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彼女の本質
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しおりを挟む「当時、母校――卒業した医大の恩師が解離性同一性障害について研究を進めていてね。翠の事を話したら連れてきて欲しいと。当該の障害を乗り越えた学生もいるから力になれるだろうと」
「その病気なら、知ってる……」
翠が市立図書館に入り浸り必死に調べ上げた事だ。
紅と生きる為に、必死に。
翠の言葉にパパは頷いた。翠が解離性同一性障害という単語を、病気を知っている事はパパも想定内だったのだろう。
「大学へ連れて行ったとき、当該の学生に翠はとても懐いていた。恩師が白衣なんて着ていたものだから病院だと勘違いして最初は泣いていたのにな。その学生――葛に抱き上げられると、すぐに泣き止んだ」
その時の光景が、再生ボタンを押した映画のように思い出された。白衣を着た壮年の男性に笑顔で迎え入れられたが医者だと勘違いし、怖くなり泣いてパパの影に隠れた。若い女性の看護師に抱き上げられ、怖くないよ病院じゃないよと声をかけられ泣き止んだこと。ママとパパと大学へ行き、教授と呼ばれていた男性や看護師だと思っていた女子学生――葛と話をしたこと。
そう言えば、そうだった、そんな数少ない家族の思い出が翠には存在した。そして随分前に見た夢の中、紅の口からそのようなエピソードが語られたのだ。翠の夢の中で、紅がそう語っていた。
あれは自分の記憶だったのかと、翠はこの期に及んで気が付いた。単なる夢ではなく、現実の出来事だった。
「それで……どうしたの?」
「何度も大学へ通い、翠の経過を見た。その結果、翠ではない別の人格が存在すると結論づけられた」
パパは淡々と続ける。翠が解離性同一性障害だった。特段、驚く事ではない。知っていたのだから。翠は知った上でのその先を目指していた。それは、今も。
「ただ、翠は当時三歳と幼い。幼い子どもの発症例はあったものの周囲が気が付いて治療に取り掛かるのは思春期以降だ。それに幼い翠に治療は困難だ。だから……」
「無理矢理、紅を閉じ込めるしかなかった?」
核心。紅を閉じ込めたパパ。
「そうだ。具体的な方法は伏せるがそうするしかなかった。ただ、翠にひどい事をしたのは事実だ……すまなかった」
パパは深く頭を下げた。その声からは翠に対する罪の意識が滲み出ていた。翠はそんなパパの姿を見て複雑な心境だった。パパが紅に酷い事をしたのは事実であり、そしてこの期に及んでもパパは翠しか目に入っていない。パパが本当に謝罪すべき相手は紅だ。
八年間も閉じ込められ、自由を封じられていた。
「ぼくに謝らなくていいから、紅に謝って」
もうパパは怖くなかった。どんな意見でも、主張でも自分の好きな発言をできる。パパは意味もなく厳しさを強いていたのではない。全て翠の為だ。紅が姿を現さないよう外部からの刺激は最低限に。翠が懐いた女性を家政婦に。翠の事を思って。
翠を、紅から引き離すために。
もう紅が二度と姿を現さない為に。
一体、紅が何をしたのだというのだろう?
仮に紅が悪い事をしたとして、それを正しく導くのが親の役目ではないのか?
紅がもうひとつの人格で、攻撃的な側面があったとしても閉じ込めてそれで終わりにするのは違う。
パパの言動や行動は翠には理解が及ばなかった。
「紅、とも話し合いをした。だが、あいつはわかってくれなかった」
あいつ。憎しみを孕んだ呼称。単なる言い回しの悪さでへない。確実にそこには憎しみがあった。パパの口からも、紅の口からも語られていない何かがそこにはあるに違いなかった。
「もう、いい。ごめん」
パパを理解できなくて。
パパより紅を信じたい事を。
翠はパパの姿を見ないまま、席を立ち自室へ戻った。紅との思い出がすべて詰まった自分の部屋。紅の部屋。翠は一通のメールを送信した後で泣きながら荷物をまとめ始めた。
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