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第一章 はじまり
#51
しおりを挟む自宅でもあった宿の前で、カリーナは呆然と立ち尽くしていた。
重岩殻下等竜ヘヴィロックシェルドレイクから遅れること数分。ようやく街に辿り着いた護の見た物は、南方へ向けて灰色の吐息ブレスを吐き出すドレイクと、彼奴が通ったと思われる抉れた地面と、潰された群衆によって出来た血肉の浮かぶ死の川であった。
「ぐっ、ぅぷっ」
この世界に来て数年。いかに護が生物の死に慣れたとは言っても、これほどの惨状を目にして平然とはしていられない。今はオークの谷入り口も似たような光景となっているが、護は直接見ていないのだ。堪らず胃の中の物を吐き出しそうになる護だったが、今はそんなことをしている暇は無い。
ドレイクに直接潰される事無く、暴風や瓦礫によって命を落とした死体や、うめく群集の中に見知った顔が無いか確かめながら、助けを求める声を無視して駆け抜ける。
護とて助けられる事が出来るなら全て助けたい。だが今は、例え冷血漢と罵られようと自身の"大切"のために行動する。
(……くそっ!)
そうと決めたものの、やはり見て見ぬ振りをして通り過ぎる事で、胸がじくじくと痛み出す。揺らぎそうになる意志に、必死に優先順位を言い聞かせながら護は進む。
(いない……)
カリーナは宿の手伝い、ラーニャは非番だったものの、オークの森の掃討依頼の処理のために、昼からギルドにいると聞いていた。カズィネアに関しては分からない。
恐らく無いとは思うのだが、もしも、その足元に流れる血肉の川に彼女達が含まれていたらと思うと、護は今にも泣き出しそうになってしまう。
不安を胸に抱えて大通りだった道を進む護の視界の端で、ドレイクは次の動きを見せる。簡単な魔術を使って気を引きながら逃げる冒険者達を追って、体の向きを変え始めたのだ。数十mはある太くごつごつとした長い尾が背後の住宅をなぎ払い、震えて隠れていた住人をひき肉にする。
「……なっ、あそこはっ!」
ドレイクのなぎ払った南東地区の一角、そこには護の常用する宿、そう、カリーナが今もいたかもしれない建物があったのだ。
護は人の顔を確認するためとはいえ、こんな所で少しであろうと速度を落としていた自らを罵倒する。
いかにドレイクの全長が大きすぎ、距離感がおかしくなっていたとしても、ドレイクのすぐそばに宿があった事に変わりないのだ。何を措いても真っ先に駆けつけるべきだったと、護は心底悔やみ、速度を上げて宿へと走った。
この日は肉祭り当日という事もあって僅かにあった空室もすぐに埋まり、カリーナは昼間から浴びるように酒を飲む酔っ払い達を相手に、酒場のスペースで給仕をしていた。
なんだかんだでカリーナも伊達に酒場のある宿で育っていない。酒場で給仕をする事もそれなりにあり、酔っ払いの相手も何度かしたことがある。
ここ数年で幼さを残しつつも女性らしさを感じさせる体つきに育った彼女にちょっかいをかけようとする不届き者もいたが、厨房で包丁をギラつかせる宿の主人が今にも襲い掛かりそうな視線で射抜き、カリーナは迫る危機に気付く事無く給仕に勤しんでいた。
(マモルお兄さん、大分疲れてたみたいですけど大丈夫でしょうか……)
今年は一人で祭りを楽しむ予定だと護から聞いていたのだが、一週間程前から毎日依頼に行き、帰ってくる度に段々と疲労を隠せなくなっていく護の様子をカリーナは見ており、結局は肉祭り当日の朝も依頼に向かうのだという護を見送っている。
カリーナも街全体のどこかピリピリした空気を感じていたし、疲労も抜けないまま連日依頼を受ける様子をおかしく思い、両親や護に何かあったのかと尋ねてみるも、何でもない、大丈夫だとはぐらかされるばかりだ。
もう数年もすれば成人だというのに、揃って子供扱いされる事にもやもやとしながらも、街に満ちる不穏な気配に不安を抱いていた。
(……?どうしたんでしょう、お昼の鐘は少し前に鳴ったはずですけど……それに鐘の音もおかしいです)
昼の鐘が鳴ってから小半時。腰を落ち着けての食事がしたい客層を捌いていたカリーナは、突如街に鳴り響く鐘の音に、束の間、動きを止めて聞き入った。
不思議そうに動きを止めていたカリーナとは裏腹に、事態は動き出す。
カリーナと同様に疑問を顔に出していた客達だったが、その"警報"の意味を思い出し、徐々に驚愕に目を見開かせ、顔色を無くしていく。
そして何度目かの鐘の音が鳴り響いた時、ついに恐慌を起こした客の一人が宿を飛び出し、つられて不安に捕らわれた者達が次々とそれに続く。
「え?あっ、お、お客さんっ?」
警報の意味を知らないカリーナは、突然勘定も払わずに飛び出していく客達に混乱していた。一人二人ならともかく、何人もの客が我先にと飛び出していくのだ、カリーナに止められるはずもない。
