君は花のよう

明人

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生きる意味

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遠くから家が見えた。黒く焦げた家が。
信じられなくて、信じたくなくて、その場にへたり込んだ。
燃えてしまった家。踏み荒らされた花達。
大切にしていたものを一瞬で全て失った。
その喪失感は不意にある記憶を蘇らせた。
母は、父を深く愛していた。
父の訃報は夜が深まった頃、家に訪れた男から母は聞かされたようだ。
放心し、へたり込む母の傍に行けば強く強く抱きしめてくれた。
「父さんは兵士として仕事を全力で果たしたんだ。父さんのお陰で救われた命だって沢山ある。父さんは私達の誇りだよ。お母さんはルルーアが居てくれたらそれだけで十分よ」
父が死んだ。
その時のルルーアにはその言葉の意味は理解できていなかった。
その日の夜中家を出ていく母に気付き内緒で後を追った。
たどり着いたのは昔父と母と3人でピクニックにきた湖。
母は突然その場に崩れ落ち、火がついたように泣き叫んだ。
「どうして帰って来てくれないのよ!!あんたが仕事放り出すわけないって分かってるけど!他の誰かの命より何より自分の命を大事にしてほしかった!!ちゃんと私達のところに帰って来てほしかった!!!私は今でもずっと貴方を愛してるのにもう何処にもいないならっ、この思いをどうすればいいのよ!!」
こんなに取り乱す母を初めて見た。
きっと、見られたくないだろうと、見てしまってはいけなかったのだろうと音をたてないようにそっとその場を離れた。
母の言動を見て、父はもう帰ってこないのだと悟った。
翌日母はいつも通りに振る舞っていた。
でも、日を重ねるごとに隈が増え、やがてベットで横になっている時間の方が長くなっていった。
元気になって欲しくて、花冠を作って持って行ったことを覚えている。
「お母さん見てみて!!花冠作ったの!お母さんにあげる!」
母は花冠を差し出すルルーアを一瞥すらしなかった。
何を言っても、何をしても母は虚ろな瞳のまま、何一つ反応を示さなくなった日々に慣れていった。
ルルーアが薬草を売りに街に出て戻ると、母は体を起こし昔のような優しい笑顔でルルーアを迎えた。
元気になったんだと泣きそうになるぐらい嬉しかった。
その手に握られた毒草を見るまでは。
「お母さん...それ...」
少量でも心肺停止にさせてしまう猛毒だ。その危険性を母が知らない訳がない。
その危険性を教えてくれたのは母なのだから。
「ルルーア。私、お父さんに会いに行く」
昔と変わらない無邪気な優しい笑顔で、母は毒を飲んだ。
ルルーアが伸ばした手も届かず、母はベットに倒れそのまま息を引き取った。
「私が居ればいいって...そう言ったのに...」
私は母にとって必要なかった。
母にとって一緒に居たいと思える人間じゃなかった。
愛してくれたのは本当だ。でも、母は自分よりずっと父が好きだった。
沢山愛してくれて、沢山の人を守るために死んだ父なのに恨みそうになった。
あぁ、もう生きる意味がない。
母が眠るベットでうつ伏せになって目を閉じる。
あの世に行けばまた3人で、幸せな時間を過ごせるだろうか。
そんな考えが頭に浮かんだ時、空いた窓からフワリと風が流れ込み運んできた花びらがルルーアの頬を撫でる。
視線を動かし、美しい庭に目を奪われる。
母がずっと大事にしていた庭園だ。
母の習った通りに世話をすると、庭はまた美しくなっていった。蕾だった花が咲いたときその美しさに涙が出て、必要とされているような気がした。
生きていいと、そう言われているような気が。
ちゃんとこの子たちを育てて、生きよう。母と父が愛したこの家を守ろう。
そう思って生きてきた。
その全てを失った今、自分の生きる意味は何なのだろう。
薬草だって燃え尽きてしまった。
自分にはもう何もない。
フラフラと動いた足でたどり着いたのは、母が泣き叫んでいた、思い出のある湖。
一歩また一歩と湖に歩み寄る。
楽しかった記憶が頭の中で駆け巡った。
その中に、ルピィとヴァールリックの顔が浮かび、ハッと足を止める。
「今...私は何を...」
そう思った刹那、不意に背に衝撃がありそのまま湖に落ちた。
パニックは体を、頭を働かせない。
水が呼吸を許さず体は鉛のように沈んでいく。
何もない自分は生きている価値もないと思ったのは本当だ。
自分の恋心が彼に気付かれる前に離れようとそう決めたのも自分だ。
でも、それでも。
まだ大きくなったルピィを。彼が幸せになる姿を見ていない。
段々と薄れる意識の中、光射す水面へと手を伸ばす。
ーールルーア!
不意に聞こえたルピィの声で、ハッと薄れていた意識が僅かに戻る。
それと同時に飛び込んできた何かに勢いよく引っ張られた。
水面から顔を出し、激しく水を吐き出す。
「ルルーア!!!」
「ヴァール...リック...様...?」
ぼんやりとした頭で名前を呼べば、強く強く抱き締められた。
「良かった...っ」
カタカタと震えている肩に気付き、そっと背中を撫でる。
「大丈夫...ですよ...」
まぶたが重くなり、視界がすぐに真っ暗になった。
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