パパには言わない

田中潮太

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変化していく日常

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 中学校生活はその後も順調だった。
 数日経つと女子のグループはいくつかの派閥に分かれたものの、いじめなどもなく翠も新しい友達と行動を共にするようになった。

「次美術だってー」
「美術室ってどこ?」
「知らね~」

 移動教室の時間になると教室内は騒がしくなる。校舎は広くまるで迷路のようだ。初回の美術の時間はこれといった持ち物はなし。

「翠、行こう」
「うん」

 翠はパパに買ってもらったペンケースを持って友人と共に美術室へ移動する。
 新しく出来た友人は翠とは違う小学校から来た。彼女の穏やかな性格が翠にとって居心地が良く自然と行動を共にするようになった。それは相手も同じだったようで気が付けば翠は彼女と二人で過ごすようになった。

「葉月って絵が上手そうだよね」

 彼女、葉月はショートカットのよく似合う背の高い女子だった。翠から見ても葉月はしっかり者で誰に対しても分け隔てなく接する。外見の通り少しだけ大人っぽくも見える。
 何故自分と一番仲良くしてくれるのかを翠が疑問に思う程に葉月は良い友人だった。

「そんなことないよ、人の絵を描いたら頭がでっかくなっちゃうから」
「ぼくなんて人の絵すらまともに描けないよ」

 談笑しながら美術室へと向かう。まだ新しい上靴が廊下を歩くとキュッと小気味よい音をたてる。窓から差し込む光は暖かくブレザーを脱いでベスト姿になっても良いくらい心地の良い天気だった。

 初回の美術の授業はクロッキーブックと鉛筆が配られ自らの手のスケッチを行った。右手に鉛筆を持ち、左手を観察し描く。自分の手をじっくり見るのは初めてのように思う。じっと見ているとゲシュタルト崩壊を起こしたかのように自分の手が、自分の手ではないような不思議な錯覚に陥る。
 この感覚はまるで……と翠が考えたところで静かだった美術史に教師の声が響いた。

「はい、終了!」

 教師の掛け声と共に書く事を止める。翠は手の形を描き上げた所で終わってしまい、細かい皺などは描く事ができなかった。

「それじゃあ左上に今日の日付を書いて。毎週授業の始めに描くからね」

 はーいだとかめんどくせーだとか各々自由に返事が上がる。現代文や数学に比べて美術や音楽は勉強してどうにかなる教科ではない。パパを失望させない為にも頑張らなくてはと――しかしそれは翠にとって憂鬱だった。小学校の音楽や図工の授業は基本的に満点を貰えたが中学はそうはいかないだろうと、これからの授業が憂鬱で堪らない。それに週に一度翠は紅と入れ替わる。その一日で授業についていけなくなるのではと懸念している。対策を考えなくてはいけない。

「翠? 具合悪い?」
「え?」
「下向いてじっとしてたから。大丈夫?」
「あ、ううん、なんでもない。ちょっと考え事してただけ」
「そっか、なら良いんだ」
「うん」

 顔に出ていたかと翠は慌てて取り繕う。些細な変化にも気を付けなくてはいけない。紅と入れ替わっていても気がつかれないように。そう思うとせっかくの中学校生活の始まりだというのに翠には心配事が多すぎる。

「あ、翠!」

 教室に戻る途中、翠は男子の声に呼び止められた。咄嗟に振り向くと少し離れたところで柚希が腕をぶんぶんと振っているのが目に入った。

「英語の教科書持ってない!?」

 廊下を突き抜けるような大声。

「あるけど……」

翠の声が柚希へ届いていたかはわからない。しかし伝わったようで再び大声が翠を突き抜けていく。

「貸して! 俺忘れたんだわ!」
「いいけど、待ってて」

 今度は少しだけ大きな声で返事をした。
 一時間目に終わった英語の教科書を取りに翠は教室に入りリュックの中から新品同様の教科書を引っ張り出す。それを教室の前へ教科書を受け取りに来た柚希に手渡すと二つ隣の教室の前でそれを見ていた柚希の友人らが冷やかしの声をあげた。

「おい柚希彼女かー!?」
「彼女可愛いっすねー!」
「お似合いじゃーん!」

 その野次は不快だった。気味の悪い虫に遭遇したような心地で翠は苦虫を噛み潰したように表情を露にした。
この年頃の男子が幼稚なのは翠もよく知っていたがその矛先が自分に向けられるのは我慢ならない。今までの自分であれば何を言われても気にならなかった。しかしこの時は何故だかその言葉に心をかき乱されて仕方がなかった。
しかし翠には言い返す言葉が見つからない。先生に言いつけてしまっては逆にひどい目に合うかもしれない。要は無視するのが一番だと、翠はふつふつと沸き上がってきた感情に蓋をする。

「サンキューな。あいつら別に悪気があるわけじゃないから」

 その点、柚希は大人だった。保育園からの腐れ縁だが柚希は年相応なようで、大人びいた面がある。

「知ってる。別にいいよ。気にしない」

 葉月に柚希。二人の友人を見習って自分も大人にならなければと、極力落ち着いたふりをして返事をした。

「おう。じゃあ後で返すわ」

 男子はあまり好きではない。この時生まれた嫌悪感は全ての男子に当てはまるような気がして翠の気分はしばらくの間どんよりと落ち込んでいた。翠は元々男子と積極的に会話をするほうではなかった故に、少しの歪のせいで余計にそう思ってしまうのだ。
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