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7 交渉
しおりを挟む魔族の男が三人、眼前で頭を垂れていた。
「良い。頭を上げよ。貴様等は未だ我の民に非ず、我の臣に非ず、対等の取引相手である。さすれば貴様等に頭を垂れる理由は無い。もう一度言う。頭を上げよ」
その言葉に頭を上げたのは、中央に座す彼等の長であろう人物のみ。
他の二人が頭を上げない理由は不明だ。
畏まっているのか、交渉の場の空気か或いは我に気圧されているのか、それとも表情を読ませぬ為に頭を下げているのか。
「魔王様に御目通りが叶い光栄に存じます。私は里長を務めるカムラ・ダレラと申す者。以後どうかお見知り置きを」
口上を述べるカムラの表情の奥に滲むのは警戒。
成る程、彼等は北東の支配者行いに付いて行けずに魔族領を離脱し、この中立地域で隠れ里を切り開いた者達だ。
当然降って湧いた支配者候補には警戒の感情を持つのだろう。
「先に述べた通り、畏まる必要は無い。寧ろ取引を申し出たのは此方なのに、其方から出向いて貰った事に礼を言おう。軽々に動けぬ身故、助かった」
此方の言葉に、カムラの表情には驚きが走った。
もっと傲慢な支配者を予想していたのだろうか?
正直な話をすれば、別にこの場でカムラを口説き落として他里を支配下に置く心算は無い。
跪いて庇護を請うなら、民に加えて守護もしようが、望まぬのなら別に取引相手のままで良いのだ。
此方は金銭を、向こうは食糧やその他の消耗品を、出し合い交換する取引相手のままでも互いに利益は出るのだから。
北の魔族領からの行商人が中立地域の隠れ里を回る為、金銭には充分な価値がある。
村を立て直し、金を増やし、魔力を溜め込み、人を増やすのは其れからでも充分だった。
最優先すべきは村を立て直して、今居る民の生活を安定状態に持って行く事。
「魔王様が優先なさるのは民の生活だと仰るのですか……」
カムラの驚きの表情は深まるばかりだが、我にとっては至極当たり前の結論だ。
寧ろこの状況で足場固め以外に選択肢があれば教えて欲しい位である。
何せこの中立地域は本当に立地が死んでいるのだから……。
「西にも東にも北にも、脅威となる勢力が多い。地盤が固まるまでは人を増やして目立つ事に利は無かろう。無論心から庇護を願う同胞が居れば、抱え込みたいと思う魔王としての欲はあるが、な」
慈悲深いのではなく、魔王とは強欲なのだ。
己が民を増やしたい欲求は当然の如く存在する。
我の言葉に、カムラは最初と同じく深々と頭を垂れた。
話し合いの結果、カムラの里とはより踏み込んだ交易を行う事で同意が交わされた。
最初の交渉としては上々の結果だと思う。
カムラは時が来たならばその時は合流したいとも言っていたが……、其れは其の時に改めて決めてくれれば良い事だ。
里長とはいえ、里の未来を単独で決めれば反発もあるだろうし、状況が今とは変化する事だってあり得る。
だがそれでも、少しでも自分に付いて来たいとの意思を見せてくれたカムラの態度は、まあ正直少しばかり嬉しかった。
カムラが自分の里に帰って行った後によくよく考えて気付いたのだが、民の生活を安定させて力を蓄えるといった我の基本方針は、実際の所『貯金』のギフトがあるからこそ選べる選択肢なのかも知れない。
我が里は『貯金』の能力によって収支を比較して収入が上回り、時間を味方にする事が出来る。
けれど仮にこの力が無かったとしたら、早急に動くより他は無かっただろう。
例えば手勢を増やして人間の商隊を襲うといったような、危険度は大きくても即座に見返りのある安易な手段に手を出さざる得ない。
最初はハズレのギフトかとも考えたが、今や『貯金』は我が里の生命線とも言える能力だった。
