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現実、日常を見る
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あの研修旅行からわたしは週に一度か二度しかないディベートサークルの活動が楽しみになっていた。渡瀬くんと話すことができる。
この関係を友達、と表していいのかはわからないけど。初めて大学で出来た友達という存在はわたしにとって嬉しいものだった。
「今日遅かったね。講義が長引いたの?」
サークルが終わって皆が席を立つ中でわたしはそう尋ねた。
「あー、ううん。母さんから電話来てさ。具合悪くて仕事休んだから冷えピタとか買って来いって」
「お母さん、大丈夫なの?」
「またずる休みだろうから」
「なるほど。お母さんってそういうことするよね……」
ママが理由をつけてパートを休んだのちにすぐパートをやめていた、つい最近の出来事を思い出してわたしはげんなりした。
似たような家庭環境。それだけで親近感を感じる。
「まぁ普通はそうじゃないだろうけどな」
「確かに、そうかも」
あの後。わたしは毒親について何度も調べた。
子どもを支配しようとしたり、精神的に追い込んでくる。もちろん様々なパターンはあるらしいけどわたしの家の場合はそれがぴったりと当てはまる気がした。
「そうだ、連絡先。交換しねぇ?」
渡瀬くんがスマホを取り出す。わたしはすぐに頷いて、自分のスマホを取り出してメッセージアプリを起動した。一番上に届いていたメッセージは一旦保留にして、渡瀬くんと連絡先を交換した。
家に帰る。ママとお揃いのスニーカーを並べて脱ぐ。このスニーカーの違和感に気が付いてから何度か、新しい靴を買おうかと思った。だけどこのスニーカーを履かなくなればそのことでママやパパに何か責められることは目に見えていた。
自由がない。前にも増してそれを自覚している。
クジラになりたいというとーまお兄さんの言葉が幾度となく過った。そうすれば自由に、自由になれないかなって。
「ただいまぁ」
「うさぎ。おかえり」
リビングに入るとママがソファに寝そべってドラマを観ている真っ最中だった。
「ルイボスティーのおかわりはいる?」
「あぁ、うん。お願い~」
テーブルの上に放置された空のコップを手にとってキッチンでお茶をそそぐ。何も言われなくとも操られているかのように、ママの思う通りの行動をしてしまっている自分が悔しかった。だけどそれはプログラムされているようにわたしの体を動かしてしまう。
「うさぎ、まだあのインテリサークルに行ってるの?」
「うん。柳田先生の推薦だから行かないとその後に影響しそうだし……」
渋々サークルに行っている、というのがここでの設定だった。ママの思う華やかなサークル(テニスとか、そういうの)に入ることは許さないくせにディベートサークルのことを「インテリ」だと馬鹿にしている。この矛盾ももう二十年目だ。
「良い就職先、紹介してくれないかもしれないもんねぇ。はぁ。そんな担任の先生で可哀想」
「でも、仕方がないから……」
「うさぎはいい子だもんねぇ」
こういう時ばっかり。「いい子」なんてママの機嫌が良いときに口からでる出まかせだ。
機嫌がいいことにこしたことはないけど、悪い時と良い時の差が激しすぎて疲れてしまう。
「課題あるから部屋に戻るね。何かあったら呼んで」
返事はなかった。ママの意識はテレビ画面に戻っている。
わたしはそそくさとリビングを後にした。
部屋に誰かが入った形跡はない。
数年前まで、勝手に部屋が掃除されていたり物を動かされていることがよくあった。ママの仕業かと思っていたけどそれはパパがやったことだと、パパ自身が悪びれもせずに自分で話していたから。
(パパの興味がわたしから逸れたなら何よりだけど)
パパが何故そんなことをしていたのかは深く考えないようにしていた。考えれば考えるほど気味が悪い。
イスに座ってスマホを取り出した。
「今日はサークルに行ったよ……と」
その日あったことはほとんど毎日とーまお兄さんに報告するようにしている。それは向こうもおんなじで、とーまお兄さんが何をしているかはわたしのスマホに連絡が入る。
最近のとーまお兄さんは専ら外国語の勉強をしているようで、その進捗報告が届いていた。その報告を見る限りとーまお兄さんは基礎学力が高い方なんじゃないかと思う。
「サークルでは発言するよう頑張ってる……よし、こうかな」
わたしは大学で受けた講義の内容やサークルでの活動について報告していた。
最近はサークルでも一つの議題についてみんなで討論したり時折息抜きに絵しりとりや雑談をしていた。
要は思った以上にわたしはサークルに馴染んでいる。
いつものように自分の意見を言わずにただ傍観しているだけじゃない。きちんと活動に参加できている。
(でも、それって)
それは恐らく、というかほぼ絶対。
