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第9章 英傑の朝 後編
第97話 豪傑の帰還
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『はざまに御わす原初の祖よ。
卑小なる我が魔力を捧げ捧げ奉る。
我らが遠祖と交わし給うた古の盟約の下、我が宣誓を奉らん。』
フォステリアの壮大な魔法の発動に対し、ナガルス様の詠唱は静かで小さな声だった。
声もさることながら、彼女に内包する魔力すらも小さく小さくなっていき、まるで消え掛かる寸前のように感じた。
それと並行し、魔法兵は住民たちへの攻撃を続けていく。
忌々しげな顔をしたラドチェリー王女は、仕方なくハルダニヤ王都の住民を守るために、死兵を一旦下がらせた。
魔法兵が放つ魔法は、死兵に叩き落される物もあれば、ダメージを与えている物もある。
やはり、死兵とは言え、こちらの古代魔法は、現代魔法に圧倒的なアドバンテージがあるようだ。
しかし死兵たちも途中から慣れてきたのか、途中からは現代魔法や自身の体で古代魔法を抑える方法は取らなくなった。
魔法で操作した地面を当てたり、そこらにあるものをとてつもないスピードで当てたりすることで凌いでいる。
メリヴォラと思しき死兵は、なんとそこらにある住居を片手で持ち上げ投げつけて来る。
投げつけてきた家は、古代魔法を打ち消し、その勢いのままこちらに飛んでくる。
あれには魔力が込められているのか?
魔導兵が放つ古代魔法に削られながらも、その殆どを残してナガルス様に向かって飛んでくる。
「っらぁ!!」
俺は自身の、最高に高密度の魔力を込めて作った鉄球を、斥引力魔法で最高速度に加速して打ち出す。
鉄球のサイズは約1mの直径。
流石にこれには耐えられる筈もなく、飛んできた家は爆発四散した。
「…こちらまで飛んできた物は俺が排除する。…お前達は住民への攻撃を続けろ。」
「「「っは!」」」
俺のさして大きくもない声で命令された魔法兵は、直ちにその命令を実行していく。
そう命令を実行したのだ。俺の命令を。
俺はハルダニヤ王都に住んでいる住民を殺す命令をした。
俺は…これが最善だと…これ以外思いつかない…。
俺が命令したことは正しかったのか?
分からない。
ナガルス様は未だに詠唱を続けている。
メリヴォラは、周りの建屋を、住民の前に土嚢のように積み上げていく。
ナガルス様への攻撃に光明を見たのか、積み上げていく合間に2つ目の建屋をこちらに投げてくる。
あいつの筋肉はどうなってんだよ。しかも発想力もありやがる。
…手加減は出来ない。
さっきと同様に、土魔法を作って鉄を練り上げる。
しかしさっきと違うのは銃弾の様な形にした。大きさは変わらず、しかし貫通力を上げるように。
さらに回転をつけ、まっすぐ飛ばせるように。
そしてもっと、鉄よりももっと硬い、重い金属に変わるように。
必ず敵を打ち砕くと願いを込めて。
初めてやることだが、前から考えていたことだ。
しかし今までの敵にはそれをする必要がなかった。
威力が足らなくても数を撃てば事足りたんだ。
たった一発の威力を高め、貫通力をあげることはつまり、相手を必ず殺すということ。
俺は今までそこまでの敵に出会わなかった。
今までは。
でも今は違う。ここで失敗すればナガルス様が死ぬ。
ナガルス兵達も死ぬ。
ナガルス族達はまた、自分の子供達を生贄に捧げる様な生活に戻ってしまう。
それは…出来ない。出来ないんだ。
飛んできた住居がギリギリこちらに届く寸前、俺は巨大な銃弾を放つ。
大破した家の破片からナガルス様を守るように斥引力魔法を並列発動しておく。
銃弾の先にはメリヴォラと、その背後に住民たちが居た。
目の前の積み上げられた巨大な土嚢を難なく突き抜け、俺の銃弾はメリヴォラに辿り着く。
彼女は一瞬背後の住民を見た後、巨大な大剣を盾のようにして構える。
除夜の鐘の音、を数百倍遅くしたような振動が王都中に響いた。
一拍遅れて、彼女の割れた喉から音が漏れてくる。
「…ッヴッオ”…ッオ”オ”オ”オ”!!」
何と。
俺の全力の魔法を弾いた。
弾いたと言っても俺たちの方へではなく、斜め後ろへだ。
だがそのお陰で住民たちの被害はゼロだ。
俺の全力の魔法が防がれたにも関わらず、俺はそこまで悲しくない。
いやむしろほっとしている。
…向こうの住民達が、死ななかったからだろうか。
俺が安堵したと同時に、王都を震わす地響きを感じる。
何だと顔を上げると、メリヴォラが弾いた俺の弾丸が、第一城壁を包んでいる結界へ突き刺さっていた。
突き刺さった弾丸は、回転を続けながらその結界の中にのめり込もうとしている。
驚愕の顔をしたラドチェリー王女は、とっさに目の前に倒れた黒い歪な杖を持ち、何事かを呟いた。
するとその結界は硬さを無くし、ゴムのような弾力のある性質に変わった。
銃弾は先程よりも結界の奥に入り込んでいったが、徐々に徐々にその回転力を失い、城の壁を少し削った所で止まった。
そのまま力を失った銃弾は、分離した結界に包まれてその場に落下する。
結界は、弾丸を包むために結界を切り離した瞬間だけは穴が空いたように見えたが、直ぐに塞がれてしまった。
そして最初の硬く、青く、澄んだ結界に戻る。
自分の手から剥がす様に黒い杖を離したラドチェリー王女は、かなり息を乱しているようだ。
彼女と、フォステリアの下に兵達が駆け寄り、何かを飲ませている。
あれで魔力を回復するのだろうか。…ずるいな。
どうやらフォステリアもその飲み物のお陰で立ち上がるまでには回復したようだ。
ついでにリヴェータ教らしき人が駆け寄り、二人に魔法を唱えている。
あれで体力も全回復か。羨ましいぜ。
くそったれ。
しかしどんなに回復しても、ラドチェリー王女の視線が俺から離れる事は無かった。
最初の驚愕した表情から一転、彼女の眼には厳しい物が宿っている。
先程までは、ナガルス様の横にいる変な男だと思っていたようだが、俺を無視できないと考えたのだろうな。
俺もかなり手応えがあった。
魔力もそれなりに消費したが、全力を出せば、あの結界を壊せるかも知れない。
同じ魔法を5,6発。それも間断なく打ち続ければ、あの結界を保つことは難しいだろう。
魔力が空になるまで、2,3時間は打ち続けられる。
あの結界の感じだとそこまでは持たない。…その前に古龍が来るかも知れないからもっとペースをあげたほうが良いかな。
どうしようも無くなったら、俺の魔法を使ってそうしよう。
そしてもう一つ嬉しいことがあった。
あのメリヴォラの大剣が折れていた。
俺の弾丸を弾いた後、杖代わりに地面に突き立てようとしたら、ポッキリと根本から。
これでもう彼女に俺の銃弾を防ぐ術はない。
もう一発撃てば、あのメリヴォラは殺すことが出来るだろう。
…。
…後ろの住民達を巻き込んで。
今、撃つか?
