになるものが何もなくって」
はっきりと、直球にマンガが読みたいだとかこういう映画がみたいだとかそう言えたら幾分か楽なものだ。しかし、パパの様子を伺いながら話をするとき、翠はどうにも遠回しない方をしてしまう。
「わかった、考えておく」
「ありがとう……」
結局、マンガやゲーム機が欲しいとは言えなかった。例え言えたとしても買ってもらえる事はないだろう。
パパに自分の意見を言うときにはどうにも緊張してしまう。そこでようやく翠はホットミルクに口を付けた。生ぬるくて、薄い膜が口のなかに張り付く。どうにも拭えない不快感を抱きながら翠はホットミルクを飲み干し、逃げるように自室へと向かった。
先程書き終えたばかりの交換日記を引っ張り出し、下に残った僅かなスペースに『パパにお願いしたけどゲームやマンガは買ってもらえなさそう』と付け足し、泣いている絵文字も添えて置いた。パパが厳しいのは昔からだ。仕方がない。そう自分に言い聞かせて、バイトができる年齢になったらアルバイトをして好きなものを買おうと翠は密かに心に決めたのだった。
『今から帰る』
メールの内容は基本的にいつも同じで『今から帰る』か『遅くなる』かのどちらかだ。翠のスマホの受信ボックスは同じ内容のメールばかり並んでいた。
パパが時間通りに帰って来る日には学校で起きた事を話すようにしていたが、もしかするとそろそろ自分の要求を伝えても良いのかもしれないと翠は考えた。今まではパパの言う事は絶対でただ黙って従っていたが、もう翠も十一歳だ。あれがしたいこれがしたいという欲求も今まで以上に出てきた訳で、それがマンガを読みたいだとか映画を見たいだとかその程度ならパパも聞いてくれるのではないのだろうか? 翠は少しだけ、強気な気持ちだった。紅が現れた事で、翠の内面にも些細だが変化があった。心強い友達がすぐ近くにいるということは味方がすぐ傍にいるような安心感に繋がったのだ。
パパに意見を言おうだなんて、そんな発想は今までなかったのだから。
九時を過ぎた頃。ヴーンという玄関のドアのロックが解除される音がしてパパが帰ってきたことを知らせた。翠はちょうどパパの夕飯を温め直していたところで、キッチンからおかえりなさいと声をかけた。
「先にシャワーを浴びてくる。少しぐらいなら冷めても構わないから食事は出しておいてくれ」
「わかった」
ジャケットを脱いでネクタイをゆるめながらパパはシャワールームの方へと消えて行った。パパが淡々としているのはいつものことで、たくさんの児童向け小説に出てきたような大らかで優しい家族思いな父親とは程遠いように翠は思っている。翠から見てパパはいつだって何を考えているのかさっぱりな上に厳格すぎる。表情もあまり変わらない。背も高く娘の翠でさえも時折恐怖を感じてしまう存在だった。
ビーフシチューと輪切りにしたフランスパン、それからレタスのサラダをお盆に載せてテーブルへと運ぶ。強制されている訳ではなかったが、毎日遅くまで働いて休みもああまり取っていないパパに、子供心ながらせめてこのくらいはしてあげたいという翠の気持ちだった。
テレビをつけるとちょうど毎週金曜九時から放送されている豆知識クイズの番組の途中で、パパを待つ間これでも見ていようとソファに座り翠はぼぅっとその番組を眺めていた。
ドライヤーの音が止む。リビングへ続くドアが開く。
「学校はどうだった?」
ここからは父と娘の時間だった。もちろんこの時間が無い日もある。今日はある日だった。
「いつも通り、楽しかったよ」
翠はテレビを消してから再びキッチンへと向かい葛が翠の誕生日にとプレゼントしてくれたマグカップを手に取りそこに牛乳を注いだ。そうしてそれをレンジに入れて温める。
「クラスの子――凛子ちゃんって子に放課後遊ぼうって誘われたんだ」
「断ったのか」
「うん、もちろん」
「ならいい」
小学五年生にもなるとパパが放課後に遊びに行く事を絶対許してはくれないと翠はよくわかっていた。けれど高学年になったことでパパが『もう高学年なんだから遊びに行ってもいい』と許可を出さないか少しだけ期待したのだ。その期待はたった今外れてしまったが。
ホットミルクが出来上がりそれを持ってパパが食事をしている反対側に翠は座る。
「実はパパにお願いがあって」
