『白い結婚』が好条件だったから即断即決するしかないよね!

三谷朱花*Q−73@文フリ東京5/4

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即断即決②

 日の当たるデッキの上で、私はロッキングチェアを揺らしながら、厚みのない本を開く。
 タッペル公爵からあてがわれた住処は、王都にある公爵邸のはじにある小さな別邸だった。
 ……別邸と言うけど、となりの使用人寮に毛が生えたような造りだ。
 それでも、田舎育ちで、粗末な建物での生活に慣れている私からすれば、十分なものだけど。

「ある……、……たちは、……きな……の……ああ!」
 
 私は本の文字を読み上げながら、イライラして髪をくしゃくしゃにする。
 子供用の本のはずなのに、全然読めない!
 簡単な文字は読めるけど、長いつづりは読めないから。
 15年生きてきて、文字を習ったことなどなかった。
 ……庶民で文字を読める人間なんて、一握りだ。学校に行けるのは、お貴族様か、お金をたくさん持っている庶民に限られるから。

「ある日、私たちは、大きな木の下で、だよ」

 上から降ってきた声に、私は驚いて見上げる。
 男の声など、するはずもないのに。別邸にいるのは、私と女性の使用人数人だけなのに。使用人たちの態度はひどいものだけど、食事の用意とかの家事を自分でしなくて良いからラッキーと思うことにしている。

「誰、あんた?」

 私は見上げた見知らぬ男に、目を細めた。
 そのこぎれいな格好は、お貴族様のボンボンに違いない。

「クスクスクス。話には聞いていたけど、粗野な子だね」
「だから? 名乗る気もないなら、あっちに行って」

 私は、しっ、しっ、とボンボンに見えるように手を払う。

「エドヴァルドだよ。エヴァ嬢」
「紛らわしい名前」

 私が悪態をつくと、ふ、とボンボンが楽しそうに笑う。

「エド、と呼んでくれればいいよ」
「必要もないのに、名前は呼ばない。お貴族様のおもちゃになるつもりはないし」

 親しくするつもりはないと断言すると、ボンボンが肩をすくめた。

「そんなつもりはないんだけどね」
「で、名前はわかったけど、誰なの?」

 私が非友好的に目を細めると、ボンボンが頷いた。

「まだ言ってなかったね。ヘンリックの友人だ」
「ヘンリックって誰? 知らないんだけど」

 私は首を傾げる。

「ヘンリックは、君の夫じゃないか」

 ……そんな名前だったのか。言われたのかももう記憶に残ってないや。

「教会で宣言もしてない相手のフルネームは、あいにく知らなくて」
「頭の回転が速い子は好きだよ」
「あんたに好かれてもどうでもいいし。もう帰ってよ」

 私は首を横に振って、また本に視線を落とした。

「……文字を教えてあげようか?」
「本当に?」

 私の答えに、ボンボンがクスリと笑う。

「それには食いつくんだね」
「だって! 教えてほしくても、教えてくれる相手がいなかったから」
「家庭教師でも雇えばいいだろう?」
「伝手もなくて、いい先生が雇えるとは思えない」

 ふむ、とボンボンが顎に手を当てる。

「ヘンリックの名前を使えばいいだろう?」
「……使ったところで、公爵様にいないように扱われている妻に熱心に教えてくれる人間などいないよ」

 思いつかなかったわけじゃない。だけど、まともな先生が来てくれるとは思えなかった。

「そういう人間ばかりじゃないさ」
「じゃあ、そういう人間を紹介して。何も知らない庶民だった私に、根気強く付き合ってくれる先生を」
「ここにいるよ」

 私は呆れた気持ちで、ボンボンを睨んだ。

「お貴族様が、そんなに暇だとは思わなかった」
「クスクスクス。あいにく、私は暇を持て余しているんだよ」
「庶民はあくせく働いていると言うのに」
「エヴァ嬢だって、こうやってのんびり本を読める身分になったんじゃないかな?」

 いけ好かなくはあるけれど、このボンボンは、頭の回転は悪くないかもしれない。

「本当に、教えてくれるの?」
「ああ。文字だけでいいのかな?」
「計算も教えて! ううん。あんたの知ってること、全部教えて!」
「私が知ってること全部、か。構わないけどね」
「お代は、1回いくら?」