今すぐ撃ったほうが良いのか?
相手が何か企てる前に先手を撃ったほうが良いのか?
糞、もうちょっと前に来いよ!住民の前に立って正義の味方面してんじゃねぇよ!
…いや、どう考えても向こうが正義の味方か。
糞…!
…あれ?
メリヴォラも家を投げて来ない?
なんで?いや、そうか。
家を投げてきたらこちらも銃弾を打たない訳にはいかない。
そうすればメリヴォラは自身も、後ろの住民も守る手立てがなくなる。
だから投げて来ないのか?
だが俺が直ぐに銃弾を打たないことに疑問は無いのか?
理由は分からないが、俺が嫌がってる事をしてやろう、みたいには思わないのか?
魔力の消費を抑えるためだと思われている?
ラドチェリー王女が何事かを兵士に命令している。
何だ?兵士が出てきて…巨大な大剣だ。
そうか…メリヴォラに新しい武器を渡そうとしてるのか。
…じゃました方が良いのか?
しかし…その大剣を抱えた兵士は、避難中の住民達の間を通って来ている。
住民達は、随分結界の中へ避難したとは言え、それでもまだ居る。
それに合わせて死兵達の戦線も下がっているから、ちょうど住民に当たらないタイミングで撃つのは難しいだろう。
糞…。
そしてその大剣はメリヴォラの手に渡った。
…別に構わない。
メリヴォラが武器を手に入れたらまた撃ち込むだけだ。
交換する武器が無くなるまで撃ち続ければ良い。
時間を使うのはこちらも願ってもないこと。
ナガルス様の魔法が発動すればきっと…。
そうこちらが覚悟を決めているにも関わらず、メリヴォラは何もアクションを起こさなかった。
手に持った大剣をしげしげと眺めるだけだ。
…武器の感触を確かめてるのか?
するとおもむろにその大剣を地面に叩きつけた。
鉄がひしゃげるような、割れるような音が出たかと思ったと同時に、その大剣は根本から割れていた。
…はぁ?なんだそりゃ?自分の大剣をぶっ壊したのか?
メリヴォラは、話にならんとでもいいたげに、折れた大剣の柄をそこらに投げ捨てた。
…豪傑だなぁ…。
ラドチェリー王女は片手で目元を覆っている。
まぁ…分からんでもない。
しかしこれで硬直状態か。
もちろん、魔法へはまだ住民達への攻撃を続けているが、それも後少しだ。
もうすぐ住民達が全員王城の中へ避難できる。
そうすればまた奴らは気兼ねなく、こちらを攻撃できるはずだ。
だが住民達がまだ避難してない今は、住民達の前からおいそれと…。
と、そう思った瞬間!
メリヴォラが猛スピードでこちらへ駆けてきた。
まるで猛獣のようなしなやかさでこちらへの距離を詰めてくる。
こちらというかどう考えても俺を見てる。
は?は?おま…住民はどうすんだよ!糞!糞!
銃弾は…撃てねぇ!後ろの住民が…!
なら…!奴の足元全部をドロドロに変えてやるぁぁあああ!!
「クソ野郎がぁ!!!」
俺は奴の前からこちらの城壁までの全てをドロッドロの沼に変えた。
そのまま足を取られて沈んで行くなら良し、駄目ならその泥を最高強度の材質に全部変えてやる!
どうだ!どうだよ!
これでどう…しよう…も…。
絶対大丈夫だったと思ったのに。
奴は何と。空中を駆けてきた。
何か見えない足場を作ってんのか?!魔法?…いやあの脚甲…あれ魔道具かよ!?
もう残り20mも…無い…んだったら斥引力魔法を喰らえよ!
これなら見えねぇだろ!
「ゴア"ッ?!」
もう寸前まで切りかけて来たメリヴォラを、斥引力魔法を使って弾き飛ばした。
結界の上側へ。
そこには住民もいない。奴はバランスを崩していて脚甲を使えない。
全力で。
「喰らいやがれ!!」
俺は全力の直径1mの銃弾を数十個、奴に向けて放った。
その銃弾は全て、メリヴォラにぶつかる。
銃弾に弾かれたメリヴォラは結界に衝突し、その結界の奥に押し込まれていく。
俺は押し込まれた所に更に銃弾を打ち込んでいく。
「ぁぁぁぁあああ”あ”っ!!」
今。
奴を倒さなければ。
ここが最初で最後のチャンスだ。
さっきの切りかけれれた瞬間、斥引力で弾けたのは偶然だ。
次はない。今が最後なんだ。
「っがあ!!」
一気に最大魔法を吐き出すように放った後、向こうの様子をみた。
メリヴォラは…結界の奥へ銃弾と共に落ちていき様子が分からない。
俺の放った銃弾の轟音が収まった後、その砂埃が収まるまで辺りは静寂に包まれていた。
そして徐々にその景色が明らかになると思う寸前、また第一城壁で光の柱が立った。
砂埃が晴れたそこに写っていたのは、傷一つ無い、結界の姿だった。
…結構全力で撃ったんだけど駄目だったか…。
…ん?
いや、またフォステリアが倒れてる?いや周りの兵士に囲まれて下がっていく。
…あれは血を吐いているのか?
大分…無理をしたのか?
ラドチェリー王女が未だ俺を睨んでいるのに対し、フォステリアは血を吐きながら、兵に肩を貸してもらいながらもナガルス様から眼を離さなかった。
ラドチェリー王女が俺を睨んでいるのは、恐らく強い敵に油断をしてはならない、という感じだと思う。少なくともものすごく恨んでいる、という感じは受けない。
もちろん、戦争なのだから恨んでいると言えば、恨んでいるのだろうが、そこに長年の恨みがあるようには見えない。
だが、フォステリアは違う。明らかにナガルス様を恨んでいる。
血を吐きながら、自分が危うくなりながらも決して目をそらさず、ナガルス様を睨んでいる。
一体何したんだよナガルス様よぉ…。
すると俺の肩が叩かれる。
「先生。すげぇじゃねぇか。ありゃ…恐らく一回結界がぶっ壊れたぞ。また張り直したみたいだが。あの様子から見るに…三度目はねぇな。」
「ガーク…。」
戻ってきてたのか。
「魔力はまだ残ってるのか?」
「ああ。半分以上は残ってる。」
「まじかよ。あれだけの魔法を使って?化け物かよ。」
失礼な男だ。
やはりこいつのお見合いは邪魔してやろうかしら。
さて、向こうは…向こうの住民達は恐慌状態だな。
成程、俺の魔法にビビったのか?
