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現実、日常を見る
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雰囲気が怖いと、そう思っていたのはわたしの勝手な勘違いのようだった。話してみると渡瀬くんは思いのほか気さくで、よく子どものように笑って見せた。
「真面目に教員志望してる奴らとは話合わねぇし、それで去年研修旅行サボったら今年行ってこいとか言われるし」
「わたしも本当はさぼろうかなって思ってた」
「やめた方がいいよ。行事サボると後がだるい」
渡瀬くんは思い出したように眉間に皺をよせて、それが面白くてわたしは笑った。
動物園なのに動物のことはあまり視界に入っていなかった。鳥類の檻を適当に眺めながらそんな会話を繰り返す。
「渡瀬くん、三年生なんだよね? でも教員、目指してるわけじゃないって……」
三年生でこの時期ならそろそろ就活に向けての活動が始まっていてもおかしくはない。教員以外を志すなら尚更。早く就活を始めなくてはいけない――と講義で聞いた。プレッシャー。
「あぁ、でも教員免許は取るつもり。資格はあっても困んねぇし」
それは、その通りだ。資格はあった方が良いと高校で耳にタコができるほど言われてきた。進学よりも就職がメインの高校だったから、余計に。
「三屋もそうじゃねぇの? あ、親が教師なんだっけ?」
一旦頷いて、そして驚く。覚えていてくれたのかと。
わたしは少し考えた。わたしは最初こそ教員を目指す気はなかったものの、今では中学校の教員になると心に決めている。
「えーと、海の見える町に住みたくて。でも田舎だと職業が限られるから……中学の教員になれたら安泰かなって……」
わたしは桃果町を想像してそう言ってしまった。海の見える町といえば一般的に都会のイメージはない。だからあながち嘘ではないけど、でも本当の理由はまた少し違うから。
「あーそっか。親が教員なら田舎の学校でもコネとかあんのか? わかんねぇけど」
「う、うん」
一人納得したように言った渡瀬くんの言葉にわたしは頷いた。
もちろんそんなものはない。パパもママも知らない場所へ行くつもりだから、パパの力を借りることはない。
「その髪は?」
「これ?」
「ん。ディベートサークルに顔出してるってことは軽音とか演劇とか、そっちのサークルにいるわけじゃないんだなって」
「これ、は……なんとなく、今のうちに派手な髪色しておこうって思って。教師になったらできないから」
「あー。そういや先輩も金髪にしてたわ」
ここまで彼と話してみてわたしは誤魔化しばかりを続けているなと気が付いた。一緒に海のみえる遠い町で暮らす約束、ピンクの髪の方がいいと言われたこと――だけどそれは言いたく無かったし、言えなかった。
秘密ってわけじゃない。だけどわたしは秘密にしたかった。誰かに話してしまってはいけない気がした。
だけど。
わたしにとって、自然に話せる相手が身近にできたこと。今日限りかもしれない。それでもせっかく話をしてもらえたのに、わたし、誤魔化しばかりで良いのかな?
「にしてもピンクはすごい」
「どうせなら可愛い色がいいかなって」
「それはそうだな」
結局。わたしは誤魔化すことしか出来なかった。
もやもやしたものが胸の内に溜まっていく。別に悪いことはしていないし、言ってしまえば今日初めて話した相手に自分の全てを開示する必要はない。誰にでもひとつやふたつくらい秘密はあるだろうし。
今までだって、当たり障りのない顔と言葉で乗り越えてきた。
なのにどうして、こんなに罪悪感を感じてしまうのだろう?