「カリーナ、放っておいていい。それより、念のため俺達も逃げる準備をしとくぞ」
「逃げる、ですか?」
「ああ、俺も聞くのは初めてなんだが、今鳴ってるこの鐘の音、これは街が何かに襲撃されてるって合図でな。外壁があるから獣や魔物なら大丈夫だと思うんだが、もし襲ってきてるのが魔獣だとしたら、門を破られるかもしれんし、門が破られなくても街の中に入り込まれるかもしれん」
「ま、魔獣?襲撃……!?お、お父さん、どうすればいいですかっ?」
今まで想像もしなかった街への襲撃という父の言葉に、カリーナは途端に混乱に陥る。冒険者に憧れ、護に冒険の話をせびってはいても、街の外へ一歩も出たことが無く、獣や魔獣など解体された物しか見たことが無い少女にとって、脅威とは話の中でしか出てこないものであり、実際に身に降りかかりうるとは思ってもみなかったのだ。
「落ち着け、襲撃には領軍や冒険者達が対応してるはずだ。このまま街に影響が出る前に収まってもおかしくねえ。俺は母さんと大事な物だけ纏めてくるから、カリーナは受付の金を持っていつでも外に出られるようにしといてくれ」
そう言って父は奥の居住スペースへと行ってしまった。カリーナは言われた通りに受付から勘定用の金を取り出し、傍らに置いてあった鞄に入れて待機する。
(マモルお兄さん、依頼で外に出てるんですよね……襲撃に鉢合わせたりしてないでしょうか)
護を心配するカリーナだったが、その思考は唐突に遮られる事になる。
「――きゃあっ!?」
東門から届いた大きな破砕音に、何事かと外へ顔を覗かせた直後の事だ。瞬間、轟音と共に足元の感触を失い、地面へと叩きつけられた。
少しの間、衝撃によって意識の混濁していたカリーナは、すぐ近くで響いた更なる轟音によって覚醒する。
「う、うぅ……痛い、です」
痛む体に呻きながら、よろよろと立ち上がるカリーナ。体の各所に血を滲ませ、頭からも一筋の赤い線を伸ばしている。
ふらつく体を持ち上げて、周囲を見渡した時、背後で何か大きな物が崩れる音がした。それを聞いて振り向いた時、カリーナは認めたくない現実を前に、呆然と立ち尽くすしかなかった。
「…………え?」
「い、いや、いやあああぁぁっ!お父さんっ!!お母さんっ!!!」
カリーナは錯乱する。宿の北から三分の二が消失し、居住スペースも瓦礫の山に埋もれていた。父と母はまだ荷物を纏めていたはずだ。状況は絶望的と言わざるを得ない。
「お父さん!お母さんっ!返事をっ、返事をしてください!」
崩落した居住スペースに駆け寄り、必死に呼びかけるカリーナ。だが、返事は返ってこない。
それでもカリーナは何度も呼びかけ続けた。しかし、それも長くは続かない。諦めに心を支配され、よろよろとその場にへたりこんだ。
「うぁ……ぁあ、ああぁぁぁ――」
「……ィー……ィーナ、…………カリーナ……!聞こえるか、カリーナ!」
絶望に打ちひしがれ、思考を放棄しかけるカリーナの耳に、慣れ親しんだ父の声が瓦礫の奥からかすかに届く。
「っ……ぁっ!おとうさん、お父さんっ!!」
真っ暗な心に射す一筋の光明に、カリーナは必死に縋りつく。
「お父さん!大丈夫ですか!お母さんはっ!?」
「ぐっ、ぅ……今の所はなんとか大丈夫だ、母さんは俺の下で気を失ってる」
「ほんとですかっ?――待っててくださいっ、今すぐ誰か人を連れてきますから!」
「待て!カリーナっ!」
カリーナの細腕では瓦礫の除去など出来るべくも無い。すぐさま助けを呼ぶため、駆け出そうとするカリーナだったが、鬼気迫る父の声を聞き、その場を去ることが出来なかった。
「聞け……!何が起こったかは分からんが、中央に近いうちの宿がこんな事になったんだ、街の中は危険だと見て間違いねえだろう。それに、今も近くで地響きが続いている。……だからカリーナ、今すぐここから逃げろっ!」
「な……そんなっ、嫌ですっ!お父さん達を見捨ててなんて行けません!」
「……カリーナッ!」
「聞けませんっ!!……すぐに助けを呼んできますからっ!」
父の言葉を無視してカリーナは外へと駆け出し、縋る思いで必死に声を張り上げる。
「誰かっ!誰かいませんか!お父さん達が瓦礫の下敷きになってるんです!」
「誰か、誰かお父さん達を助けてください!」
「お願いしますっ!誰か、助けてください!!」
――カリーナの叫びに応える者は誰もいない。
外を見ればすぐ近くにあまりにも巨大な怪物がいるのだ、周囲の住人はとっくに逃げ去っている。僅かに残った者達も建物の中で震えるばかりで一歩も動く事が出来ない。
「誰か、お願いします……!お父さん達を……!」
身を切るようなカリーナの叫びが、空しく虚空に響き渡る。
「お願いだから……誰か、助けてよおっ」
「――待たせてごめん、今すぐ助ける!」
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