だが砂煙がひどかったから結界が破れたのは見えてなかったのだろうか。
我先にと結界の中に避難しようとしている。
だが住民達の避難は殆ど既に終わっていたようで、パニックになってもそのせいで二次被害が出ることは無かったようだ。
逆に、避難が迅速に進んでいる。いや…あれで避難は終わりか。全員避難したようだ。
そして避難完了後、残った死兵達がこちらに進軍してくる。
だが、ナガルス兵もすでにかなり撤退が進んでいる。
こちらの第二城壁の後ろ側にまで下がり切っている。
さて、どうするか…。
いや、問題ねぇか。
向こうの住民は避難が済んでるんだ。
俺の銃弾を打ち込みまくれば終いだ。
とっととケリを…。
『…お越し賜え。』
長く続いていたナガルス様の詠唱は、その最後の言葉だけ、響き渡った。
これも不思議なことに、王都全体に聞こえるように。
そして震えが始まる。
大気ではない、地面ではない、ましてや巨大な音でもない。
ただ、自分の体が震えていた。
一体何によって震えているのか?
それは分からない。分からないが、何処かの振動を感じている訳じゃないなとわかった。
俺の内側から震えているのだ。体が、震えている。
周りを見ると、ガークも、魔法兵も、後ろのナガルス兵も震えている。
皆、自分の手を確かめ、カチカチと鳴る自らの防具を抑えている。
対して、ハルダニヤ兵達も不思議がっている。
何故か体が震えている事に。
第一城壁に立っているラドチェリー王女ですら訝しげな顔をしている。
ピカリと、光が俺の顔に刺さった気がした。
小さな小さな光。しかしまるで太陽のような明るい光だ。
しかしそれはおかしい。なぜなら今は夜だからだ。
篝火が少し強く揺れたんだろうと辺りを見渡すが、その様な気配は無い。
しかしその光は徐々に強くなる。決して勘違いじゃない。
そして光が刺しているのは、周りからではなく、上からだとわかった。
徐々に大きくなった光が生み出す影が、足元に見えたからだ。
見上げて目に入った光景は、異様、としか言えないものだった。
ひび、が入っている。
城壁でもない、人でもない。剣でも、防具でもない所にひびが入っている。
ナガルス様の直上に、裂け目が入っている。
その…空間に。
まるで卵の殻を割った時に見る模様が、ナガルス様の真上に見える。
約1mの割れ目。
そしてその割れ目からは、眩い光が漏れている。
その光は今まで見たどんな光より白く、熱を感じない物だった。
ただ、白い光。
その裂け目は、どんどんと広がっていく。
ちょうど俺たちの真上から、第一城壁の結界の上に向けて、斜めにひびが伸びていく。
空間が、割れていく。
この第二城壁と、向こうの第一城壁の中程まで裂け目が伸びた頃、ハルダニヤ側も異常に気づいた。
その裂け目から漏れ出る光は、城壁と城壁を結ぶ大通りを照らしていったからだ。
ハルダニヤ兵や死兵達は、その大通りを照らす光を思わず避けていく。
一体何が起こっているのか。
ナガルス兵も、ハルダニヤ兵も、ラドチェリー王女もましてやガークも魔法兵もわかっていない。
だからだろうか。この王都に居る人間全てが固唾を飲んでいるのがわかる。
その空間を切り裂く割れ目が、結界上空まで伸び切った頃、変化は訪れた。
そのひびが、左右に広がっていくのだ。
不思議な事に、音は全く聞こえない。
聞こえないのに、パキリ、パキリという音が聞こえてくる様な様子だ。
今までの裂け目は、本当に細い線のような物が縦に伸びていただけだった。
しかし、その線は、今や大通りを覆うほどの太さになっていた。
隣のナガルス様は、額から脂汗を流しなから耐えている。
あれは一体何ですか、と質問することなど到底できそうもない。
しかしそれでも時間は進んでいく。
異様な光景にも、さらに変化が見えた。
にゅっ、という音が聞こえてきそうな程容易く、その光の裂け目から巨大な指が出てきた。
5本の指と、5本の指。
合わせて10本の指が、その光の裂け目から出てきた。
そしてその指は、裂け目の端を掴む。
こちら側に見えているのは指だけだ。
しかし、その光の「向こう」側には、明らかに掌がある。そう確信させる程の、滑らかな手の動きを連想させる。
つまり、掴むという動作を容易く想像させる動きを、10本の指達は見せた。
その光の向こう側には、指に繋がった掌があり、腕があり、肩があり頭があり身体があるような…。
そしてその裂け目を掴んだ指達は、どう考えてもその裂け目を広げようとする動作をしている。
力を入れて左右に引っ張っているようにしか見えない。
まるで向こう側から「何か」が出てこようとしているような…。
指のサイズから考えれば、どう考えても100m以上ありそうな、巨大な「何か」が…。
「召喚魔法…。」
隣にいるガークが呟いている。
召喚魔法とは何だとか、俺達はこれから一体どうなるんだとか、ナガルス様は大丈夫なのかとか聞かなければならない事は無数にある。
しかし全く裂け目から目が離せない。
中には腰が抜けて居る者たちもいる。
魔法兵達は攻撃をやめ、ただ上を見上げている。
ただ唯一、第一城壁に立っているラドチェリー王女だけは違っていた。
小さな杖を光らせ、何かを死兵に命令しようとしている。
しかし、もう遅かった。
十分に広がりきったその光の裂け目から、一瞬指が引っ込んだかと思った次の瞬間。
巨大な拳骨が、その巨大な腕と共に地面に叩きつけられたからだ。
その余りに早い拳骨は、雷のような音と、王都中を揺らす地響きを生み出しす。
その切り裂く音は、思わず耳を塞ぎたく鳴るような恐怖を孕み、その地響きは脆弱な建屋であれば、倒壊させる程の物だった。
そして、その巨大な拳は、数多の死兵とハルダニヤ兵を叩き潰していった。
生きたハルダニヤ兵はもう恐慌状態に陥っている。
我先に結界の中に逃げようとしている。
ラドチェリー王女は、逃げる兵には目もくれず死兵に命令を下す。
あの巨兵を打ち倒せ、と。
しかしどう考えても無理だ。
あの圧倒的なパワー、質量、頑丈さ。
全く太刀打ち出来ている様には見えない。
光から打ち出される拳は、何度も何度も地面に叩きつけられている。
その度に、死兵は潰され、ハルダニヤ兵は逃げていく。
その巨大な腕に攻撃を仕掛けている死兵も居るが全く効いていないようだ。
その腕は、まるで金属の塊を継ぎ接ぎしたような腕だった。
巨大なゴーレムというかロボットというか。
しかし俺が物語で想像するようなロボットやゴーレムの様な…なんというか美しさみたいな物は無かった。
規則正しさというか人口的っぽさが一切見られない。
無作為に色んな形や色の鉱物や金属が寄り集まって出来たかのような…。
しかし確かに言えるのは、あれがなにかの生き物だという事。
ぐっと力を入れる動作や、拳骨を打ち付けた後の掌を振る動作などが本当に生きている様な動作なんだ。
確かに生きているとわかる。
そして、気づかない内に変化は進んでいた。
何度も何度も叩きつけられる拳骨によって、絶え間ない振動や音が響くせいで全く気にできなかった。
いや、ハルダニヤ側も全く対応出来ていないから安心してしまったのかも知れない。
明らかにこちらが押しているんだ。異常な光景も相まって気付かなかったのはしょうがないのかも知れない。
その打ち出す拳が少しずつ、力強くなっているんだ。
なぜなら、光から出てくる部分が徐々に広がっている。
最初は肘の少し上までを光から出していただけなのに、今となっては肩らしき部分が見えるまで出てきている。
これは誰か気づいているのか?