「俺も、もっと明るい色にしよっかな」
渡瀬くんはこげ茶色の、短い前髪を見上げて言った。
「就活とか、大丈夫なの?」
「んー就活はまだしてねぇし……でもバイト先には何か言われるかも」
「何のバイトしてるの?」
「コンビニ。深夜だから割と自由なんだけど、店長が厳しい人だから」
アルバイト。わたしには経験がない。一度だけやってみようと思ったことがあるけどパパに反対されてしまい叶わなかった。
「そうなんだ、わたしもバイトしてみたいんだけどパパに反対されちゃって……」
「へぇ、まぁ娘が心配なんだろうな」
「うん……あ」
違う、ここは肯定しなくていい。
「えーと、うちのパパ厳しくて。バイトっていうかわたしには多くの人と関わってほしくないみたいで……」
それを心配に分類すべきかもしれない。だけどわたしにはそれが過剰なまでの心配のように映っていた。サークルだって柳田先生の推薦じゃなければ許されなかった。
「あー、そゆこと。いるよね、そういう親」
「え?」
思いもよらぬところで納得されてしまいわたしは面食らった。多分、わたしの予想だけどほとんどの親は子どもには多くの人と関わってほしいと思うはずだ。
「毒親ってやつ。うちの母親も結構そんな感じ」
「どくおや?」
「知らない? 子どもにとって害のある、過剰に縛り付けたりする親のこと。教員目指すなら調べても損はないかも」
「な、なるほど。ありがとう」
子どもを過剰に縛り付ける……心当たりがありすぎて、わたしは帰りのバスに乗ったらすぐにでも調べようと思った。
「えと、お母さんが……」
わたしたちは適当なベンチに腰掛けた。周囲に同じ大学の人がいても関係なかった。わたしはひとりでいるとことを見られるのを恐れていたのだと、自分の小さなプライドを改めて認識する。
「そ。うち母子家庭だから……ってほぼ初対面なのにこんな暗い話してごめん」
「う、ううん。あの、うちも十三歳まで母子家庭で……ママは鬱病だし再婚相手のパパも変な人だから、全然!」
慌てて取り繕うようにわたしの家のことを話すと渡瀬くんは一旦目を丸くした後で小さく噴き出して、眉を下げて笑った。
「あはは! そんなこと、必死に教えてくれなくてもいいのに。でも話してくれてありがと」
「う、ううん」
なんだか恥ずかしくなってしまってわたしは視線を足元に向けた。パパがプレゼントしてくれた、ママとお揃いのスニーカー。この状況下で、その靴はわたしを縛り付けるための拷問器具なように見えてくる。
「話してくれたから、話すけど。うちとにかく金がなくてさ。大学も家から遠すぎない国公立だからここにきたわけ。大学出たら家出たいし今の自分にかかる金も必要だから自給の高い深夜のバイトしてんの」
「それは……頑張ってるんだね、すごい」
「まぁでも、いずれはみんなそうやって生きてくわけだし。俺の場合はちょっとそれが早かっただけっつーか」
いずれは自分の力で生きていかないといけない。家庭環境は選べない、渡瀬くんはもう苦労を重ねているわけで、純粋にそれは偉いと思った。悲観せずに頑張ってる。大学だってあるのに深夜まで働くなんてわたしは出来ないし、第一印象は少し怖い人だと思ったけどそんなものはわたしの勝手な思い込みだった。
すごい、渡瀬くんはすごい。
「あ、そろそろバスの方戻るか。バスどっち?」
「一号車だよ」
「そしたら違うバスか」
ゆっくり歩いて集合場所へと向かう。バスに乗ったら毒親について調べようと思っていたけど、帰りのバスでお話することが出来ないのが少しだけ残念だった。
「真面目に教員志望してる奴らとは話合わねぇし、それで去年研修旅行サボったら今年行ってこいとか言われるし」
「わたしも本当はさぼろうかなって思ってた」
「やめた方がいいよ。行事サボると後がだるい」
渡瀬くんは思い出したように眉間に皺をよせて、それが面白くてわたしは笑った。
動物園なのに動物のことはあまり視界に入っていなかった。鳥類の檻を適当に眺めながらそんな会話を繰り返す。
「渡瀬くん、三年生なんだよね? でも教員、目指してるわけじゃないって……」
三年生でこの時期ならそろそろ就活に向けての活動が始まっていてもおかしくはない。教員以外を志すなら尚更。早く就活を始めなくてはいけない――と講義で聞いた。プレッシャー。
「あぁ、でも教員免許は取るつもり。資格はあっても困んねぇし」
それは、その通りだ。資格はあった方が良いと高校で耳にタコができるほど言われてきた。進学よりも就職がメインの高校だったから、余計に。
「三屋もそうじゃねぇの? あ、親が教師なんだっけ?」
一旦頷いて、そして驚く。覚えていてくれたのかと。
わたしは少し考えた。わたしは最初こそ教員を目指す気はなかったものの、今では中学校の教員になると心に決めている。
「えーと、海の見える町に住みたくて。でも田舎だと職業が限られるから……中学の教員になれたら安泰かなって……」
わたしは桃果町を想像してそう言ってしまった。海の見える町といえば一般的に都会のイメージはない。だからあながち嘘ではないけど、でも本当の理由はまた少し違うから。
「あーそっか。親が教員なら田舎の学校でもコネとかあんのか? わかんねぇけど」
「う、うん」
一人納得したように言った渡瀬くんの言葉にわたしは頷いた。
もちろんそんなものはない。パパもママも知らない場所へ行くつもりだから、パパの力を借りることはない。
「その髪は?」
「これ?」
「ん。ディベートサークルに顔出してるってことは軽音とか演劇とか、そっちのサークルにいるわけじゃないんだなって」
「これ、は……なんとなく、今のうちに派手な髪色しておこうって思って。教師になったらできないから」
「あー。そういや先輩も金髪にしてたわ」
ここまで彼と話してみてわたしは誤魔化しばかりを続けているなと気が付いた。一緒に海のみえる遠い町で暮らす約束、ピンクの髪の方がいいと言われたこと――だけどそれは言いたく無かったし、言えなかった。
秘密ってわけじゃない。だけどわたしは秘密にしたかった。誰かに話してしまってはいけない気がした。
だけど。
わたしにとって、自然に話せる相手が身近にできたこと。今日限りかもしれない。それでもせっかく話をしてもらえたのに、わたし、誤魔化しばかりで良いのかな?
