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なにかと色んな場面で「ペアを作れ」と言う教師の言葉は悪魔の囁きだ。いっそのこと隣同士でと言ってくれれば良いのに、わざわざ相手を自由に選ばせるのは悪意があるとしか思えない。
……などと文句を言っても現実は変わらず、大半のクラスメイトはすぐにペア相手を作り終え、はみ出し者が徐々にあぶれていく。今回は体育の授業、バレーボールにおけるペア相手を探さなくてはならなかった。
不幸中の幸いか出席生徒の総数が偶数であるために、最悪の事態は免れて僕の相手も決まった。もっともそれは、僕にとっても相手にとっても良いペア相手だとは到底思えない。ただその場をやり過ごすためだけの悲しい関係性だが、真面目に過ごせば授業成績の評価に影響はしないと僕は強がる。
しかし彼女──美月優菜は僕を見て微笑んだ。
「私のペアは君みたいだね! えーと……名前は菜嶋くんね」
学校指定ジャージに刺繍された僕の名前を読み上げ、彼女は満足そうに頷いた。僕が呆気に取られていると「私の名前は知ってる?」と彼女は右手の人差し指を自分の頬に当てる。彼女が僕の名前を理解したように、僕も彼女が着ているジャージを見れば自ずと答えは出る。しかしあの衝撃的な出来事が真新しく記憶に残っていて、すぐに僕の声は滑らかに言葉を作った。
「美月優菜さん」
「……え? どうしてフルネームで知っているの? もしかしてずっと前から……私のことが好きだったとか!?」
「はあ……?」
「相手を知るために付き合う恋愛もあるけれど、私は菜嶋くんのことをもっと知ってからがいいな」
もうすぐ雨が降り出しそうな不安になる空気感に襲われた。いつも僕の直感はたいてい当たる。主に悪いことだけ。
「おいそこ! 決まったなら早く座れ!」
体育教師の言葉が僕たちに飛んできて四囲から視線を浴びる。ああ、やっぱり当たった。僕は羞恥を感じながら慌てて座るも、彼女は気にも留めず「ごめんなさーい」と声を伸ばしてゆっくり腰を下ろした。
そんな態度がまたクラスメイトの反感をも集める。遂にぽつりと降り出した雨水に触れたような感覚は、彼女も僕もたった数週間で後戻りできない所まで行き着いたことを証明する冷たさだった。
「ねえ! さっきの話そうなの?!」
だが、彼女を見ていると僕の杞憂なのではないかと思ってしまう。「ねえってば」と僕の肩を揺する彼女の精神力はどのように培ってきたのだろう? いまさら話しかけるなと避けたところで手遅れだろうし、なにより僕のような人間に話しかけてくるのも元々彼女しかいない。だから僕は目の前の現実と真剣に向き合うことにした。
「君はもっと上手に生きられるはずだよ」
たぶん彼女は自己紹介の時に無難なことを言っていれば、このクラスで……いや学校の頂点を軽々と取れた。純粋無垢な性格は本来誰からも好かれそうだし、中学生という思春期の年頃で重要になる外見や顔立ちも美しく整っている。コミュニケーション能力だって少し特殊なことを除けば、とても親しみやすい人物と言える。
なのに彼女は目の前にある光を掴まない。まるで避けるように背を向ける。それなのに彼女の目には光が宿っている。僕には見えない何かを視ているように。
「君って呼ばれるの好きじゃない」
話の論点はそこじゃないんだけどな……と思いつつ、呟いた言葉以上に彼女が悲しんだ様子を見せたので、僕はごめんと素直に謝り名前を正す。
「美月さんでいい?」
「いやだ。優菜って呼んで」
「……優菜さんは?」
「優菜がいい」
「…………」
「優菜がいい!」
というような攻防の末に、僕はこの瞬間から彼女のことを優菜と呼ぶことにした。優菜もまた、僕のことを名である京介と呼ぶようになった。