いや別に気にしなくて良いのか?
ナガルス様はさっきよりもつらそうにしている。ナガルス様はこのままで良いのか?
どうすればいい?
どうすれば…。
隣のガークに相談しようとした時、またしても状況が変わる。
もう死兵が居なくなっていたんだ。
皆、潰されて死んでいった。…元から死んでいるのに死んでしまったっていうのも変か。
そして地面に叩きつけられていた拳は、その半円球状の結界を攻撃した。
何度も、何度も。
「おい、こりゃ…結界もやっちまうのか?」
誰に聞いたのか分からないガークのつぶやきは、誰にも答えて貰える事は無かった。
なぜなら、何度も拳を叩きつけてもその結界が壊れないのに業を煮やしたのか知らないが、その巨大な何かが光の中から出てきたのだ。
にゅうん、とその光の中から、巨大な人の形をした上半身が出てきた。
拳が結界を壊せないと見るや、冷静さを取り戻していたラドチェリー王女だったが、その巨人の上半身が出てきてからも冷静さを保つのは難しかったようだ。
顔が真っ青だ。
だが気持ちはわかる。
俺も真っ青だからだ。
あんなもん見て冷静で居られるかっつーの。
その巨人の上半身もまた、金属や鉱物を継ぎ接ぎしたような皮膚を持っていた。
無作為にくっついているかのようなそれらは、カラフルな色をしていて、一見すると少しポップにすら見える。
だがたった一つ、その巨人の表情が一切を不気味にしている。
笑っているのだ。
ニヤニヤと、笑っている。
もし街中であんな表情をしている奴にあったら絶対に警戒する。
とういか日本に居た頃だったら目を合わせない。
そんな奴が巨大になって自分たちの結界を壊そうとしてる。
もうそれだけで怖い。
ハルダニヤ兵達はもう見上げてるだけだ。恐怖で泣いている者もいる。座り込んでいる奴がほとんどだ。
ラドチェリー王女だけは気丈に立っているが、顔は真っ青だ。
そして巨人は、その不気味な表情を浮かべながら、両手を振り上げた。
両手を組み、上半身を弓の様にしならせて、その両手を頭の真後ろまで引き上げている。
ギチギチという音が聞こえてくる。
金属が擦れるような不協和音が限界まで達した瞬間、その両手を結界に振り下ろした。
直後、とてつもない振動と空気が引き裂かれたかのような音が突き抜ける。
ラドチェリー王女はその寸前、黒い杖を使って結界を柔らかくしようとしたが、すぐに辞めた。
柔らかくしてしまえば、その両の拳は間違いなく王城を叩き壊す。
そう思ったからだろう。
結局何もせずに終わった。これだけの事が目の前で起こって、それでもなにかしようとする辺り、ラドチェリー王女の胆力たるやとてつもない物がある。
そしてどんなに胆力があっても、どうしようも無いこともあるとわかった。
その両の拳を叩きつけた一発で、結界全体にひびが入り、破壊されてしまった。
たった一発すら持たなかった。
いや、あの一発に耐えるほどの結界だったとも言える。最初の片手の攻撃には耐えていたんだからむしろ凄い結界だと言えよう。
結界が破られてしまい、ラドチェリー王女は流石に立っていられなかったようだ。
腰が抜けてその場にへたり込んでしまうのを必死に、黒い杖で支えている。
しかしもう見上げることが出来ず、顔はうなだれている。
そして巨人は、両手をもう一度振り上げて二発目を放とうとしている。
方向から間違いなく、王城をぶっ壊そうとしている。
ぶっ壊していいのか?
