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平穏なひととき
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家に帰ると珍しく葛の姿がなかった。翠を避けていたと謝罪された日からずっと葛は翠の帰りを待っていたというのに今日は何かあったのだろうかとリビングのテーブルの上を見る。そこには予想通りメモが残されていた。
『翠ちゃんへ
今日は予定があるので早めに帰ります。以前から渡そうと思っていたものも入れておきます。買ってきたので良かったら使ってください』
イスの上には紙袋。しかし以前のような黒い紙袋ではなく淡い水色の、これもどこかのお店のショッパーのようだった。中身を覗くとそこにはスポーツブラが数枚と月経用ショーツが数枚、それから生理用ナプキンが入っていた。
スポーツブラに関しては翠も以前からそろそろ必要だと考えていたがパパには言えず困っていたのでありがたかった。しかしこのタイミングで月経用ショーツや生理用品が入っていた事に翠は違和感を覚えた。
(紅が昨日生理の血がついたって葉月に誤魔化したって言ってたし……葛さんにも同じ事を言ったのかな?)
紅に聞けばわかることかと、翠はメモと水色のショッパーを手にさっそく自室へと籠る。
「紅、ただいま」
「おかえり。今日どうだった?」
いつものやり取り。しかし翠は続けた。
「あのさ、葉月や葛さんに生理がどうとかって話した? あと、ブラウスの袖に血がついてたって」
「あぁ、そのこと」
まるで大した事ではないというように紅は言う。
「学校へ行く途中に道の真ん中で猫が死んでいたの。可哀想だったからせめて人目につかない場所に動かそうと思って猫の死体を近くの公園の茂みまで運んだのよ。その時には気が付かなかったけど、袖に猫の血がついていたみたいで」
「なんでそれを言わなかったの?」
「気味悪がられるかと思って。素手で猫の死体を触った事。咄嗟に死体を動かしたとはいえ手に嫌な感触も残っていたし……それに、翠が知ったら気分を害するかなって。怪我をしたと言えばパパに伝わって嘘がバレてしまうかもしれないし……だから葉月や葛さんには生理の血がついたって言えば誤魔化せるかと思ったの。ごめんなさい」
申し訳なさそうに頭を下げる紅に翠は戸惑い、慌てた。紅はいつも冷静で且つ翠よりも一歩先を行く。この手で猫の死体に触れたことなどどうでも良かった。それよりも猫の死体を公園まで移動させその事で翠が不快になるかもしれないとそれらしい理由で即座に誤魔化した紅は機転が利く上に自分の事をよく考えてくれたのだと翠は感服だった。
翠はいつも紅に気が付かされてばかりだ。自分が紅を守ると決めておきながら紅を一人の人として見ていなかったり紅を疑ったりと散々な自分を翠は嫌悪した。
「そうだったんだ……ぼくこそごめん。疑ったりなんかして……それに猫の死体を安全な場所に移動させるなんてすごいよ。ぼくだったらきっと無視しちゃう」
「きちんと翠に伝えておくべきだった。本当にごめんなさい」
「ぼくだったら生理の血がついたなんて咄嗟に誤魔化せなかったよ。やっぱり紅はすごいよ」
素直に猫の死体を触ったといえば気味が悪いと思われるかもしれない。医者であるパパは素手で猫の死体に触れた事に良い顔はしないだろう。それに何より月経の血がついてしまったといえば相手は良くない事を聞いたと思うか逆に心配すらもしてくれるかもしれない。初潮がまだの翠でも学校で周囲の話を聞きその事はよく知っていた。
「だからやっぱり紅ってすごいよ」
心からの尊敬、そして感謝。紅の機転の良さや知識は表の人格として十二年生きてきた翠を上回るものだった。
「そんなこと……」
「ぼくより頭が良いし咄嗟のことにもすぐ対応できて、それにぼくたちの事を気づかれないようにアイデアを出してくれるのはほとんど紅だから。ぼくだけの考えで動いていたらとっくにぼくらは一緒にいられなかったと思う」
紅は照れたように俯いていた。翠の述べた事は全て翠が感じ取った事であり事実だ。表に出ている時間は圧倒的に翠が多い筈だと言うのに、困りごとが起きるといつも紅がアイデアを出す或いはその場で機転をきかせ解決していた。
「ぼくも紅にばかり頼らないで頑張るから、これからもよろしくね」
「…………えぇ、よろしく」
口元を押さえ視線を逸らしたまま紅は顔をあげた。陶器のように白かった肌はほんのり桃色に染まっている。
(ぼくは思ったことをそのまま伝えただけなのに)
翠はふたりで生きていく為にも頑張ろうと、今まで以上に気合を入れなくてはいけなかった。自分はいざという時に頼りにならない。このままでは紅を守る事ができないのだ。
『翠ちゃんへ
今日は予定があるので早めに帰ります。以前から渡そうと思っていたものも入れておきます。買ってきたので良かったら使ってください』
イスの上には紙袋。しかし以前のような黒い紙袋ではなく淡い水色の、これもどこかのお店のショッパーのようだった。中身を覗くとそこにはスポーツブラが数枚と月経用ショーツが数枚、それから生理用ナプキンが入っていた。
スポーツブラに関しては翠も以前からそろそろ必要だと考えていたがパパには言えず困っていたのでありがたかった。しかしこのタイミングで月経用ショーツや生理用品が入っていた事に翠は違和感を覚えた。
(紅が昨日生理の血がついたって葉月に誤魔化したって言ってたし……葛さんにも同じ事を言ったのかな?)
