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第10章 執事と主様とオランジェット
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実家の階段を上がり、父の部屋に入ると状態は案の定だった。
まだ夕暮れ時だというのに、そこここに酒瓶が転がっている。
あぐらをかいて飲んでいた父が振り返ると、表情が狂気に歪むのがわかった。
「ようやく来やがったか」
立ち上がり、すたすたと歩み寄られ、胸倉をつかまれる。
「どうしてくれる。お前のせいでとんだ目にあった」
ぎらぎらと光るその目を見返す。
予測の範囲内だった。
職場におしかけて、自ら暴行事件を起こしたことを父がこんなふうに表現するのも。
「そもそもお前が連絡に応じないから悪いんだろ。親からの電話を無視するやつがあるか」
この理屈も何度も使い古されたものだ。
「これまで育ててやった恩も忘れて、ほうっておくなんて。恥知らずめ」
すぐ近くですごまれているのに、どこか遠くで罵声が鳴っているようだ。
「今日は一つだけ言いに来たの」
あくまで無感動に。
自動的にそう自分に暗示がかかっているように、言葉が口から出る。
「ハーヴェイに復讐なんて、考えないでね。もしなにかしたら。あたしは一生あなたを許さない」
「ふん。ほざきやがれ。娘の教育を邪魔するような奴を消してなにが悪いってんだ」
つかんだ胸倉ごと投げ飛ばされ――その身体を、後ろにいた誰かに抱き留められる。
「やれやれ、どうにか交渉をと思ってきましたが、もはやそれは通じずといったところでしょうか」
「……!」
かすかに視界の端に、赤いメッシュが揺れる。
「誰だっ。人ん家に勝手に……!」
「自分の行為の醜さは棚にあげて、暴力や横暴から避難しただけの主様を、そこまで罵れるなんて。実にあっぱれな自己愛ぶりでございますね」
メイナード……!
大事な執事の一人を確認したとたん、冷静だった頭が急に焦りを帯びてくる。
まずい。そんなふうに挑発したら……。
「もうあなたは自分を正当化した、自分だけの世界で生きている。哀れですが、二度と戻っては来られないのでしょう」
「てめえ!」
躍りかかってくる父から庇おうととっさに前に出た身体が、有無を言わせぬ力強い腕によって庇われる。
「おや。戦闘開始ですか。やれやれ、わたくしは野蛮なことは嫌いなのですが」
「メイナード、逃げて……!」
まずい。
頑健な父と、しなやかな体躯の彼では、力の差は歴然としている。
必死に逃げてと繰り返すが、メイナードは微笑むだけだ。
「だいじょうぶですよ、ほの様」
彼は振り上げられた父の腕をうけとめた。
そのまま捩じ上げる。
「……え?」
「うっ。くっ、なんだ……!」
父の腕がメイナードの思うがまま、あり得ない角度にしなっている。
「どうです、本当にやるのですか? こういう時間の無意味な浪費は趣味ではないのですが。美しくありませんからね……!」
なんか、ぼきっと音がしたような……。
そのときだった。
「それには及ばない、メイナード」
低いその声を聴いて、頭が一度停止するのがわかった。
息を切らした様子で、紺色の瞳をいつになく険しくすがめた、彼が立っている。
「フフフ、ようやくいらっしゃいましたか。ハーヴェイさん」
「ここは俺が引き受ける。主様を安全な場所へ」
「承りました。では、あとはお任せしましたよ」
「ハーヴェイ……!」
父の拳を受け止めたハーヴェイが一度だけこちらを見た。
その瞳を見て、理屈ではない安心感に包まれながらわたしは、メイナードに連れられていった。
まだ夕暮れ時だというのに、そこここに酒瓶が転がっている。
あぐらをかいて飲んでいた父が振り返ると、表情が狂気に歪むのがわかった。
「ようやく来やがったか」
立ち上がり、すたすたと歩み寄られ、胸倉をつかまれる。
「どうしてくれる。お前のせいでとんだ目にあった」
ぎらぎらと光るその目を見返す。
予測の範囲内だった。
職場におしかけて、自ら暴行事件を起こしたことを父がこんなふうに表現するのも。
「そもそもお前が連絡に応じないから悪いんだろ。親からの電話を無視するやつがあるか」
この理屈も何度も使い古されたものだ。
「これまで育ててやった恩も忘れて、ほうっておくなんて。恥知らずめ」
すぐ近くですごまれているのに、どこか遠くで罵声が鳴っているようだ。
「今日は一つだけ言いに来たの」
あくまで無感動に。
自動的にそう自分に暗示がかかっているように、言葉が口から出る。
「ハーヴェイに復讐なんて、考えないでね。もしなにかしたら。あたしは一生あなたを許さない」
「ふん。ほざきやがれ。娘の教育を邪魔するような奴を消してなにが悪いってんだ」
つかんだ胸倉ごと投げ飛ばされ――その身体を、後ろにいた誰かに抱き留められる。
「やれやれ、どうにか交渉をと思ってきましたが、もはやそれは通じずといったところでしょうか」
「……!」
かすかに視界の端に、赤いメッシュが揺れる。
「誰だっ。人ん家に勝手に……!」
「自分の行為の醜さは棚にあげて、暴力や横暴から避難しただけの主様を、そこまで罵れるなんて。実にあっぱれな自己愛ぶりでございますね」
メイナード……!
大事な執事の一人を確認したとたん、冷静だった頭が急に焦りを帯びてくる。
まずい。そんなふうに挑発したら……。
「もうあなたは自分を正当化した、自分だけの世界で生きている。哀れですが、二度と戻っては来られないのでしょう」
「てめえ!」
躍りかかってくる父から庇おうととっさに前に出た身体が、有無を言わせぬ力強い腕によって庇われる。
「おや。戦闘開始ですか。やれやれ、わたくしは野蛮なことは嫌いなのですが」
「メイナード、逃げて……!」
まずい。
頑健な父と、しなやかな体躯の彼では、力の差は歴然としている。
必死に逃げてと繰り返すが、メイナードは微笑むだけだ。
「だいじょうぶですよ、ほの様」
彼は振り上げられた父の腕をうけとめた。
そのまま捩じ上げる。
「……え?」
「うっ。くっ、なんだ……!」
父の腕がメイナードの思うがまま、あり得ない角度にしなっている。
「どうです、本当にやるのですか? こういう時間の無意味な浪費は趣味ではないのですが。美しくありませんからね……!」
なんか、ぼきっと音がしたような……。
そのときだった。
「それには及ばない、メイナード」
低いその声を聴いて、頭が一度停止するのがわかった。
息を切らした様子で、紺色の瞳をいつになく険しくすがめた、彼が立っている。
「フフフ、ようやくいらっしゃいましたか。ハーヴェイさん」
「ここは俺が引き受ける。主様を安全な場所へ」
「承りました。では、あとはお任せしましたよ」
「ハーヴェイ……!」
父の拳を受け止めたハーヴェイが一度だけこちらを見た。
その瞳を見て、理屈ではない安心感に包まれながらわたしは、メイナードに連れられていった。
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