「…宝珠が壊れてしまうのでは?」
誰に聞くつもりも無かった問に、ガークが答える。
「…宝珠は王城を通り過ぎて、大樹の木の虚に安置されてる。王城がまっさらになっちまっても問題はない…多分。」
多分って何だよと思ってすぐ、巨人は両の拳を振り下ろした。
ハルダニヤの人達は皆、俯いて項垂れている。恐怖で泣き叫ぶ事すら出来ていない。
俺も思わず眼を逸してしまった。沢山の人間が死ぬ光景を直視することが出来なかったからだ。
どしん、という音が聞こえた。
確かに巨大な何かが、地面に叩きつけられた音に聞こえる。
しかし先程の攻撃と比べると明らかに小さい。
何だと見てみると、確かに巨人の両手が地面に叩きつけられていた。
しかし、その手を組んだ両手は、肩から切り落とされていた。
その切り落とされた両の腕が、確かに地面に落ち、地面を弱く震わせた。
そして、ラドチェリー王女の隣には、その腕を切り落とした張本人、ダックス・ディ・アーキテクスが立っていた。
そしてその直上には、山一つを有に超える巨大な龍。
オセロス・モナドを背に乗せた、古龍が飛んでいた。
「グロロロロォオアアアアアアア!!!!!」
ハルダニヤ王国最強の二人が、帰ってきた。
卑小なる我が魔力を捧げ捧げ奉る。
我らが遠祖と交わし給うた古の盟約の下、我が宣誓を奉らん。』
フォステリアの壮大な魔法の発動に対し、ナガルス様の詠唱は静かで小さな声だった。
声もさることながら、彼女に内包する魔力すらも小さく小さくなっていき、まるで消え掛かる寸前のように感じた。
それと並行し、魔法兵は住民たちへの攻撃を続けていく。
忌々しげな顔をしたラドチェリー王女は、仕方なくハルダニヤ王都の住民を守るために、死兵を一旦下がらせた。
魔法兵が放つ魔法は、死兵に叩き落される物もあれば、ダメージを与えている物もある。
やはり、死兵とは言え、こちらの古代魔法は、現代魔法に圧倒的なアドバンテージがあるようだ。
しかし死兵たちも途中から慣れてきたのか、途中からは現代魔法や自身の体で古代魔法を抑える方法は取らなくなった。
魔法で操作した地面を当てたり、そこらにあるものをとてつもないスピードで当てたりすることで凌いでいる。
メリヴォラと思しき死兵は、なんとそこらにある住居を片手で持ち上げ投げつけて来る。
投げつけてきた家は、古代魔法を打ち消し、その勢いのままこちらに飛んでくる。
あれには魔力が込められているのか?
魔導兵が放つ古代魔法に削られながらも、その殆どを残してナガルス様に向かって飛んでくる。
「っらぁ!!」
俺は自身の、最高に高密度の魔力を込めて作った鉄球を、斥引力魔法で最高速度に加速して打ち出す。
鉄球のサイズは約1mの直径。
流石にこれには耐えられる筈もなく、飛んできた家は爆発四散した。
「…こちらまで飛んできた物は俺が排除する。…お前達は住民への攻撃を続けろ。」
「「「っは!」」」
俺のさして大きくもない声で命令された魔法兵は、直ちにその命令を実行していく。
そう命令を実行したのだ。俺の命令を。
俺はハルダニヤ王都に住んでいる住民を殺す命令をした。
俺は…これが最善だと…これ以外思いつかない…。
俺が命令したことは正しかったのか?
分からない。
ナガルス様は未だに詠唱を続けている。
メリヴォラは、周りの建屋を、住民の前に土嚢のように積み上げていく。
ナガルス様への攻撃に光明を見たのか、積み上げていく合間に2つ目の建屋をこちらに投げてくる。
あいつの筋肉はどうなってんだよ。しかも発想力もありやがる。
…手加減は出来ない。
さっきと同様に、土魔法を作って鉄を練り上げる。
しかしさっきと違うのは銃弾の様な形にした。大きさは変わらず、しかし貫通力を上げるように。
さらに回転をつけ、まっすぐ飛ばせるように。
そしてもっと、鉄よりももっと硬い、重い金属に変わるように。
必ず敵を打ち砕くと願いを込めて。
初めてやることだが、前から考えていたことだ。
しかし今までの敵にはそれをする必要がなかった。
威力が足らなくても数を撃てば事足りたんだ。
たった一発の威力を高め、貫通力をあげることはつまり、相手を必ず殺すということ。
俺は今までそこまでの敵に出会わなかった。
今までは。
でも今は違う。ここで失敗すればナガルス様が死ぬ。
ナガルス兵達も死ぬ。
ナガルス族達はまた、自分の子供達を生贄に捧げる様な生活に戻ってしまう。
それは…出来ない。出来ないんだ。
飛んできた住居がギリギリこちらに届く寸前、俺は巨大な銃弾を放つ。
大破した家の破片からナガルス様を守るように斥引力魔法を並列発動しておく。
銃弾の先にはメリヴォラと、その背後に住民たちが居た。
目の前の積み上げられた巨大な土嚢を難なく突き抜け、俺の銃弾はメリヴォラに辿り着く。
彼女は一瞬背後の住民を見た後、巨大な大剣を盾のようにして構える。
除夜の鐘の音、を数百倍遅くしたような振動が王都中に響いた。
一拍遅れて、彼女の割れた喉から音が漏れてくる。
「…ッヴッオ”…ッオ”オ”オ”オ”!!」
何と。
俺の全力の魔法を弾いた。
弾いたと言っても俺たちの方へではなく、斜め後ろへだ。
だがそのお陰で住民たちの被害はゼロだ。
俺の全力の魔法が防がれたにも関わらず、俺はそこまで悲しくない。
いやむしろほっとしている。
…向こうの住民達が、死ななかったからだろうか。
俺が安堵したと同時に、王都を震わす地響きを感じる。
何だと顔を上げると、メリヴォラが弾いた俺の弾丸が、第一城壁を包んでいる結界へ突き刺さっていた。
突き刺さった弾丸は、回転を続けながらその結界の中にのめり込もうとしている。
驚愕の顔をしたラドチェリー王女は、とっさに目の前に倒れた黒い歪な杖を持ち、何事かを呟いた。
するとその結界は硬さを無くし、ゴムのような弾力のある性質に変わった。
銃弾は先程よりも結界の奥に入り込んでいったが、徐々に徐々にその回転力を失い、城の壁を少し削った所で止まった。
そのまま力を失った銃弾は、分離した結界に包まれてその場に落下する。
結界は、弾丸を包むために結界を切り離した瞬間だけは穴が空いたように見えたが、直ぐに塞がれてしまった。
そして最初の硬く、青く、澄んだ結界に戻る。
自分の手から剥がす様に黒い杖を離したラドチェリー王女は、かなり息を乱しているようだ。
彼女と、フォステリアの下に兵達が駆け寄り、何かを飲ませている。
あれで魔力を回復するのだろうか。…ずるいな。
どうやらフォステリアもその飲み物のお陰で立ち上がるまでには回復したようだ。
ついでにリヴェータ教らしき人が駆け寄り、二人に魔法を唱えている。
あれで体力も全回復か。羨ましいぜ。
くそったれ。
しかしどんなに回復しても、ラドチェリー王女の視線が俺から離れる事は無かった。
最初の驚愕した表情から一転、彼女の眼には厳しい物が宿っている。
先程までは、ナガルス様の横にいる変な男だと思っていたようだが、俺を無視できないと考えたのだろうな。
俺もかなり手応えがあった。
魔力もそれなりに消費したが、全力を出せば、あの結界を壊せるかも知れない。
同じ魔法を5,6発。それも間断なく打ち続ければ、あの結界を保つことは難しいだろう。
魔力が空になるまで、2,3時間は打ち続けられる。
あの結界の感じだとそこまでは持たない。…その前に古龍が来るかも知れないからもっとペースをあげたほうが良いかな。
どうしようも無くなったら、俺の魔法を使ってそうしよう。
そしてもう一つ嬉しいことがあった。
あのメリヴォラの大剣が折れていた。
俺の弾丸を弾いた後、杖代わりに地面に突き立てようとしたら、ポッキリと根本から。
これでもう彼女に俺の銃弾を防ぐ術はない。
もう一発撃てば、あのメリヴォラは殺すことが出来るだろう。
…。
…後ろの住民達を巻き込んで。
今、撃つか?
今すぐ撃ったほうが良いのか?
相手が何か企てる前に先手を撃ったほうが良いのか?
糞、もうちょっと前に来いよ!住民の前に立って正義の味方面してんじゃねぇよ!
…いや、どう考えても向こうが正義の味方か。
糞…!
…あれ?
メリヴォラも家を投げて来ない?
なんで?いや、そうか。
家を投げてきたらこちらも銃弾を打たない訳にはいかない。
そうすればメリヴォラは自身も、後ろの住民も守る手立てがなくなる。
だから投げて来ないのか?
だが俺が直ぐに銃弾を打たないことに疑問は無いのか?
理由は分からないが、俺が嫌がってる事をしてやろう、みたいには思わないのか?
魔力の消費を抑えるためだと思われている?
ラドチェリー王女が何事かを兵士に命令している。
何だ?兵士が出てきて…巨大な大剣だ。
そうか…メリヴォラに新しい武器を渡そうとしてるのか。
…じゃました方が良いのか?
しかし…その大剣を抱えた兵士は、避難中の住民達の間を通って来ている。
住民達は、随分結界の中へ避難したとは言え、それでもまだ居る。
それに合わせて死兵達の戦線も下がっているから、ちょうど住民に当たらないタイミングで撃つのは難しいだろう。
糞…。
そしてその大剣はメリヴォラの手に渡った。
…別に構わない。
メリヴォラが武器を手に入れたらまた撃ち込むだけだ。
交換する武器が無くなるまで撃ち続ければ良い。
時間を使うのはこちらも願ってもないこと。
ナガルス様の魔法が発動すればきっと…。
そうこちらが覚悟を決めているにも関わらず、メリヴォラは何もアクションを起こさなかった。
手に持った大剣をしげしげと眺めるだけだ。
…武器の感触を確かめてるのか?
するとおもむろにその大剣を地面に叩きつけた。
鉄がひしゃげるような、割れるような音が出たかと思ったと同時に、その大剣は根本から割れていた。
…はぁ?なんだそりゃ?自分の大剣をぶっ壊したのか?
メリヴォラは、話にならんとでもいいたげに、折れた大剣の柄をそこらに投げ捨てた。
…豪傑だなぁ…。
ラドチェリー王女は片手で目元を覆っている。
まぁ…分からんでもない。
しかしこれで硬直状態か。
もちろん、魔法へはまだ住民達への攻撃を続けているが、それも後少しだ。
もうすぐ住民達が全員王城の中へ避難できる。
そうすればまた奴らは気兼ねなく、こちらを攻撃できるはずだ。
だが住民達がまだ避難してない今は、住民達の前からおいそれと…。
と、そう思った瞬間!
メリヴォラが猛スピードでこちらへ駆けてきた。
まるで猛獣のようなしなやかさでこちらへの距離を詰めてくる。
こちらというかどう考えても俺を見てる。
は?は?おま…住民はどうすんだよ!糞!糞!
銃弾は…撃てねぇ!後ろの住民が…!
なら…!奴の足元全部をドロドロに変えてやるぁぁあああ!!
「クソ野郎がぁ!!!」
俺は奴の前からこちらの城壁までの全てをドロッドロの沼に変えた。
そのまま足を取られて沈んで行くなら良し、駄目ならその泥を最高強度の材質に全部変えてやる!
どうだ!どうだよ!
これでどう…しよう…も…。
絶対大丈夫だったと思ったのに。
奴は何と。空中を駆けてきた。
何か見えない足場を作ってんのか?!魔法?…いやあの脚甲…あれ魔道具かよ!?
もう残り20mも…無い…んだったら斥引力魔法を喰らえよ!
これなら見えねぇだろ!
「ゴア"ッ?!」
もう寸前まで切りかけて来たメリヴォラを、斥引力魔法を使って弾き飛ばした。
結界の上側へ。
そこには住民もいない。奴はバランスを崩していて脚甲を使えない。
全力で。
「喰らいやがれ!!」
俺は全力の直径1mの銃弾を数十個、奴に向けて放った。
その銃弾は全て、メリヴォラにぶつかる。
銃弾に弾かれたメリヴォラは結界に衝突し、その結界の奥に押し込まれていく。
俺は押し込まれた所に更に銃弾を打ち込んでいく。
「ぁぁぁぁあああ”あ”っ!!」
今。
奴を倒さなければ。
ここが最初で最後のチャンスだ。
さっきの切りかけれれた瞬間、斥引力で弾けたのは偶然だ。
次はない。今が最後なんだ。
「っがあ!!」
一気に最大魔法を吐き出すように放った後、向こうの様子をみた。
メリヴォラは…結界の奥へ銃弾と共に落ちていき様子が分からない。
俺の放った銃弾の轟音が収まった後、その砂埃が収まるまで辺りは静寂に包まれていた。
そして徐々にその景色が明らかになると思う寸前、また第一城壁で光の柱が立った。
砂埃が晴れたそこに写っていたのは、傷一つ無い、結界の姿だった。
…結構全力で撃ったんだけど駄目だったか…。
…ん?
いや、またフォステリアが倒れてる?いや周りの兵士に囲まれて下がっていく。
…あれは血を吐いているのか?
大分…無理をしたのか?
ラドチェリー王女が未だ俺を睨んでいるのに対し、フォステリアは血を吐きながら、兵に肩を貸してもらいながらもナガルス様から眼を離さなかった。
ラドチェリー王女が俺を睨んでいるのは、恐らく強い敵に油断をしてはならない、という感じだと思う。少なくともものすごく恨んでいる、という感じは受けない。
もちろん、戦争なのだから恨んでいると言えば、恨んでいるのだろうが、そこに長年の恨みがあるようには見えない。
だが、フォステリアは違う。明らかにナガルス様を恨んでいる。
血を吐きながら、自分が危うくなりながらも決して目をそらさず、ナガルス様を睨んでいる。
一体何したんだよナガルス様よぉ…。
すると俺の肩が叩かれる。
「先生。すげぇじゃねぇか。ありゃ…恐らく一回結界がぶっ壊れたぞ。また張り直したみたいだが。あの様子から見るに…三度目はねぇな。」
「ガーク…。」
戻ってきてたのか。
「魔力はまだ残ってるのか?」
「ああ。半分以上は残ってる。」
「まじかよ。あれだけの魔法を使って?化け物かよ。」
失礼な男だ。
やはりこいつのお見合いは邪魔してやろうかしら。
さて、向こうは…向こうの住民達は恐慌状態だな。
成程、俺の魔法にビビったのか?