渡瀬くんという友達が身近にいるからこそわたしはそうすることが出来ている。
そして渡瀬くんにとーまお兄さんのことを話していないのと同じでとーまお兄さんにも渡瀬くんのことは話していない。
別にただ、友達が出来たというだけ。
だけどそれを渋るにはきちんとした理由がある。
わたしたち、みゃうととーまお兄さんの世界にはその他の人というものが存在しない。
わたしたち二人だけだ。他の人は木偶の坊で、生き物じゃない。わたしたちの世界にはわたしたちだけ。だからみゃうに「友達」がいてはいけなかった。
スマホがぴこんっと軽い音を立てて新着メッセージが届いたことを知らせる。
『アルバイトを始めようと思う』
アルバイト。その文字を見て脳裏に浮かんだのは「大丈夫なのかな?」という言葉だった。病気のこともある、それを抜きにしても繊細なとーまお兄さんが――そんなふうに社会と関わっていけるのか。
しかしそこまで考えて、わたしはその考えを取り払った。
わたしはとーまお兄さんの騎士であり王子を目指そうとしているけど、今はまだその段階じゃない。それにとーまお兄さんのお母さんでもなんでもないのにそんな過剰な心配をするのも失礼だ。
『すごい! どこでバイトするの?』
一歩を踏み出そうとするとーまお兄さんを応援するべき。将来一緒の世界に行くためにはある程度お金も必要。
わたしもママとパパを説得してアルバイトをしなければならないくらいだと言うのに。
『バスで十分のところに温泉があって。そこの受付で働こうと思う。もう面接も受かって来週から働くことが決まってる』
行動が早いとはこのことか。面接を受けていたことも、働こうとしていたこともわたしは何も知らなかった。まるでママみたいだ……一瞬そう思ってしまった自分が嫌になった。よりによってママと大切な人を比べるなんて。
連絡ツールがスマホのメッセージアプリだけ。なのだから、突然の報告や知らないことがあっても当然だ。
『無理しちゃだめだよ? でも応援する! わたしもバイトしなきゃだめだなぁ』
返信を終えてスマホを置いた。
髪を染めて、ピアスも空けた。サークルにも参加して友達ができた。だけどわたしにはまだやらなきゃいけないことが多いと認識する。
将来の為のお金だってないし、勉強も頑張らないといけない。アルバイトを始めるにしてもそれで勉強が厳かになっては本末転倒だ。わたしは元来器用なタイプじゃないからそれも成立するかわからない。
ママとパパの許可が下りるかはわからない。でもやらなきゃ始まらないし、三年生になったらもっと忙しくなるはず。
さっそく求人サイトを調べてわたしはアルバイトを探すことにした。
この関係を友達、と表していいのかはわからないけど。初めて大学で出来た友達という存在はわたしにとって嬉しいものだった。
「今日遅かったね。講義が長引いたの?」
サークルが終わって皆が席を立つ中でわたしはそう尋ねた。
「あー、ううん。母さんから電話来てさ。具合悪くて仕事休んだから冷えピタとか買って来いって」
「お母さん、大丈夫なの?」
「またずる休みだろうから」
「なるほど。お母さんってそういうことするよね……」
ママが理由をつけてパートを休んだのちにすぐパートをやめていた、つい最近の出来事を思い出してわたしはげんなりした。
似たような家庭環境。それだけで親近感を感じる。
「まぁ普通はそうじゃないだろうけどな」
「確かに、そうかも」
あの後。わたしは毒親について何度も調べた。
子どもを支配しようとしたり、精神的に追い込んでくる。もちろん様々なパターンはあるらしいけどわたしの家の場合はそれがぴったりと当てはまる気がした。
「そうだ、連絡先。交換しねぇ?」
渡瀬くんがスマホを取り出す。わたしはすぐに頷いて、自分のスマホを取り出してメッセージアプリを起動した。一番上に届いていたメッセージは一旦保留にして、渡瀬くんと連絡先を交換した。
家に帰る。ママとお揃いのスニーカーを並べて脱ぐ。このスニーカーの違和感に気が付いてから何度か、新しい靴を買おうかと思った。だけどこのスニーカーを履かなくなればそのことでママやパパに何か責められることは目に見えていた。
自由がない。前にも増してそれを自覚している。
クジラになりたいというとーまお兄さんの言葉が幾度となく過った。そうすれば自由に、自由になれないかなって。
「ただいまぁ」
「うさぎ。おかえり」
リビングに入るとママがソファに寝そべってドラマを観ている真っ最中だった。
「ルイボスティーのおかわりはいる?」
「あぁ、うん。お願い~」
テーブルの上に放置された空のコップを手にとってキッチンでお茶をそそぐ。何も言われなくとも操られているかのように、ママの思う通りの行動をしてしまっている自分が悔しかった。だけどそれはプログラムされているようにわたしの体を動かしてしまう。
「うさぎ、まだあのインテリサークルに行ってるの?」
「うん。柳田先生の推薦だから行かないとその後に影響しそうだし……」
