うさぎはくじらを殺したのだろうか

田中潮太

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はじまりの再会

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 快晴。サンダルをひっかけて海へと向かう。
 今日はわたしが先についたみたいで階段に座ってとーまお兄さんが来るのを待った。

 中々とーまお兄さんは来なくて、わたしはそこらへんに落ちていた木の枝を拾って砂浜に絵を描き始めた。
 うさぎはわたしの大好きな動物。何せわたしの名前がうさぎだから。でもウサギより大好きな動物はネコだ。それはとーまお兄さんがわたしの名前を「みゃう」と呼んでネコの名前みたいだと言ったから。
 ウサギとネコを並べて砂浜に描いた。ペットを飼いたいと思ったことはあるけど、ママがひどい動物アレルギーから絶対にそれは叶わない。
 というか、ママがウサギが好きで飼いたいのに飼えないからわたしに「うさぎ」なんて名前をつけた。十月一日生まれで十五夜だしちょうど良い、って。

「みゃう」

 その声に振り返る。とーまお兄さんが階段の上からわたしを見下ろしていた。

「とーまお兄さん! おはよう」
「うん、おはよう」

 とーまお兄さんは階段を降りるとわたしの描いたウサギとネコの絵の前にしゃがみこむ。

「絵、上手だね」
「ほんと? ありがとう」

 褒められた。わたしの絵は決してへたっぴではないけど特別上手というわけでもない。可もなく不可もなく、普通だ。

「俺はあんまり絵が上手じゃないから」

 そう言うととーまお兄さんも木の枝を適当に拾って空いた場所に絵を描き始める。
 みみずのようなぐにゃぐにゃの線。ぴんと立った耳がふたつにまんまるの目。

「犬……?」

 たぶん。ネコ、というには少し違う気がしてわたしはそう答えた。

「正解。よくわかったね」

 そのままわたしたちは砂浜に絵を描いた。わたしは動物をひたすら描いて、とーまお兄さんはそれを真似ておんなじ動物を隣に描いていく。
 気が付けば砂浜の一帯はわたしたちの描いた動物の絵で埋め尽くされていて、ちょっとした動物園のようだった。

「みゃうは動物園、好き?」
「あんまり行ったことないんだ。ママが動物アレルギーだから。学校の遠足で行ったきり」

 その時も帰宅するなりお風呂場に押し込まれて、着ていた服も靴も捨てられて大変だった。動物園は楽しかったように思うけど。
 ママが「休ませれば良かった」と吐き捨てたのを覚えている。

「そう。俺もあんまり……水族館は好きで大学生の頃はよく通っていたけど」

 とーまお兄さんの持つ木の枝が砂浜に跡をつけていく。それは今までのみみずのような線と違ってしっかりとした曲線。意志を持った曲線がゆったりと形を作っていく。

「クジラ?」
「そう。好きなものだからこれだけは描けるようになった」

 昨日も言っていたように。昔も言っていたように。とーまお兄さんはクジラが好き。
 クジラという生き物に特別な何かを感じているのか。あの大きな海の王様に不思議な魅力に惹きつけられている。

「でも俺が通った水族館にクジラはいなかったな」

 言われてみれば。水族館はわたしも何度か行ったことがあるけどクジラはいなかった。水族館にいる大きな生き物はサメとかイルカでクジラは見たことがない。
 大きすぎて水槽に入りきらないのかもしれない。とっても、大きな水槽が必要だろうから。

「みゃうは大学でサークルに入ってる?」
「ううん。今は何も。でも先生が後期からディベートサークルに入ったらって」

 他の大学はわからないけど、わたしの通う大学は担任制度があって、大学生活の悩み事なんかを気軽に相談できるようになっている。先生は担任の先生のこと。

「ディベートサークル? どうして?」
「うーんとね、わたしは講義でディベート……話し合いの時間があっても黙っちゃうから」

 わたしは決して無口なタイプじゃない。どちらかといえばお喋りは好き。こうしてとーまお兄さんと話すのは好きだ。普段、あまりわたしがわたしらしく話せることがないからきっと尚更そう感じている。

「そうなの? あんまり、そんなふうには見えない」
「うん。わたし、人間関係が得意じゃないから。周りの様子、伺ってたら自然と無口になっちゃう」

 それは小学校からずっと。わたしが喋って、思うままに行動すると気が付けばひとりになっていて。それどころかイジメの標的になってしまうこともよくあった。
 次第にそれがわたしがグズでのろまで幼稚だからと気づかされたのだけど。ママが、よくそう言っていた。

「わたしが、わたしらしくいるのは受け入れられないから。だから無口で当たり障りのないキャラクターでいれば。みんなそれ以上わたしにひどいこと、しないから」

 キャラ薄いよ、なんてわたしに声をかけたのは高校の頃の同級生だっけ。
 クラスメイトも先生もママもパパも。
 引っ込み思案で無口な良い子でいればみんなそれ以上なにも言わない。だからそうするのがいちばんだって、わたしは理解してる。

「でも今のみゃうは本当のみゃうでしょ?」
「うん。とーまお兄さんの前では本当のわたし」

 昔もそうだった。わたしはわたしらしく、それでいてもとーまお兄さんは優しかった。今もそう。わたしのままでいても優しくしてくれる。

「……そっか。それなら俺とみゃうは似たもの同士かもね」
「似たもの同士?」
「俺もそうだよ。十三年前も中学に入ってすぐ、俺は学校に馴染めなくて孤立してた。陰でひそひそ言われたり……でも夏休みにこの海でみゃうと出会って。その時間は俺にとっての救いだった。だからみゃうにはすごく感謝してる」

 とーまお兄さんはわたしの描いたウサギとネコの絵の上に大きく星マークを描いた。

「俺も人間関係は苦手。イジメを受けたこともある。友達だってそういない。だからみゃうと過ごす時間は今でも俺にとっての救いだしここにいるのは本当の都真」

 救い。その言葉はわたしを救う言葉でもあった。
 わたしだってとーまお兄さんに救われてる。ここでこうしてお話してくれる。本当のみゃうを、わたしを受け入れてくれている。
 わたしを受け入れてくれる人なんてきっととーまお兄さんしかいないのかも。そう思ってしまう。
 居場所のないわたしたちが互いに互いを救いだと感じるのは必然なのかもしれない。ぼぅっとした頭でそんなことを考えた。

『八月五日
 わたしととーまお兄さんは似た者同士。そしてお互いが救い』

 この世界にはイジメを受けたり人間関係がうまくいかない人なんてたくさんいる。だけどその人たちの全てがわたし達と似た者同士かと言えばそうではなくて。
 ただみゃうととーまお兄さんのふたりだけがそっくりでふたりだけってこと。
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