だが砂煙がひどかったから結界が破れたのは見えてなかったのだろうか。
我先にと結界の中に避難しようとしている。
だが住民達の避難は殆ど既に終わっていたようで、パニックになってもそのせいで二次被害が出ることは無かったようだ。
逆に、避難が迅速に進んでいる。いや…あれで避難は終わりか。全員避難したようだ。
そして避難完了後、残った死兵達がこちらに進軍してくる。
だが、ナガルス兵もすでにかなり撤退が進んでいる。
こちらの第二城壁の後ろ側にまで下がり切っている。
さて、どうするか…。
いや、問題ねぇか。
向こうの住民は避難が済んでるんだ。
俺の銃弾を打ち込みまくれば終いだ。
とっととケリを…。
『…お越し賜え。』
長く続いていたナガルス様の詠唱は、その最後の言葉だけ、響き渡った。
これも不思議なことに、王都全体に聞こえるように。
そして震えが始まる。
大気ではない、地面ではない、ましてや巨大な音でもない。
ただ、自分の体が震えていた。
一体何によって震えているのか?
それは分からない。分からないが、何処かの振動を感じている訳じゃないなとわかった。
俺の内側から震えているのだ。体が、震えている。
周りを見ると、ガークも、魔法兵も、後ろのナガルス兵も震えている。
皆、自分の手を確かめ、カチカチと鳴る自らの防具を抑えている。
対して、ハルダニヤ兵達も不思議がっている。
何故か体が震えている事に。
第一城壁に立っているラドチェリー王女ですら訝しげな顔をしている。
ピカリと、光が俺の顔に刺さった気がした。
小さな小さな光。しかしまるで太陽のような明るい光だ。
しかしそれはおかしい。なぜなら今は夜だからだ。
篝火が少し強く揺れたんだろうと辺りを見渡すが、その様な気配は無い。
しかしその光は徐々に強くなる。決して勘違いじゃない。
そして光が刺しているのは、周りからではなく、上からだとわかった。
徐々に大きくなった光が生み出す影が、足元に見えたからだ。
見上げて目に入った光景は、異様、としか言えないものだった。
ひび、が入っている。
城壁でもない、人でもない。剣でも、防具でもない所にひびが入っている。
ナガルス様の直上に、裂け目が入っている。
その…空間に。
まるで卵の殻を割った時に見る模様が、ナガルス様の真上に見える。
約1mの割れ目。
そしてその割れ目からは、眩い光が漏れている。
その光は今まで見たどんな光より白く、熱を感じない物だった。
ただ、白い光。
その裂け目は、どんどんと広がっていく。
ちょうど俺たちの真上から、第一城壁の結界の上に向けて、斜めにひびが伸びていく。
空間が、割れていく。
この第二城壁と、向こうの第一城壁の中程まで裂け目が伸びた頃、ハルダニヤ側も異常に気づいた。
その裂け目から漏れ出る光は、城壁と城壁を結ぶ大通りを照らしていったからだ。
ハルダニヤ兵や死兵達は、その大通りを照らす光を思わず避けていく。
一体何が起こっているのか。
ナガルス兵も、ハルダニヤ兵も、ラドチェリー王女もましてやガークも魔法兵もわかっていない。
だからだろうか。この王都に居る人間全てが固唾を飲んでいるのがわかる。
その空間を切り裂く割れ目が、結界上空まで伸び切った頃、変化は訪れた。
そのひびが、左右に広がっていくのだ。
不思議な事に、音は全く聞こえない。
聞こえないのに、パキリ、パキリという音が聞こえてくる様な様子だ。
今までの裂け目は、本当に細い線のような物が縦に伸びていただけだった。
しかし、その線は、今や大通りを覆うほどの太さになっていた。
隣のナガルス様は、額から脂汗を流しなから耐えている。
あれは一体何ですか、と質問することなど到底できそうもない。
しかしそれでも時間は進んでいく。
異様な光景にも、さらに変化が見えた。
にゅっ、という音が聞こえてきそうな程容易く、その光の裂け目から巨大な指が出てきた。
5本の指と、5本の指。
合わせて10本の指が、その光の裂け目から出てきた。
そしてその指は、裂け目の端を掴む。
こちら側に見えているのは指だけだ。
しかし、その光の「向こう」側には、明らかに掌がある。そう確信させる程の、滑らかな手の動きを連想させる。
つまり、掴むという動作を容易く想像させる動きを、10本の指達は見せた。
その光の向こう側には、指に繋がった掌があり、腕があり、肩があり頭があり身体があるような…。
そしてその裂け目を掴んだ指達は、どう考えてもその裂け目を広げようとする動作をしている。
力を入れて左右に引っ張っているようにしか見えない。
まるで向こう側から「何か」が出てこようとしているような…。
指のサイズから考えれば、どう考えても100m以上ありそうな、巨大な「何か」が…。
「召喚魔法…。」
隣にいるガークが呟いている。
召喚魔法とは何だとか、俺達はこれから一体どうなるんだとか、ナガルス様は大丈夫なのかとか聞かなければならない事は無数にある。
しかし全く裂け目から目が離せない。
中には腰が抜けて居る者たちもいる。
魔法兵達は攻撃をやめ、ただ上を見上げている。
ただ唯一、第一城壁に立っているラドチェリー王女だけは違っていた。
小さな杖を光らせ、何かを死兵に命令しようとしている。
しかし、もう遅かった。
十分に広がりきったその光の裂け目から、一瞬指が引っ込んだかと思った次の瞬間。
巨大な拳骨が、その巨大な腕と共に地面に叩きつけられたからだ。
その余りに早い拳骨は、雷のような音と、王都中を揺らす地響きを生み出しす。
その切り裂く音は、思わず耳を塞ぎたく鳴るような恐怖を孕み、その地響きは脆弱な建屋であれば、倒壊させる程の物だった。
そして、その巨大な拳は、数多の死兵とハルダニヤ兵を叩き潰していった。
生きたハルダニヤ兵はもう恐慌状態に陥っている。
我先に結界の中に逃げようとしている。
ラドチェリー王女は、逃げる兵には目もくれず死兵に命令を下す。
あの巨兵を打ち倒せ、と。
しかしどう考えても無理だ。
あの圧倒的なパワー、質量、頑丈さ。
全く太刀打ち出来ている様には見えない。
光から打ち出される拳は、何度も何度も地面に叩きつけられている。
その度に、死兵は潰され、ハルダニヤ兵は逃げていく。
その巨大な腕に攻撃を仕掛けている死兵も居るが全く効いていないようだ。
その腕は、まるで金属の塊を継ぎ接ぎしたような腕だった。
巨大なゴーレムというかロボットというか。
しかし俺が物語で想像するようなロボットやゴーレムの様な…なんというか美しさみたいな物は無かった。
規則正しさというか人口的っぽさが一切見られない。
無作為に色んな形や色の鉱物や金属が寄り集まって出来たかのような…。
しかし確かに言えるのは、あれがなにかの生き物だという事。
ぐっと力を入れる動作や、拳骨を打ち付けた後の掌を振る動作などが本当に生きている様な動作なんだ。
確かに生きているとわかる。
そして、気づかない内に変化は進んでいた。
何度も何度も叩きつけられる拳骨によって、絶え間ない振動や音が響くせいで全く気にできなかった。
いや、ハルダニヤ側も全く対応出来ていないから安心してしまったのかも知れない。
明らかにこちらが押しているんだ。異常な光景も相まって気付かなかったのはしょうがないのかも知れない。
その打ち出す拳が少しずつ、力強くなっているんだ。
なぜなら、光から出てくる部分が徐々に広がっている。
最初は肘の少し上までを光から出していただけなのに、今となっては肩らしき部分が見えるまで出てきている。
これは誰か気づいているのか?