渋々サークルに行っている、というのがここでの設定だった。ママの思う華やかなサークル(テニスとか、そういうの)に入ることは許さないくせにディベートサークルのことを「インテリ」だと馬鹿にしている。この矛盾ももう二十年目だ。
「良い就職先、紹介してくれないかもしれないもんねぇ。はぁ。そんな担任の先生で可哀想」
「でも、仕方がないから……」
「うさぎはいい子だもんねぇ」
こういう時ばっかり。「いい子」なんてママの機嫌が良いときに口からでる出まかせだ。
機嫌がいいことにこしたことはないけど、悪い時と良い時の差が激しすぎて疲れてしまう。
「課題あるから部屋に戻るね。何かあったら呼んで」
返事はなかった。ママの意識はテレビ画面に戻っている。
わたしはそそくさとリビングを後にした。
部屋に誰かが入った形跡はない。
数年前まで、勝手に部屋が掃除されていたり物を動かされていることがよくあった。ママの仕業かと思っていたけどそれはパパがやったことだと、パパ自身が悪びれもせずに自分で話していたから。
(パパの興味がわたしから逸れたなら何よりだけど)
パパが何故そんなことをしていたのかは深く考えないようにしていた。考えれば考えるほど気味が悪い。
イスに座ってスマホを取り出した。
「今日はサークルに行ったよ……と」
その日あったことはほとんど毎日とーまお兄さんに報告するようにしている。それは向こうもおんなじで、とーまお兄さんが何をしているかはわたしのスマホに連絡が入る。
最近のとーまお兄さんは専ら外国語の勉強をしているようで、その進捗報告が届いていた。その報告を見る限りとーまお兄さんは基礎学力が高い方なんじゃないかと思う。
「サークルでは発言するよう頑張ってる……よし、こうかな」
わたしは大学で受けた講義の内容やサークルでの活動について報告していた。
最近はサークルでも一つの議題についてみんなで討論したり時折息抜きに絵しりとりや雑談をしていた。
要は思った以上にわたしはサークルに馴染んでいる。
いつものように自分の意見を言わずにただ傍観しているだけじゃない。きちんと活動に参加できている。
(でも、それって)
それは恐らく、というかほぼ絶対。
渡瀬くんという友達が身近にいるからこそわたしはそうすることが出来ている。
そして渡瀬くんにとーまお兄さんのことを話していないのと同じでとーまお兄さんにも渡瀬くんのことは話していない。
別にただ、友達が出来たというだけ。
だけどそれを渋るにはきちんとした理由がある。
わたしたち、みゃうととーまお兄さんの世界にはその他の人というものが存在しない。
わたしたち二人だけだ。他の人は木偶の坊で、生き物じゃない。わたしたちの世界にはわたしたちだけ。だからみゃうに「友達」がいてはいけなかった。
スマホがぴこんっと軽い音を立てて新着メッセージが届いたことを知らせる。
『アルバイトを始めようと思う』
アルバイト。その文字を見て脳裏に浮かんだのは「大丈夫なのかな?」という言葉だった。病気のこともある、それを抜きにしても繊細なとーまお兄さんが――そんなふうに社会と関わっていけるのか。
しかしそこまで考えて、わたしはその考えを取り払った。
わたしはとーまお兄さんの騎士であり王子を目指そうとしているけど、今はまだその段階じゃない。それにとーまお兄さんのお母さんでもなんでもないのにそんな過剰な心配をするのも失礼だ。
『すごい! どこでバイトするの?』
一歩を踏み出そうとするとーまお兄さんを応援するべき。将来一緒の世界に行くためにはある程度お金も必要。
わたしもママとパパを説得してアルバイトをしなければならないくらいだと言うのに。
『バスで十分のところに温泉があって。そこの受付で働こうと思う。もう面接も受かって来週から働くことが決まってる』
行動が早いとはこのことか。面接を受けていたことも、働こうとしていたこともわたしは何も知らなかった。まるでママみたいだ……一瞬そう思ってしまった自分が嫌になった。よりによってママと大切な人を比べるなんて。
連絡ツールがスマホのメッセージアプリだけ。なのだから、突然の報告や知らないことがあっても当然だ。
『無理しちゃだめだよ? でも応援する! わたしもバイトしなきゃだめだなぁ』
返信を終えてスマホを置いた。
髪を染めて、ピアスも空けた。サークルにも参加して友達ができた。だけどわたしにはまだやらなきゃいけないことが多いと認識する。
将来の為のお金だってないし、勉強も頑張らないといけない。アルバイトを始めるにしてもそれで勉強が厳かになっては本末転倒だ。わたしは元来器用なタイプじゃないからそれも成立するかわからない。
ママとパパの許可が下りるかはわからない。でもやらなきゃ始まらないし、三年生になったらもっと忙しくなるはず。
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