僕が何を言っても優菜は折れなさそうだったし、しまいには優菜のことだから、僕が受け止めないことに反抗してこの場で叫び出してもおかしくなかった。極めて賢明な判断だと思う。
「それで、上手に生きられるってどういうこと?」
優菜の問いかけに、僕は断線していた会話を紡ぎ合わせる。
「先週のホームルームで、優菜の自己紹介があまりにも衝撃的だったから」
優菜は僕の言葉をどういうことかとでも言うように首を傾げた。まだ出会って数週間ではあるが、僕は優菜のことをよく分かった気がする。これが彼女の偽りのない姿なのだ。なんだか興味が沸いてきた。
僕は新書の表紙をめくるような気持ちで言葉を重ねる。
「変わったこと言ってただろ? 花になりたいとかどうとか」
「ああ! そのことね。つい癖で言っちゃったんだ」
「癖? 好きなアニメキャラの台詞とか?」
「近いけど違う。私、小説を書いてるんだ。そのヒロインの言葉なの」
ようやく優菜と正常な会話を結べた気がする。その時、辺りが一気に騒がしくなった。どうやらペア同士でサーブ練習をするらしい。僕たちも立ち上がり、再び教師に怒られないよう、その場で擬態するように溶け込む。
ボールが跳ねる音、ちゃらけた男子生徒の奇声、響き渡る教師の怒号。そんな中、僕たちは体育館の端っこで数メートルほどだけ距離を開けて、ボールに言葉を乗せるように会話のラリーを続けた。
「僕は書くなんて器用なことはできないけど、本を読むのは好きなんだ」
「そうなの? 本は良いよね。自分の知らない世界に連れて行ってくれる。心の旅行だよ」
「それはとても良い表現だな。いつか優菜の書いた小説も読んでみたいよ」
実に滑らかな心情が僕の口からこぼれた。サーブを受けた優菜が、ボールを両手で大事にキャッチしながら微笑む。
「もちろん! でも、もし京介くんが私の小説を読むときは──」
この騒がしい空間の中でも、優菜の声は僕の鼓膜にめがけて飛び込むように届いた。その綺麗な声が心に溶ける感覚を、僕は直感的に忘れてはいけないと思った。
「私はもう花になっているかもね」
……などと文句を言っても現実は変わらず、大半のクラスメイトはすぐにペア相手を作り終え、はみ出し者が徐々にあぶれていく。今回は体育の授業、バレーボールにおけるペア相手を探さなくてはならなかった。
不幸中の幸いか出席生徒の総数が偶数であるために、最悪の事態は免れて僕の相手も決まった。もっともそれは、僕にとっても相手にとっても良いペア相手だとは到底思えない。ただその場をやり過ごすためだけの悲しい関係性だが、真面目に過ごせば授業成績の評価に影響はしないと僕は強がる。
しかし彼女──美月優菜は僕を見て微笑んだ。
「私のペアは君みたいだね! えーと……名前は菜嶋くんね」
学校指定ジャージに刺繍された僕の名前を読み上げ、彼女は満足そうに頷いた。僕が呆気に取られていると「私の名前は知ってる?」と彼女は右手の人差し指を自分の頬に当てる。彼女が僕の名前を理解したように、僕も彼女が着ているジャージを見れば自ずと答えは出る。しかしあの衝撃的な出来事が真新しく記憶に残っていて、すぐに僕の声は滑らかに言葉を作った。
「美月優菜さん」
「……え? どうしてフルネームで知っているの? もしかしてずっと前から……私のことが好きだったとか!?」
「はあ……?」
「相手を知るために付き合う恋愛もあるけれど、私は菜嶋くんのことをもっと知ってからがいいな」
もうすぐ雨が降り出しそうな不安になる空気感に襲われた。いつも僕の直感はたいてい当たる。主に悪いことだけ。
「おいそこ! 決まったなら早く座れ!」
体育教師の言葉が僕たちに飛んできて四囲から視線を浴びる。ああ、やっぱり当たった。僕は羞恥を感じながら慌てて座るも、彼女は気にも留めず「ごめんなさーい」と声を伸ばしてゆっくり腰を下ろした。