そう話を切り出すとパパは顔をあげて鋭い目で翠のことを直視した。パパは視線が鋭くて、端的に言えば顔が怖い。けれど幼い頃の翠が葛にそれを話したところ葛は『あぁみえて優しい人だ』という。
「前に買ってもらった本、全部読み終わっちゃって」
翠は続ける。どのように言葉を選べばパパの癇に障らないか、慎重に続ける。
「だから、新しい本が欲しいなって。それか映画のディスクとか……勉強の息抜きになるものが何もなくって」
はっきりと、直球にマンガが読みたいだとかこういう映画がみたいだとかそう言えたら幾分か楽なものだ。しかし、パパの様子を伺いながら話をするとき、翠はどうにも遠回しない方をしてしまう。
「わかった、考えておく」
「ありがとう……」
結局、マンガやゲーム機が欲しいとは言えなかった。例え言えたとしても買ってもらえる事はないだろう。
パパに自分の意見を言うときにはどうにも緊張してしまう。そこでようやく翠はホットミルクに口を付けた。生ぬるくて、薄い膜が口のなかに張り付く。どうにも拭えない不快感を抱きながら翠はホットミルクを飲み干し、逃げるように自室へと向かった。
先程書き終えたばかりの交換日記を引っ張り出し、下に残った僅かなスペースに『パパにお願いしたけどゲームやマンガは買ってもらえなさそう』と付け足し、泣いている絵文字も添えて置いた。パパが厳しいのは昔からだ。仕方がない。そう自分に言い聞かせて、バイトができる年齢になったらアルバイトをして好きなものを買おうと翠は密かに心に決めたのだった。
0
あなたにおすすめの小説
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。
設楽理沙
ライト文芸
2026.1.4 73話見直した際、瑛士の台詞《本音/懺悔》を加筆しました。😇
☘ 累計ポイント/ 200万pt 超えました。ありがとうございます。
―― 備忘録 ――
第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。 最高 57,392 pt
〃 24h/pt-1位ではじまり2位で終了。 最高 89,034 pt
◇ ◇ ◇ ◇
紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる
素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。
隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が
始まる。
苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・
消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように
大きな声で泣いた。
泣きながらも、よろけながらも、気がつけば
大地をしっかりと踏みしめていた。
そう、立ち止まってなんていられない。
☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★
2025.4.19☑~
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
義妹の嫌がらせで、子持ち男性と結婚する羽目になりました。義理の娘に嫌われることも覚悟していましたが、本当の家族を手に入れることができました。
石河 翠
ファンタジー
義母と義妹の嫌がらせにより、子持ち男性の元に嫁ぐことになった主人公。夫になる男性は、前妻が残した一人娘を可愛がっており、新しい子どもはいらないのだという。
実家を出ても、自分は家族を持つことなどできない。そう思っていた主人公だが、娘思いの男性と素直になれないわがままな義理の娘に好感を持ち、少しずつ距離を縮めていく。
そんなある日、死んだはずの前妻が屋敷に現れ、主人公を追い出そうとしてきた。前妻いわく、血の繋がった母親の方が、継母よりも価値があるのだという。主人公が言葉に詰まったその時……。
血の繋がらない母と娘が家族になるまでのお話。
この作品は、小説家になろうおよびエブリスタにも投稿しております。
扉絵は、管澤捻さまに描いていただきました。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる