パパには言わない

田中潮太

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少女たちの深まる仲

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 それは小学六年生の冬の事だった。
 その日は水曜日で週の半ば、寒いこともあってか体がとても重く感じる日だった。前日の夜中に目を覚ましてしまったのがよくなかったのかもしれない。
 前日に用意を済ませた教科書やノートの入ったランドセルを背負っていつも通りに登校し、席に着く。五年から六年へ上がる際はクラス替えなどもなく翠は六年生になっても教室内でも一人を貫いていた、筈だった。

「翠! おはよう!」
「みどりん! おはよっ!」
「浦上、よっす!」

 教室に入った途端、既に登校してきていたクラスメイトの多くが翠に声をかける。今までではありえない事だった。良くも悪くも、翠を仲間外れにすることで調和を保っていた節があったこのクラスで、唐突に何が起こったのか翠は理解ができなかった。新手のいじめかと疑ったほどだ。しかし翠が席につくと一気に三人程の女子――それもクラスの中心核の――が翠にわっと話しかけ、翠は戸惑いつつも会話を楽しんだ。

 影で笑われたりだとか、さりげなく嫌な事を言われたりだとか、そのような事は一切なく純粋な好意で話しかけられている。それははっきりと感じられた。
 しかし、昨日までは存在しないかのように扱われていた自分が何故こうなっているのか。翠には心当たり全くなかった。もしや自分のいないところで担任の教師が仲間外れはやめるように皆を叱りつけたのだろうか? だとすれば何故今更? 一年近くも前から仲間外れは始まっていたというのに。翠の頭の中を様々な推測が過る。しかしどれもこれも裏付けのないただの妄想でしかなかった。

 一時間目の授業が始まるとき、翠は異変に気が付いた。
 時間割を確認しようと教室のサイド、廊下側の黒板を確認する。しかしそこに書かれていたのは木曜日の時間割で本来なら今日の時間割、つまり水曜日の時間割が書かれていないとおかしい。しかし時間割を書き換える当番が間違えて木曜日の時間割を書いてしまったのだと納得し、翠はさりげなく周囲を見渡し一時間目の教科書とノートを用意した。そして号令に合わせて姿勢を正し前を向いた時、黒板の端に書かれている今日の日付と曜日が目に入った。

 そこには間違いなく今日が木曜日であると示されていた。もしかすると日直が日付も時間割も書き間違えたかと……そう考えてはみたが、どうにも引っかかる。授業はとっくに始まっていたが翠は改めてランドセルの中身を確認した。
 そこにあったのは黒板に書いてある通りの、木曜日の時間割の教科書とノートだった。
 何が起きたのかわからなかった。昨夜、確かに翠は水曜日の時間割通りに教科書の用意をした。しかし今ここにあるのは木曜日の教科書やノート、それに黒板に書かれた日付や時間割も木曜日。翠は自分を疑った。この時ばかりは自分がうっかり今日が水曜日であると思い込んでいただけなのかもしれない。そう納得しようにも違和感は拭えなかった。
 結局、翠は一時間目の授業を集中して受けることができなかった。

 一時間目が終わるとやはり数人の女子が翠の席を取り囲んだ。 

「今日の中休み、一年生の教室にお世話しに行かない?」
「いいね! 一年生って可愛いよねぇ」
「あたしこの前の折り紙残ってるから持ってくよ」
「あ、それならぼくハートの折り方を教えてあげようかな?」
「めっちゃいいじゃん! きっと女子は喜ぶよ」
「てかみどりんハートなんて折れるの? 器用だね~」

 それとなく、翠なりに彼女たちに合わせて会話に混ざると悪意のない返事が返って来る。一体どういう風の吹きまわしなのかさっぱりだった。探る事すらできない。やはり、どこかで担任が翠を仲間外れにしないよう皆を叱ったのだろうか? 疑問は消えない。
 中休みになった時、先ほどの約束通り数人の女子で連なって一年生の教室に向かおうとして翠はあることに気が付いた。
 玲那がひとりでぽつんと座っているのだ。
 玲那は翠を避けるようになってから、今まさに翠の前を歩く女子たち、凛子と瑞樹と由愛と行動を共にしていた筈だ。そう言えば一時間目が終わった後も玲那だけは翠のところへ集まっていなかった。翠はいじめを受けていたとは思っていなかったが、もしや仲間外れのターゲットが変わったのだろうか。そうだとしたらいくらなんでも陰湿すぎる上に翠はこの三人と行動を共にしたくはない。
 しかしそれを直球に尋ねる事も出来なかった。

 昼休み。翠は掃除当番だった。掃除をしている班には由愛がおり、掃除の最中に翠は由愛に玲那の事を尋ねようとした。玲那が仲間外れにされて、自分が受け入れられている。その事実が気になって仕方がなかった。

「ねぇ由愛」
「んー?」
「玲那、さ。どうしちゃったのかなーって」

 机用の雑巾で机を拭きながら慎重に話を切り出すと由愛は何か面白いことでもあったかのようにくすくすと笑って、机を拭いていた手も止め一旦周囲を確認するようにしてから声を潜めて言った。

「だってみどりんにあんな風に言われちゃったらもうぼっちでいるしかなくない?」

 自分が玲那に何かを言った? そんな記憶は全くない。そもそも玲那どころかクラスメイトと会話する事さえ稀なのだ。

「そ、そうかな?」
「そうっしょ。みどりん、ずっと大人しい子だと思ってたから。昨日はほんとびっくりしたもん」

 昨日。昨日の翠はいつものように誰とも特に話す事なく下校した筈だ。玲那に何かを言ったなんて、そんなことはあり得ない。玲那とはしばらくの間会話すらしていない。なにかの聞き間違えだろうかと翠は耳を疑う。しかし聞き返す事はできない。

「あはは、つい……」

 何が『つい』なのか翠はさっぱりだったがここは話を合わせるしかないとそれらしい返事をする。その返事は正しかったようで、由愛はそれ以上何も口にしなかった。

 翠とおんなじクラブが良かった! と言う凛子たちと別れ翠はひとり家庭科室へと向かっていた。今日起きた様々な出来事の処理が追い付かず頭を悩ませていたところに、いつもの元気な声が降りかかる。

「よっす!」
「柚希」
「どしたん? 風邪? げっまさかインフル?」

 必死に頭を悩ませていた翠の姿が具合の悪いように見えたのか柚希に心配され、思わず翠の口から可笑しな笑みが漏れ出てしまう。

「ぼくは元気だよ」
「インフルじゃねぇのかよ。あーあ、学級閉鎖になればいいのに」
「ぼくがインフルエンザだとしても柚希のクラスは学級閉鎖にならないじゃん」
「まぁなー」

 翠が孤立していても柚希は良い友達のままだった。学年中に友達がいる柚希の事だ。翠が孤立していることは柚希も知っていたに違いない。しかしクラブ活動で顔を合わせても柚希は今までと変わらず翠に接してくれていた。翠はそれがとても嬉しく、教室内の孤独には慣れていたとはいえ、柚希と話ができる毎週木曜日のクラブ活動が楽しみだった。それは六年生になっても変わらず続いている。

「あ、そういえばさ」
「ん?」
「昨日、ぼくのクラスで何かあったの……知ってる?」

 例えば、翠がいない間に担任が仲間外れをしないよう皆を叱りつけたとか。そんな風には流石に聞けないので翠はぐっと抑える。

「何かって?」
「いや、知らないならいいよ。なんでもない」

 柚希は知らないようだったので翠は誤魔化したが、他のクラスには伝わっていないとなると翠と玲那、それに凛子たちの間で何かがあったのだろうかと翠は考えていく。今朝登校した際には男子にも挨拶されていたとなると、教室内でそれなりに大きな騒ぎになっていたのだろうか? もう全く見当がつかなかった。

 帰ったら紅にこの不思議な出来事の話をしよう――そう思った時、翠の中でひとつの可能性が浮上した。いやでもまさか。そんな筈はないと翠はその可能性を振り払う。けれど百パーセントないとは言い切れないことだった。家に帰り紅に確認を取るまではその可能性がないとは言い切れない。
 その『可能性』が事実であれば今日起きた不思議な出来事のすべてに合点が行くのだ。
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