そんな態度がまたクラスメイトの反感をも集める。遂にぽつりと降り出した雨水に触れたような感覚は、彼女も僕もたった数週間で後戻りできない所まで行き着いたことを証明する冷たさだった。
「ねえ! さっきの話そうなの?!」
だが、彼女を見ていると僕の杞憂なのではないかと思ってしまう。「ねえってば」と僕の肩を揺する彼女の精神力はどのように培ってきたのだろう? いまさら話しかけるなと避けたところで手遅れだろうし、なにより僕のような人間に話しかけてくるのも元々彼女しかいない。だから僕は目の前の現実と真剣に向き合うことにした。
「君はもっと上手に生きられるはずだよ」
たぶん彼女は自己紹介の時に無難なことを言っていれば、このクラスで……いや学校の頂点を軽々と取れた。純粋無垢な性格は本来誰からも好かれそうだし、中学生という思春期の年頃で重要になる外見や顔立ちも美しく整っている。コミュニケーション能力だって少し特殊なことを除けば、とても親しみやすい人物と言える。
なのに彼女は目の前にある光を掴まない。まるで避けるように背を向ける。それなのに彼女の目には光が宿っている。僕には見えない何かを視ているように。
「君って呼ばれるの好きじゃない」
話の論点はそこじゃないんだけどな……と思いつつ、呟いた言葉以上に彼女が悲しんだ様子を見せたので、僕はごめんと素直に謝り名前を正す。
「美月さんでいい?」
「いやだ。優菜って呼んで」
「……優菜さんは?」
「優菜がいい」
「…………」
「優菜がいい!」
というような攻防の末に、僕はこの瞬間から彼女のことを優菜と呼ぶことにした。優菜もまた、僕のことを名である京介と呼ぶようになった。
僕が何を言っても優菜は折れなさそうだったし、しまいには優菜のことだから、僕が受け止めないことに反抗してこの場で叫び出してもおかしくなかった。極めて賢明な判断だと思う。
「それで、上手に生きられるってどういうこと?」
優菜の問いかけに、僕は断線していた会話を紡ぎ合わせる。
「先週のホームルームで、優菜の自己紹介があまりにも衝撃的だったから」
優菜は僕の言葉をどういうことかとでも言うように首を傾げた。まだ出会って数週間ではあるが、僕は優菜のことをよく分かった気がする。これが彼女の偽りのない姿なのだ。なんだか興味が沸いてきた。
僕は新書の表紙をめくるような気持ちで言葉を重ねる。
「変わったこと言ってただろ? 花になりたいとかどうとか」
「ああ! そのことね。つい癖で言っちゃったんだ」
「癖? 好きなアニメキャラの台詞とか?」
「近いけど違う。私、小説を書いてるんだ。そのヒロインの言葉なの」
ようやく優菜と正常な会話を結べた気がする。その時、辺りが一気に騒がしくなった。どうやらペア同士でサーブ練習をするらしい。僕たちも立ち上がり、再び教師に怒られないよう、その場で擬態するように溶け込む。
ボールが跳ねる音、ちゃらけた男子生徒の奇声、響き渡る教師の怒号。そんな中、僕たちは体育館の端っこで数メートルほどだけ距離を開けて、ボールに言葉を乗せるように会話のラリーを続けた。
「僕は書くなんて器用なことはできないけど、本を読むのは好きなんだ」
「そうなの? 本は良いよね。自分の知らない世界に連れて行ってくれる。心の旅行だよ」
「それはとても良い表現だな。いつか優菜の書いた小説も読んでみたいよ」
実に滑らかな心情が僕の口からこぼれた。サーブを受けた優菜が、ボールを両手で大事にキャッチしながら微笑む。
「もちろん! でも、もし京介くんが私の小説を読むときは──」
この騒がしい空間の中でも、優菜の声は僕の鼓膜にめがけて飛び込むように届いた。その綺麗な声が心に溶ける感覚を、僕は直感的に忘れてはいけないと思った。
「私はもう花になっているかもね」
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