現金な息子で申し訳無いが、母には強く感謝している。
「魔王様、本日もお疲れ様でした。今回購入した食糧と資材で、数か月は村の維持が可能だと思われます。……どうぞ」
床に寝転び物思いに耽っていた我の前に、サーガが茶の入った器を置く。
起き上がり、湯気の立つ其れをグイと半分ほど飲んでみれば、此れが驚く程に苦い。
あまりの苦味に顔を顰めた我を見て、サーガはクスクスと笑う。
「森で取れた薬草のお茶です。村の者は飲み慣れているのですけど、慣れない人には苦いかも知れません」
……其れは飲む前に言って欲しかった。
しかし折角彼女が入れてくれた物を残すのは申し訳ないし、薬草茶と言うのなら身体にも良いのだろう。
息を吐き、目を閉じ、一気に全てを飲み干した。
成る程、確かに苦味は強いが、苦い事を知って飲むならば後味もスッキリしていて悪くは無い。
飲み干した器をサーガに返却し、ふと思い付いた事を問う。
「サーガ、そういえば魔族領からの行商人はこの村にも来るのだろうか? もしそうであるならば、否、そうで無くとも皆の働きに対して日当を払おう。今日までの分も含めて計上せよ」
我の言葉に、驚きの表情で何かを言いかけた彼女を手で制す。
別に我とて、村民を甘やかそうとこんな事を言い出した訳では無いのだ。
今現在、村民の女達は村への帰属意識と生活の為に労働力を提供してくれている。
此処で賃金を払い出せば、生活の為との目的は金の為にすり替わり、共同体の為でなく個人の為に労働を行うようになるだろう。
だが我は、此処数日の村の者達の働きを見て、其れでも問題は無いと判断した。
彼女達に賃金を払ったとしても、共同体の一員である事を忘れる程に愚かでは無い。恩知らずでも恥知らずでも、薄情でも無い。
情に厚い、善き者達だと我は思う。
共同体としてでは無く、個人の蓄えが出来ればイザと言う場合の選択肢も広がるし、何より労働意欲も増す筈だ。
そして何より、いざ行商人が来た際に村長のみが取引する村と、村人が自由に買い物を行おうとする村の、どちらが魅力的に映るかは言うまでもない。
一度滅びた村が魔王を得て蘇り、村民が自由に買い物を行えるまでに豊かになっている。
他の村や隠れ里を回る行商人がそう認識すれば、それは善き噂となって広まるだろう。
「なのでちゃんと充分な金額を計上するのだぞ? 無論汝の働きへの報酬も忘れるな。欲しい物があるなら買い与えてやっても良いが、自分で稼いだ金銭で買い物をするのもまた善き事だ」
理由を話せば、神妙な顔をして頷くサーガ。
村民に報酬を支払う余裕があるのも『貯金』の御蔭なのだが、……ふむ。
「序に、そろそろ村民達に魔術を教えようとも思うので、仕事後の自由時間に学びたい者が居るなら希望者を募れ。それとな、此れは我の個人的な願いなのだが……」
我は眼前に座るサーガの小さな頭に手を伸ばし、撫でる。
くすぐったいのか、目を細める彼女の顔は、年相応に幼く見えた。
言葉を選び、少し悩み、そして告げた。
「サーガよ、母に祈ってくれ。我がこうして村の力になれるのも、母のくれた力の御蔭だ。この場に居るのも同じだ。しかしな、礼を言いたくても我の声は魔界にはもう届かぬ」
そう、もう我が直に母と話す事は無いだろう。
もし仮にあるとするなら、其れはこの世界に大異変が起きた時か、或いは我が死んだり、万に一つ神に至った時位だ。
まあ普通に考えてあり得ない。
「だがサーガ、汝は違う。汝の声は母に届く。祈ってくれ。感謝の言葉を伝えてくれ」
撫でる手を止めると、サーガは、しっかり者の少女は微笑み、頷いた。
―現在貯金額:560G―
―魔力貯金額:186P―
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