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変化していく日常
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次に紅に会う事ができたのは翌日、日曜日だった。
パパは予定があり朝から出かけている。帰ってくるのは夜だという。翠はパパはを送り出した後で早速クローゼットの扉を開いた。
「おはよう紅」
「おはよう翠。昨日はどうだった?」
翠は昨日一日が楽しい一日だったと紅に報告をした。これからは葛とも仲良くなれそうだという事、紅とも様々な場所へ出かけたいという事も伝えた。黙って話を聞いていた紅は楽しそうに話をする翠とは反対に難しい顔をしている。
「紅? どうかした?」
興奮気味に話をしていた翠だったが不意に紅の様子に気が付き口を閉じる。
「ううん、なんでもないんだけど……」
その様子は「なんでもない」ようには見えなかった。
「ごめん、ぼく喋りすぎてた?」
「違う、違うんだけど……」
紅は何かを考え込んでいた。まるで翠の存在など見えていないかのようにじっと何かを考え込んでいる。
「葛さんが家で働き始めたのって、翠が三歳の時よね?」
「そうだと思う。保育園に迎えに来てくれてたのを覚えてるから」
「そうよね……」
紅は葛の事ををあまり知らない筈だ。紅がクローゼットに閉じ込められたのは三歳の時。葛が家に来るようになったのは翠が四歳の時。そして紅は葛に直接会ったことがない筈だ。
「あ、でも葛さんはぼくを避けてたって。ぼくに心当たりはないんだけど」
翠は昨日感じた疑問を紅にも説明した。何故葛が自分を避けていたのかはさっぱりわからないと。
「葛さん、は」
「うん?」
「翠を怖がってたのよね?」
「怖がってたと言うか、苦手だったって。ぼくは避けられてるとは思っていなかったけど……でもなんでぼくを避けていたのかはわからないんだ」
「…………考えすぎじゃないかしら?」
「えっどういうこと?」
「葛さんって子供がいないんでしょう? それなら小さい子供との接し方がわからなくて避けていても不思議じゃないわ」
「そうかなぁ……」
「考えすぎよ。もう過ぎた事だわ。それにこれからは上手くやれそうなら良かったじゃない」
「そっか、そうだよね」
葛は正直に、翠が苦手だったと話してくれたのだ。だというのに翠が歩み寄らなくては意味がない。葛の意図がわからずあれこれ考えてしまったが紅の言う通り、過ぎた事だ。
「もしかしたら葛さんなら紅のこともわかってくれるんじゃない? 昨日だってすごく楽しめたし、これからは仲良くできそうだし、葛さんなら……」
「だめよ。絶対にだめ」
遮るようにぴしゃりと言われ翠は出しかけていた言葉を引っ込めた。しかし翠は意見を曲げずすぐに言葉を続けた。このままではいけないと翠も薄々感じていたのだ。
「でも紅だって、ぼく以外の人と話したくないの? ぼくのフリは無しでさ、紅のままで」
翠にとって昨日の時点で葛は信頼に値する人物になっていた。きっと紅のことも理解してくれると、そう考えたのだ。
「わたしの存在は絶対に知られちゃいけない。万が一パパにばれたらどうなるか。それに……」
強迫的に、紅は翠の存在が見えていないかのように呼吸を荒くして取り乱していた。紅はパパに自身の存在が知られる事を極端に怖がっている。長年クローゼットに押し込められ鍵をかけられていた。もしも勝手にクローゼットから出てあまつさえ翠のフリをしている事が知られてしまったらどうなるか。紅にとってそれはとてつもなく恐ろしいことなのだろう。
「でも葛さんはぼくに謝ったことをパパには内緒にしてって言ったんだ。だからパパに言うようなことは無いと思う」
「違う、あの人は翠を避けていたんじゃない、わたしを怖がっていたんだわ……」
「どういうこと? だって、紅のことはパパしか知らないんでしょ?」
翠が尋ねると紅ははっとした表情で翠を見つめたが一拍置いてゆっくりとため息を吐き出した。
「パパが話したのよ、わたしのこと。何かの間違いでわたしがクローゼットから出たら大変だもの……万が一のことがないように話したのよ」
紅の話はあくまで紅の憶測でしかない。
葛の勤務時間は夕方まで。翠がまだ小さい時でさえ十九時までの勤務だった。それなのに幼い翠を苦手とする理由がない。そもそも子供が苦手だというなら小さな子供のいる家で家政婦などしない。小さい子どもが苦手だった、という予想は間違っている事となる。
「翠。葛さんも信頼してはダメ。パパとどう繋がっているかわからないもの。わたしの存在は絶対に知られてはだめなんだから」
紅の目は真剣だった。真剣以上に不気味に、唯一の繋がりである翠にさえも毒の牙を向けるようなそんな生彩。
「わ、わかった」
翠は力強く頷いた。頷く以外の選択肢はここにはない。
紅を守る必要があった。ほんの些細なことでも紅に繋がることを葛に話さない。気がつかれてはいけない。翠は自身の認識の甘さを反省し何があっても誰にも紅の事は話さないよう、紅を守ると決めた。
さながら騎士のような気分だ。
「今日は疲れたからもう休むわ。わたしが次に学校へ行くのは明後日で良い?」
「うん。紅、ごめんね」
「いいの。わたしが無理を言っているんだもの」
その言葉を最後に紅はクローゼットの奥へと消えた。翠にとって紅は大切な存在だ。万が一パパに紅の存在が知られてしまえばもう二度と紅に会えないかもしれない。恐ろしい事だ。せっかく出会う事のできた存在を失ってしまうなど、あってはならない。
紅の存在は、誰にも知られてはいけないのだ。
パパは予定があり朝から出かけている。帰ってくるのは夜だという。翠はパパはを送り出した後で早速クローゼットの扉を開いた。
「おはよう紅」
「おはよう翠。昨日はどうだった?」
翠は昨日一日が楽しい一日だったと紅に報告をした。これからは葛とも仲良くなれそうだという事、紅とも様々な場所へ出かけたいという事も伝えた。黙って話を聞いていた紅は楽しそうに話をする翠とは反対に難しい顔をしている。
「紅? どうかした?」
興奮気味に話をしていた翠だったが不意に紅の様子に気が付き口を閉じる。
「ううん、なんでもないんだけど……」
その様子は「なんでもない」ようには見えなかった。
「ごめん、ぼく喋りすぎてた?」
「違う、違うんだけど……」
紅は何かを考え込んでいた。まるで翠の存在など見えていないかのようにじっと何かを考え込んでいる。
「葛さんが家で働き始めたのって、翠が三歳の時よね?」
「そうだと思う。保育園に迎えに来てくれてたのを覚えてるから」
「そうよね……」
紅は葛の事ををあまり知らない筈だ。紅がクローゼットに閉じ込められたのは三歳の時。葛が家に来るようになったのは翠が四歳の時。そして紅は葛に直接会ったことがない筈だ。
「あ、でも葛さんはぼくを避けてたって。ぼくに心当たりはないんだけど」
翠は昨日感じた疑問を紅にも説明した。何故葛が自分を避けていたのかはさっぱりわからないと。
「葛さん、は」
「うん?」
「翠を怖がってたのよね?」
「怖がってたと言うか、苦手だったって。ぼくは避けられてるとは思っていなかったけど……でもなんでぼくを避けていたのかはわからないんだ」
「…………考えすぎじゃないかしら?」
「えっどういうこと?」
「葛さんって子供がいないんでしょう? それなら小さい子供との接し方がわからなくて避けていても不思議じゃないわ」
「そうかなぁ……」
「考えすぎよ。もう過ぎた事だわ。それにこれからは上手くやれそうなら良かったじゃない」
「そっか、そうだよね」
葛は正直に、翠が苦手だったと話してくれたのだ。だというのに翠が歩み寄らなくては意味がない。葛の意図がわからずあれこれ考えてしまったが紅の言う通り、過ぎた事だ。
「もしかしたら葛さんなら紅のこともわかってくれるんじゃない? 昨日だってすごく楽しめたし、これからは仲良くできそうだし、葛さんなら……」
「だめよ。絶対にだめ」
遮るようにぴしゃりと言われ翠は出しかけていた言葉を引っ込めた。しかし翠は意見を曲げずすぐに言葉を続けた。このままではいけないと翠も薄々感じていたのだ。
「でも紅だって、ぼく以外の人と話したくないの? ぼくのフリは無しでさ、紅のままで」
翠にとって昨日の時点で葛は信頼に値する人物になっていた。きっと紅のことも理解してくれると、そう考えたのだ。
「わたしの存在は絶対に知られちゃいけない。万が一パパにばれたらどうなるか。それに……」
強迫的に、紅は翠の存在が見えていないかのように呼吸を荒くして取り乱していた。紅はパパに自身の存在が知られる事を極端に怖がっている。長年クローゼットに押し込められ鍵をかけられていた。もしも勝手にクローゼットから出てあまつさえ翠のフリをしている事が知られてしまったらどうなるか。紅にとってそれはとてつもなく恐ろしいことなのだろう。
「でも葛さんはぼくに謝ったことをパパには内緒にしてって言ったんだ。だからパパに言うようなことは無いと思う」
「違う、あの人は翠を避けていたんじゃない、わたしを怖がっていたんだわ……」
「どういうこと? だって、紅のことはパパしか知らないんでしょ?」
翠が尋ねると紅ははっとした表情で翠を見つめたが一拍置いてゆっくりとため息を吐き出した。
「パパが話したのよ、わたしのこと。何かの間違いでわたしがクローゼットから出たら大変だもの……万が一のことがないように話したのよ」
紅の話はあくまで紅の憶測でしかない。
葛の勤務時間は夕方まで。翠がまだ小さい時でさえ十九時までの勤務だった。それなのに幼い翠を苦手とする理由がない。そもそも子供が苦手だというなら小さな子供のいる家で家政婦などしない。小さい子どもが苦手だった、という予想は間違っている事となる。
「翠。葛さんも信頼してはダメ。パパとどう繋がっているかわからないもの。わたしの存在は絶対に知られてはだめなんだから」
紅の目は真剣だった。真剣以上に不気味に、唯一の繋がりである翠にさえも毒の牙を向けるようなそんな生彩。
「わ、わかった」
翠は力強く頷いた。頷く以外の選択肢はここにはない。
紅を守る必要があった。ほんの些細なことでも紅に繋がることを葛に話さない。気がつかれてはいけない。翠は自身の認識の甘さを反省し何があっても誰にも紅の事は話さないよう、紅を守ると決めた。
さながら騎士のような気分だ。
「今日は疲れたからもう休むわ。わたしが次に学校へ行くのは明後日で良い?」
「うん。紅、ごめんね」
「いいの。わたしが無理を言っているんだもの」
その言葉を最後に紅はクローゼットの奥へと消えた。翠にとって紅は大切な存在だ。万が一パパに紅の存在が知られてしまえばもう二度と紅に会えないかもしれない。恐ろしい事だ。せっかく出会う事のできた存在を失ってしまうなど、あってはならない。
紅の存在は、誰にも知られてはいけないのだ。
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