いや別に気にしなくて良いのか?
ナガルス様はさっきよりもつらそうにしている。ナガルス様はこのままで良いのか?
どうすればいい?
どうすれば…。
隣のガークに相談しようとした時、またしても状況が変わる。
もう死兵が居なくなっていたんだ。
皆、潰されて死んでいった。…元から死んでいるのに死んでしまったっていうのも変か。
そして地面に叩きつけられていた拳は、その半円球状の結界を攻撃した。
何度も、何度も。
「おい、こりゃ…結界もやっちまうのか?」
誰に聞いたのか分からないガークのつぶやきは、誰にも答えて貰える事は無かった。
なぜなら、何度も拳を叩きつけてもその結界が壊れないのに業を煮やしたのか知らないが、その巨大な何かが光の中から出てきたのだ。
にゅうん、とその光の中から、巨大な人の形をした上半身が出てきた。
拳が結界を壊せないと見るや、冷静さを取り戻していたラドチェリー王女だったが、その巨人の上半身が出てきてからも冷静さを保つのは難しかったようだ。
顔が真っ青だ。
だが気持ちはわかる。
俺も真っ青だからだ。
あんなもん見て冷静で居られるかっつーの。
その巨人の上半身もまた、金属や鉱物を継ぎ接ぎしたような皮膚を持っていた。
無作為にくっついているかのようなそれらは、カラフルな色をしていて、一見すると少しポップにすら見える。
だがたった一つ、その巨人の表情が一切を不気味にしている。
笑っているのだ。
ニヤニヤと、笑っている。
もし街中であんな表情をしている奴にあったら絶対に警戒する。
とういか日本に居た頃だったら目を合わせない。
そんな奴が巨大になって自分たちの結界を壊そうとしてる。
もうそれだけで怖い。
ハルダニヤ兵達はもう見上げてるだけだ。恐怖で泣いている者もいる。座り込んでいる奴がほとんどだ。
ラドチェリー王女だけは気丈に立っているが、顔は真っ青だ。
そして巨人は、その不気味な表情を浮かべながら、両手を振り上げた。
両手を組み、上半身を弓の様にしならせて、その両手を頭の真後ろまで引き上げている。
ギチギチという音が聞こえてくる。
金属が擦れるような不協和音が限界まで達した瞬間、その両手を結界に振り下ろした。
直後、とてつもない振動と空気が引き裂かれたかのような音が突き抜ける。
ラドチェリー王女はその寸前、黒い杖を使って結界を柔らかくしようとしたが、すぐに辞めた。
柔らかくしてしまえば、その両の拳は間違いなく王城を叩き壊す。
そう思ったからだろう。
結局何もせずに終わった。これだけの事が目の前で起こって、それでもなにかしようとする辺り、ラドチェリー王女の胆力たるやとてつもない物がある。
そしてどんなに胆力があっても、どうしようも無いこともあるとわかった。
その両の拳を叩きつけた一発で、結界全体にひびが入り、破壊されてしまった。
たった一発すら持たなかった。
いや、あの一発に耐えるほどの結界だったとも言える。最初の片手の攻撃には耐えていたんだからむしろ凄い結界だと言えよう。
結界が破られてしまい、ラドチェリー王女は流石に立っていられなかったようだ。
腰が抜けてその場にへたり込んでしまうのを必死に、黒い杖で支えている。
しかしもう見上げることが出来ず、顔はうなだれている。
そして巨人は、両手をもう一度振り上げて二発目を放とうとしている。
方向から間違いなく、王城をぶっ壊そうとしている。
ぶっ壊していいのか?
「…宝珠が壊れてしまうのでは?」
誰に聞くつもりも無かった問に、ガークが答える。
「…宝珠は王城を通り過ぎて、大樹の木の虚に安置されてる。王城がまっさらになっちまっても問題はない…多分。」
多分って何だよと思ってすぐ、巨人は両の拳を振り下ろした。
ハルダニヤの人達は皆、俯いて項垂れている。恐怖で泣き叫ぶ事すら出来ていない。
俺も思わず眼を逸してしまった。沢山の人間が死ぬ光景を直視することが出来なかったからだ。
どしん、という音が聞こえた。
確かに巨大な何かが、地面に叩きつけられた音に聞こえる。
しかし先程の攻撃と比べると明らかに小さい。
何だと見てみると、確かに巨人の両手が地面に叩きつけられていた。
しかし、その手を組んだ両手は、肩から切り落とされていた。
その切り落とされた両の腕が、確かに地面に落ち、地面を弱く震わせた。
そして、ラドチェリー王女の隣には、その腕を切り落とした張本人、ダックス・ディ・アーキテクスが立っていた。
そしてその直上には、山一つを有に超える巨大な龍。
オセロス・モナドを背に乗せた、古龍が飛んでいた。
「グロロロロォオアアアアアアア!!!!!」
ハルダニヤ王国最強の二人が、帰ってきた。
応援ありがとうございます!
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