紅に聞けばわかることかと、翠はメモと水色のショッパーを手にさっそく自室へと籠る。
「紅、ただいま」
「おかえり。今日どうだった?」
いつものやり取り。しかし翠は続けた。
「あのさ、葉月や葛さんに生理がどうとかって話した? あと、ブラウスの袖に血がついてたって」
「あぁ、そのこと」
まるで大した事ではないというように紅は言う。
「学校へ行く途中に道の真ん中で猫が死んでいたの。可哀想だったからせめて人目につかない場所に動かそうと思って猫の死体を近くの公園の茂みまで運んだのよ。その時には気が付かなかったけど、袖に猫の血がついていたみたいで」
「なんでそれを言わなかったの?」
「気味悪がられるかと思って。素手で猫の死体を触った事。咄嗟に死体を動かしたとはいえ手に嫌な感触も残っていたし……それに、翠が知ったら気分を害するかなって。怪我をしたと言えばパパに伝わって嘘がバレてしまうかもしれないし……だから葉月や葛さんには生理の血がついたって言えば誤魔化せるかと思ったの。ごめんなさい」
申し訳なさそうに頭を下げる紅に翠は戸惑い、慌てた。紅はいつも冷静で且つ翠よりも一歩先を行く。この手で猫の死体に触れたことなどどうでも良かった。それよりも猫の死体を公園まで移動させその事で翠が不快になるかもしれないとそれらしい理由で即座に誤魔化した紅は機転が利く上に自分の事をよく考えてくれたのだと翠は感服だった。
翠はいつも紅に気が付かされてばかりだ。自分が紅を守ると決めておきながら紅を一人の人として見ていなかったり紅を疑ったりと散々な自分を翠は嫌悪した。
「そうだったんだ……ぼくこそごめん。疑ったりなんかして……それに猫の死体を安全な場所に移動させるなんてすごいよ。ぼくだったらきっと無視しちゃう」
「きちんと翠に伝えておくべきだった。本当にごめんなさい」
「ぼくだったら生理の血がついたなんて咄嗟に誤魔化せなかったよ。やっぱり紅はすごいよ」
素直に猫の死体を触ったといえば気味が悪いと思われるかもしれない。医者であるパパは素手で猫の死体に触れた事に良い顔はしないだろう。それに何より月経の血がついてしまったといえば相手は良くない事を聞いたと思うか逆に心配すらもしてくれるかもしれない。初潮がまだの翠でも学校で周囲の話を聞きその事はよく知っていた。
「だからやっぱり紅ってすごいよ」
心からの尊敬、そして感謝。紅の機転の良さや知識は表の人格として十二年生きてきた翠を上回るものだった。
「そんなこと……」
「ぼくより頭が良いし咄嗟のことにもすぐ対応できて、それにぼくたちの事を気づかれないようにアイデアを出してくれるのはほとんど紅だから。ぼくだけの考えで動いていたらとっくにぼくらは一緒にいられなかったと思う」
紅は照れたように俯いていた。翠の述べた事は全て翠が感じ取った事であり事実だ。表に出ている時間は圧倒的に翠が多い筈だと言うのに、困りごとが起きるといつも紅がアイデアを出す或いはその場で機転をきかせ解決していた。
「ぼくも紅にばかり頼らないで頑張るから、これからもよろしくね」
「…………えぇ、よろしく」
口元を押さえ視線を逸らしたまま紅は顔をあげた。陶器のように白かった肌はほんのり桃色に染まっている。
(ぼくは思ったことをそのまま伝えただけなのに)
翠はふたりで生きていく為にも頑張ろうと、今まで以上に気合を入れなくてはいけなかった。自分はいざという時に頼りにならない。このままでは紅を守る事ができないのだ。
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