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第四章『主を遺す老臣』
51 世界のバランス
しおりを挟む僕がカップにお茶を注いで差し出すと、ミューレーンはそれをクイと口に運び、少しだけ目を見張る。
ふぅ、と一つ溜息を吐く。
「人族領と魔族領の差は、こんな所にも出る物なのかや?」
僕は黙って頷いて、正解の御褒美に茶菓子の入った皿をテーブルに置いた。
別に魔族領の全てが人間領に劣る訳じゃ無いが、技術的にはやはり人間領の方が勝る分野は多い。
様々な世界を知る僕から見れば其れは僅かな差でしかないのだが、でもこの世界の住人からすれば大きな差に感じる物なのだろう。
寧ろその差を感じ取れる感性がなければ、魔族をより良い方向に何て導けないのだ。
ミューレーンは出された焼き菓子を嬉しそうに摘まんで口に運ぶと、
「しかし其れにしても、兄さまも頑張るのぅ……」
目の前の光景に呆れた様に呟いた。
いやまあ僕から見れば驚く程頑張ってるのだけど、ミューレーンからしてみれば自分に構って貰えなくなるので微妙なのだろう。
まるでその言葉に応じるかの様に、ベラの前脚に弾かれたツェーレが、ゴロゴロと地を転がって動かなくなる。
あぁ、力尽きたか。
彼の起こした土埃は、僕の風魔法の結界で此方のテーブルには届かない。
目敏くミューレーンに出した焼き菓子を見付けたのか、と言うか多分ミューレーンが焼き菓子を食べ出したのを見てツェーレにトドメを刺したのだろうが、ベラが此方に駆け寄って来る。
右、真ん中、左、と順にベラの三つの頭に焼き菓子を放るミューレーンの皿の減り具合に、僕は一つ溜息を吐いて追加の皿を収納から取り出す。
ミューレーンの兄であるツェーレがベラに挑む様になったのは、彼の勢力が魔王軍に組み込まれて直ぐの事だ。
軍の編成で、僕の軍団である黒騎士団の長となってる自分の名を見て、
「傘下に入る事は了承するが、だがオレが四天王にもなれないのは可笑しいだろう」
とか言い出したのである。
まあその気持ちはわからなくもないが、でも世の中には適材適所って言葉があると言うか、分相応って言葉もあるのだ。
しかし納得出来ないツェーレは、どうしても四天王の座に挑むと言う。
ツェーレの配置的には、上に挑むとなれば相手は僕だ。
でもツェーレと僕はついこの前戦ったばかりで、彼の心が折れるまでボコボコにした事は記憶にも新しい。
かと言ってアニスとピスカは大事な任務で、今、西の果てにある人類発祥の地を目指してる。
ツェーレと遊ばせる為に呼び戻す訳にも行かないだろう。
そもそもアニスの風王軍や、ピスカの影王軍はその性質的にもツェーレ向きじゃ無いのだし。
……で、残るはベラしかいないのだが、そんなのやる間でも無く結果は見えていた。
うっかり己の兄を応援したミューレーンに、ベラが激しく落ち込んだりと言ったハプニングはあったが、勝負は大方の予想通りに一瞬でツェーレが地面にめり込んで終わる。
戦いが終わり、復活したツェーレに僕は盛大に文句を言われたが、ベラが僕より弱いなんて誰も言った覚えはない。
だがツェーレの凄い所は此処からで、何と彼はその日以降、傷が治って戦える様になる度にベラに挑み始めたのだ。
何でも、僕との戦いは得るものが無い虚しい戦いだったけど、ベラとの戦いには目指すべき強者の姿が見えたのだとか。
うん、意味は全くわからない。
けれども同じ戦士気質の物として通じる物があったのか、或いは単に活躍の場が欲しかったのか、ベラは厭わずにツェーレの相手をしてやっている。
因みに初回の戦い以降、落ち込んだベラを慰めるのに苦労したミューレーンは、己の兄の応援をする事は一切なくなった。
何にせよ、今の僕等にはのんびりと出来る時間の余裕があるのだ。
今も任務中のアニスとピスカには申し訳ないが、彼女達の成果が出るまでは動き様がない。
そう、白の月の神との交信は、人族発祥の地である西の果てで行われると判明した。
人族側の国家は、勇者と大勢の人族が謎の死を遂げた事で大混乱に陥り、到底魔界に連合軍を派遣するどころじゃ無くなっている。
勿論あの勇者ケーニスを殺したのは、新しい勇者を求めた人族側の国家だ。
しかし其れに伴って起きた謎の大量死と、勇者の力が消えた件に、国家の首脳達は恐怖に身を震わせているらしい。
何でも魔王を討ち果たした偉大な勇者を殺した事に、白の神が怒って呪いを振り撒いたのだと考えたのだとか。
僕的には、勇者の力は最初から呪いみたいな物だったと思うのだけど、何にせよ好都合である。
白の神の怒りを恐れる人族達は、今は未だ其れに縋ろうとしていない。
今の間に眠れる白の神への交信手段を封じてしまえば、同様に存在するかも知れない黒の神への交信手段もついでに封じて、其れでこの世界は神の手を完全に離れるだろう。
元々眠っていたい神の様だし、静かに眠って置いて貰えばそれで良いのだ。
その後は、大分バランスの悪い魔界と人族領の広さを整えてから、停戦に持ち込むのが理想だった。
僕が思うに、今の状況になってるのは、魔族側にも責任がある。
最初の戦いに勝利した後、少しでも交流を保っていたならば、お互いの種族の理解が進み、此処まで完全に相手を悪だと見做す事は無かっただろう。
人族側は、魔族を闇から生まれる血も涙もない化け物だと信じてるし、魔族側は、人族を憎むべき侵略者だとしか思っていない。
魔族側の無関心こそが、互いの溝を深めた大きな要因なのだ。
故に停戦後は、アニスの力を借りて魔族と人族の間に交易を行えるように手配する心算である。
まぁ反対は大きいだろうが、ミューレーンが割合に理解を示してくれてるので、他の魔族はベラに説得させれば問題は無い。
人族側も、断れない所まで追い込んでやれば、最初はイヤイヤでも交流は行える筈。
つまり結局、物を言うのは腕力なのだ。
何とも身も蓋も無い結論だが、其れも一つの真理だと思う。
後は後継者を見付けて育てれば、四天王の座を譲り渡して僕等の仕事はもう終わる。
ベラは既に後継者候補を見付けたようだし、僕も誰かを探さねばならない。
ツェーレをベラに持って行かれたのは、少しばかり痛いけれども。
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