「にしてもピンクはすごい」
「どうせなら可愛い色がいいかなって」
「それはそうだな」
結局。わたしは誤魔化すことしか出来なかった。
もやもやしたものが胸の内に溜まっていく。別に悪いことはしていないし、言ってしまえば今日初めて話した相手に自分の全てを開示する必要はない。誰にでもひとつやふたつくらい秘密はあるだろうし。
今までだって、当たり障りのない顔と言葉で乗り越えてきた。
なのにどうして、こんなに罪悪感を感じてしまうのだろう?
「俺も、もっと明るい色にしよっかな」
渡瀬くんはこげ茶色の、短い前髪を見上げて言った。
「就活とか、大丈夫なの?」
「んー就活はまだしてねぇし……でもバイト先には何か言われるかも」
「何のバイトしてるの?」
「コンビニ。深夜だから割と自由なんだけど、店長が厳しい人だから」
アルバイト。わたしには経験がない。一度だけやってみようと思ったことがあるけどパパに反対されてしまい叶わなかった。
「そうなんだ、わたしもバイトしてみたいんだけどパパに反対されちゃって……」
「へぇ、まぁ娘が心配なんだろうな」
「うん……あ」
違う、ここは肯定しなくていい。
「えーと、うちのパパ厳しくて。バイトっていうかわたしには多くの人と関わってほしくないみたいで……」
それを心配に分類すべきかもしれない。だけどわたしにはそれが過剰なまでの心配のように映っていた。サークルだって柳田先生の推薦じゃなければ許されなかった。
「あー、そゆこと。いるよね、そういう親」
「え?」
思いもよらぬところで納得されてしまいわたしは面食らった。多分、わたしの予想だけどほとんどの親は子どもには多くの人と関わってほしいと思うはずだ。
「毒親ってやつ。うちの母親も結構そんな感じ」
「どくおや?」
「知らない? 子どもにとって害のある、過剰に縛り付けたりする親のこと。教員目指すなら調べても損はないかも」
「な、なるほど。ありがとう」
子どもを過剰に縛り付ける……心当たりがありすぎて、わたしは帰りのバスに乗ったらすぐにでも調べようと思った。
「えと、お母さんが……」
わたしたちは適当なベンチに腰掛けた。周囲に同じ大学の人がいても関係なかった。わたしはひとりでいるとことを見られるのを恐れていたのだと、自分の小さなプライドを改めて認識する。
「そ。うち母子家庭だから……ってほぼ初対面なのにこんな暗い話してごめん」
「う、ううん。あの、うちも十三歳まで母子家庭で……ママは鬱病だし再婚相手のパパも変な人だから、全然!」
慌てて取り繕うようにわたしの家のことを話すと渡瀬くんは一旦目を丸くした後で小さく噴き出して、眉を下げて笑った。
「あはは! そんなこと、必死に教えてくれなくてもいいのに。でも話してくれてありがと」
「う、ううん」
なんだか恥ずかしくなってしまってわたしは視線を足元に向けた。パパがプレゼントしてくれた、ママとお揃いのスニーカー。この状況下で、その靴はわたしを縛り付けるための拷問器具なように見えてくる。
「話してくれたから、話すけど。うちとにかく金がなくてさ。大学も家から遠すぎない国公立だからここにきたわけ。大学出たら家出たいし今の自分にかかる金も必要だから自給の高い深夜のバイトしてんの」
「それは……頑張ってるんだね、すごい」
「まぁでも、いずれはみんなそうやって生きてくわけだし。俺の場合はちょっとそれが早かっただけっつーか」
いずれは自分の力で生きていかないといけない。家庭環境は選べない、渡瀬くんはもう苦労を重ねているわけで、純粋にそれは偉いと思った。悲観せずに頑張ってる。大学だってあるのに深夜まで働くなんてわたしは出来ないし、第一印象は少し怖い人だと思ったけどそんなものはわたしの勝手な思い込みだった。
すごい、渡瀬くんはすごい。
「あ、そろそろバスの方戻るか。バスどっち?」
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