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オーバーチュア
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第2話
扉を開ける古典的な音がどこか厳かに響く。
『音楽魔法具店』に広がっていたのは、四メートル四方ほどの比較的ゆったりとした空間だった。
ロンドンの街が見渡せるガラス張りの壁に深緑のカーテン。
ランプやガラス製品、趣向を凝らした骨董品が左の棚にたてかけてある。
奥には赤茶色の執務机らしきものがあり、書類やペン立てが置かれている。
その後ろの棚には大量の楽譜。
入ったところの手前にはやはり赤茶色のアップライトピアノがあり、
「やぁ」
そこに腰かけていた男が、声をかけてきた。
二十代半ばか後半。
かちりとしたスーツ姿で、顔の左半分を真っ白い仮面で覆っている、風変わりな男だ。
右半分から覗く菫色の瞳が、好意的に細められる。
彼はアップライトピアノを弾く手をすでにとめて傍らにある紅茶を含んでいた。
まるでこのタイミングでティナがやってくることを知っていたかのように。
「来てくれると思っていたよ、歌姫さん」
微笑みかけてピアノの椅子から立ち上がると、白い手袋のはまった手を差し出して握手を求めてくる。
「ミュージカリー・カップの鑑定の手伝いをしてくれるんだろう? これからまた、よろしく頼むよ、ティナ」
きぃぃっと高い音を立てて、ティナは扉を閉めた。
扉にもたれつつ、真っ赤な観光バスが目の前の通りを通り過ぎていくのを片目で見やりながら額を押さえる。
あのふざけた求人広告を目にした時点でまさか、とは思った。
背を持たせている扉が、三十センチほど開く。
「入っていかないのかい? きみの好きなフルーツティーもあるよ。よく冷やしてある」
愛想のいい半面を扉から出してきた男に、答える。
「失礼しました。求人広告を見てきましたがほかをあたることにします」
わざと他人行儀に応じると、男の顎に白い手袋に包まれた指が添えられる。
「それは懸命な判断じゃないな。妹さんの音楽学校の学費の支援をするために、安定した収入が必要なんだろう?」
まさに志望動機そのものをつかれて、ティナはきりりと奥歯をかむ。
「音楽業界での知識や経験を生かせて、手っ取り早く収益につながる仕事。きみにとってまたとないと思うけど」
横から乗り出してくる顔からあえて視線を背け、ロンドンの大都会に対峙しながら、ティナは慎重に応える。
「そうよ。でも、切羽詰まってるのはお互い様じゃないかしら。怪しさ満載の求人広告で、どうせ誰も応募に来ていないんでしょ」
顎に添えられていた白手袋が、ぱちりと仮面の額の部分をはたいた。
「おお、これは手厳しい。しかも大当たりときた」
芝居がかった仕草がいちいち腹立つ。
舌をかみたい心地でいると、彼はしかめた顔を一瞬で緩やかな笑みに変えた。
「けど、一向にかまわないんだ。あの広告はきみ一人を呼び寄せるために出したんだからね」
――ああ。
「つれない顔をしないで、協力してくれよ。僕のプリマドンナ」
劇団でミュージカルを演じるプリマドンナだった頃の癖で背筋は丸めずに済んだ。
そう。自分は落ちぶれた元歌姫。
えり好みはしていられない。
しかし。それにしても。
大都会の喧騒からしばし視線を落としたティナは黙考する。
――よりによって元カレの元で、働くしかないのだろうか。
扉を開ける古典的な音がどこか厳かに響く。
『音楽魔法具店』に広がっていたのは、四メートル四方ほどの比較的ゆったりとした空間だった。
ロンドンの街が見渡せるガラス張りの壁に深緑のカーテン。
ランプやガラス製品、趣向を凝らした骨董品が左の棚にたてかけてある。
奥には赤茶色の執務机らしきものがあり、書類やペン立てが置かれている。
その後ろの棚には大量の楽譜。
入ったところの手前にはやはり赤茶色のアップライトピアノがあり、
「やぁ」
そこに腰かけていた男が、声をかけてきた。
二十代半ばか後半。
かちりとしたスーツ姿で、顔の左半分を真っ白い仮面で覆っている、風変わりな男だ。
右半分から覗く菫色の瞳が、好意的に細められる。
彼はアップライトピアノを弾く手をすでにとめて傍らにある紅茶を含んでいた。
まるでこのタイミングでティナがやってくることを知っていたかのように。
「来てくれると思っていたよ、歌姫さん」
微笑みかけてピアノの椅子から立ち上がると、白い手袋のはまった手を差し出して握手を求めてくる。
「ミュージカリー・カップの鑑定の手伝いをしてくれるんだろう? これからまた、よろしく頼むよ、ティナ」
きぃぃっと高い音を立てて、ティナは扉を閉めた。
扉にもたれつつ、真っ赤な観光バスが目の前の通りを通り過ぎていくのを片目で見やりながら額を押さえる。
あのふざけた求人広告を目にした時点でまさか、とは思った。
背を持たせている扉が、三十センチほど開く。
「入っていかないのかい? きみの好きなフルーツティーもあるよ。よく冷やしてある」
愛想のいい半面を扉から出してきた男に、答える。
「失礼しました。求人広告を見てきましたがほかをあたることにします」
わざと他人行儀に応じると、男の顎に白い手袋に包まれた指が添えられる。
「それは懸命な判断じゃないな。妹さんの音楽学校の学費の支援をするために、安定した収入が必要なんだろう?」
まさに志望動機そのものをつかれて、ティナはきりりと奥歯をかむ。
「音楽業界での知識や経験を生かせて、手っ取り早く収益につながる仕事。きみにとってまたとないと思うけど」
横から乗り出してくる顔からあえて視線を背け、ロンドンの大都会に対峙しながら、ティナは慎重に応える。
「そうよ。でも、切羽詰まってるのはお互い様じゃないかしら。怪しさ満載の求人広告で、どうせ誰も応募に来ていないんでしょ」
顎に添えられていた白手袋が、ぱちりと仮面の額の部分をはたいた。
「おお、これは手厳しい。しかも大当たりときた」
芝居がかった仕草がいちいち腹立つ。
舌をかみたい心地でいると、彼はしかめた顔を一瞬で緩やかな笑みに変えた。
「けど、一向にかまわないんだ。あの広告はきみ一人を呼び寄せるために出したんだからね」
――ああ。
「つれない顔をしないで、協力してくれよ。僕のプリマドンナ」
劇団でミュージカルを演じるプリマドンナだった頃の癖で背筋は丸めずに済んだ。
そう。自分は落ちぶれた元歌姫。
えり好みはしていられない。
しかし。それにしても。
大都会の喧騒からしばし視線を落としたティナは黙考する。
――よりによって元カレの元で、働くしかないのだろうか。
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