音楽魔法具店の歌姫

ほか

文字の大きさ
2 / 141
オーバーチュア

2

しおりを挟む
 第2話

 扉を開ける古典的な音がどこか厳かに響く。




『音楽魔法具店』に広がっていたのは、四メートル四方ほどの比較的ゆったりとした空間だった。

 ロンドンの街が見渡せるガラス張りの壁に深緑のカーテン。

 ランプやガラス製品、趣向を凝らした骨董品が左の棚にたてかけてある。



 奥には赤茶色の執務机らしきものがあり、書類やペン立てが置かれている。

 その後ろの棚には大量の楽譜。



 入ったところの手前にはやはり赤茶色のアップライトピアノがあり、



「やぁ」



 そこに腰かけていた男が、声をかけてきた。

 二十代半ばか後半。

 かちりとしたスーツ姿で、顔の左半分を真っ白い仮面で覆っている、風変わりな男だ。

 右半分から覗く菫色の瞳が、好意的に細められる。

 彼はアップライトピアノを弾く手をすでにとめて傍らにある紅茶を含んでいた。




 まるでこのタイミングでティナがやってくることを知っていたかのように。




「来てくれると思っていたよ、歌姫さん」




 微笑みかけてピアノの椅子から立ち上がると、白い手袋のはまった手を差し出して握手を求めてくる。



「ミュージカリー・カップの鑑定の手伝いをしてくれるんだろう? これからまた、よろしく頼むよ、ティナ」




 きぃぃっと高い音を立てて、ティナは扉を閉めた。



 扉にもたれつつ、真っ赤な観光バスが目の前の通りを通り過ぎていくのを片目で見やりながら額を押さえる。

 あのふざけた求人広告を目にした時点でまさか、とは思った。



 背を持たせている扉が、三十センチほど開く。

 

「入っていかないのかい? きみの好きなフルーツティーもあるよ。よく冷やしてある」



 愛想のいい半面を扉から出してきた男に、答える。



「失礼しました。求人広告を見てきましたがほかをあたることにします」



 わざと他人行儀に応じると、男の顎に白い手袋に包まれた指が添えられる。




「それは懸命な判断じゃないな。妹さんの音楽学校の学費の支援をするために、安定した収入が必要なんだろう?」



 まさに志望動機そのものをつかれて、ティナはきりりと奥歯をかむ。



「音楽業界での知識や経験を生かせて、手っ取り早く収益につながる仕事。きみにとってまたとないと思うけど」



 

 横から乗り出してくる顔からあえて視線を背け、ロンドンの大都会に対峙しながら、ティナは慎重に応える。



「そうよ。でも、切羽詰まってるのはお互い様じゃないかしら。怪しさ満載の求人広告で、どうせ誰も応募に来ていないんでしょ」



 顎に添えられていた白手袋が、ぱちりと仮面の額の部分をはたいた。



「おお、これは手厳しい。しかも大当たりときた」



 芝居がかった仕草がいちいち腹立つ。

 舌をかみたい心地でいると、彼はしかめた顔を一瞬で緩やかな笑みに変えた。 



「けど、一向にかまわないんだ。あの広告はきみ一人を呼び寄せるために出したんだからね」




 ――ああ。




「つれない顔をしないで、協力してくれよ。僕のプリマドンナ」




 劇団でミュージカルを演じるプリマドンナだった頃の癖で背筋は丸めずに済んだ。

 そう。自分は落ちぶれた元歌姫。

 えり好みはしていられない。

 しかし。それにしても。



 大都会の喧騒からしばし視線を落としたティナは黙考する。



 ――よりによって元カレの元で、働くしかないのだろうか。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

あまりさんののっぴきならない事情

菱沼あゆ
キャラ文芸
 強引に見合い結婚させられそうになって家出し、憧れのカフェでバイトを始めた、あまり。  充実した日々を送っていた彼女の前に、驚くような美形の客、犬塚海里《いぬづか かいり》が現れた。 「何故、こんなところに居る? 南条あまり」 「……嫌な人と結婚させられそうになって、家を出たからです」 「それ、俺だろ」  そーですね……。  カフェ店員となったお嬢様、あまりと常連客となった元見合い相手、海里の日常。

幽縁ノ季楼守

儚方ノ堂
キャラ文芸
「季楼庵当主の代理を務めてもらう」 幼少期、神隠しにあった過去を待つ青年ユメビシ。 迷い込んだ先で、事件に巻き込まれ両手を失い、生死を彷徨うことに。 ただ「死にたくない」と望んだ願いは、ある故人の手を移植することで実現した。 これを境に不死の体質へと変貌したユメビシは、約70年の時を経て、因縁の土地『瞑之島(みんのとう)』へ帰還する。 しかし、どうして今自分がここにいるのか、その理由となる記憶がすっぽり抜け落ちた状態で……。 奇妙な忘却に焦りを抱えながら、手がかりを求め探索するさなか、島の中枢を担う組織『季楼庵(きろうあん)』の面々と関わりを持ち、次々と巻き起こる騒動に身を投じていくのだった。 現代において、人と人ならざる者が共存する瞑之島を舞台に、半ば強制的に当主代理に据えられたユメビシの非日常。 異色の現代ファンタジー✖️和風奇譚✖️ミステリー 様々な思惑が交錯する中、彼の帰還を以て、物語は一つの結末へ動き出す。 その約束は、何十年何百年経ち、たとえ本人達が覚えていなくとも。 幽かな縁で繋がり続け、決して解けない糸となる。 それを人は、因縁――またの名を『呪い』と呼ぶのだった。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

OL 万千湖さんのささやかなる野望

菱沼あゆ
キャラ文芸
転職した会社でお茶の淹れ方がうまいから、うちの息子と見合いしないかと上司に言われた白雪万千湖(しらゆき まちこ)。 ところが、見合い当日。 息子が突然、好きな人がいると言い出したと、部長は全然違う人を連れて来た。 「いや~、誰か若いいい男がいないかと、急いで休日出勤してる奴探して引っ張ってきたよ~」 万千湖の前に現れたのは、この人だけは勘弁してください、と思う、隣の部署の愛想の悪い課長、小鳥遊駿佑(たかなし しゅんすけ)だった。 部長の手前、三回くらいデートして断ろう、と画策する二人だったが――。

処理中です...