 私の言葉に、ボンボンが腕を組んで考え込む。

「いくらでもいいよ。お金はいくらでもあるらしいし」

 果たして、このボンボンがお金を必要としているのかはわからないけどね。

「クスクスクス。自分のお金でもないのに、大盤振る舞いだね」
「だって、好きに使っていいって言われてるから」

 私が肩をすくめると、ボンボンは首を横に振った。

「私にはいらないよ。私が教えられないことについては、先生を紹介するから、その先生に払ってくれればいいよ」

 私は眉を寄せる。

「あんたに何のメリットがあるの?」
「メリット、ねぇ。……暇つぶしになる、ってことかな」
「意味が分かんないし、逆に胡散臭い。何が目的なの?」

 私は首を横に振った。
 ボンボンは肩をすくめる。

「本当にいらないんだけどね。……じゃあ、1回教えるごとに、銅貨1枚でどうかな?」
「子供のお遣いじゃあるまいし。パン1個買えればいいほうだけど」
「だって、私は教えられるほどの豊富な知識があるわけじゃないしね」
「本当に、何のメリットがあるの?」
「そうだね。私の話し相手になってくれるだけでいいかな」

 私はじっとボンボンの顔を見る。
 このボンボンにどんな意図があるかなんて、私にわかるわけはない。
 それに……私に失うものなど、特にはないし。
 仕方ない、お貴族様の気まぐれに付き合ってあげるか。

「わかった。じゃあ、よろしくお願いします……」
「エドでいいよ」
「先生」

 私はボンボンの言葉を無視して、一応礼儀に倣って先生と呼んでみた。
 ボンボンは噴き出すと、肩を揺らして笑っていた。


 ◇


「あ、そうか。だから、こうなるのか!」

 私は問題を解けた喜びで、目が輝く。

「楽しそうだね」

 “先生”が肩をすくめる。私は目を細めた。
 教えてもらうようになって、半年が過ぎた。どうやらボンボン、もとい“先生”と二人きりはまずいらしく、いつもうちの使用人の誰かが一緒にいて、私たちを興味深そうに見ている。
 ……勉強を教えてもらう公爵夫人と、物好きなお貴族様なんて、興味津々でしかないだろうな。

「当然。勉強するのが、楽しいもん」

 “先生”は時おり本当に先生を連れてきてくれる。しかもまともな先生で、教育熱心な上に慈悲深いと来た。貧しい子供たちにも教育を、と熱弁している先生が結構いて驚くことがある。お陰で、勉強は楽しく継続中だ。
 
「エヴァは、どうして学びたいと思ったの?」

 首を傾げる“先生”に、私はため息をついて見せた。

「どうして、勉強できるのは、お貴族様かお金を持った人間だけなの? 私たち底辺にいる人間は、勉強するのも許されないの?」

 私の質問に、“先生”は黙り込む。

「勉強したいと思ったって、本を買う余裕すらない。……勉強したら、いい仕事に就けるかもしれない。でも、私たちは、勉強することも許されなかった」

 幼馴染のベンノやシェスティンのことを思い出す。あの二人は、私よりずっと賢かった。だけど、勉強するようなチャンスなんてもらえずに、15になる年には働きに出てしまっていた。
 私だって、あと数ヵ月すれば働きに出る予定だった。

「……それは、先生を雇うにも、学校の建物を作るにも、維持するにもお金がかかるから……」
「だから、お金を持った人間しか勉強できないってこと? ……“先生”は私にほとんどタダ同然で教えてくれてるのに?」

 “先生”が肩をすくめる。

「これは一応対価をもらってるからね。それに、私は本職じゃない」
「……対価、ね」
 
 ふと、良い考えが浮かんで、頬が緩む。……これでこそ、白い結婚を呑んだ意味があるってことだ。

「え? エヴァ何考えてる? ちょっと、良からぬこと考えてない?! 大丈夫?」

 人聞きの悪い……何なら、“先生”を巻き込んでやろうっと。
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