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第1話 宅配司書と作家志望
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ジャスミンの香がいっそう強くなり、ヤシの葉の気配に耳が研ぎ澄まされるような気がする夜更け。
スタンドクリップで立てたスマートフォンの前にぴしりと折り目正しく座り、ラヴェンナは通話ボタンを押した。
二度のコールの後、予想していたいくつかの声のうち、今求めていたそれが答える。
『ご依頼ありがとうございます。ウィスタリア私立図書館でございます』
ハワイと中央ヨーロッパに位地するウィスタリアとの時差は十一時間。
深夜零時の今はちょうどあちらは昼前だろうと加味した上での連絡である。
中心に貫く螺旋階段。
ロココの装飾を施したコチニールレッドのカウンター。
天井にまで連なる本たち。
この声を聴くだけで、ホームに戻ったような心地になる。
一般利用客に向けた挨拶。
それすらも彼が発すると、自分を認め、発してくれているかのように錯覚する。
「社長。――ダイアン社長」
それを証拠づけるかのように、電話口の声が苦笑に滲んだ。
『常夏の国でリフレッシュできているようには思えませんね。ラヴェンナさん。もうホームシックですか』
「いえ。その」
あながち間違いでもない指摘に幾度か口籠り、ラヴェンナはようやく言うべきことを思い出す。
「依頼本のご手配、ありがとうございました」
スマートフォンにぺこりと頭を下げるとハーフアップの編み込みが首元に垂れ下がる。
『いいえ。ほとんどワットが動いてくれましたから』
ラヴェンナの口が開き、止まる。
次の台詞が、見つからない。
自分はいつもこうだ。
言葉を扱う商いなのに肝心な時言葉が続かない。
物語に白紙のページなど、ないのに。
『お困りのようですね』
「……どうしてわかるんですか?」
『長くつきあっていると、声ににじみ出る感情の色が見えるようになってきます』
「はぁ……」
なんだかこの上司と話しているといつも、すべて見透かされているような気がする。
そのくせ謎めいた相手のことはまだまだ未知な部分が多いのだが。
「気になるんです、この依頼」
だからついつい想いの粉を零してしまう。
暖かいティーカップへと誘われるままに。
『ですね』
「ご依頼のままに、英語で書かれた本、ジャンルを問わず送っていただきましたが、果たしてこれでよかったのかと」
『――ラヴェンナさん』
電話口に添えられる下弦の月の形が容易く想像できる声音だった。
優しく、諭すように、彼は言う。
『ウィスタリア私立図書館に来館されるお客様も、探している本のタイトルを正確に言えない方は多い。お客様が本当に求めているもの。それを探し出すのが司書の仕事ですよ』
声の色がわかると詩的なことを言うこの人こそが絵の具で世界を染め上げる魔法使いのようなところがあるとラヴェンナは思う。
そう。――悩みも難題も、虹色に輝き出す。
この人に話すと。
とはいえ。
「……うう」
繰り返し語られる社訓であるその言葉には共鳴するし、今回もそれが登場することは半ば覚悟の上ではあったが、突き付けられるとやはり途方に暮れる。
そんなこと言ったって。
無茶ぶりにもほどがある。
『人を読み解くのは本のごとしです。一ページずつ、丁寧に繰っていきます。焦らずに』
「社長。依頼の期限は三か月ですー」
『お客様を見ていて、何かわかったことはありませんか』
ぴくりと、揺れていたラヴェンナの上体が静止した。
ここ数日、ラヴェンナなりに、依頼主――プルメリアの動きを観察してはいたのだ。
「たまに手にされている本を見ると、物語がお好きなようですが」
スマホの画面に留まっていた視線が徐々に下降する。
「でも、本当にお好きなのでしょうか。読書される時はいつも、ぐっと眉間に皺をよせられて。あまり楽しそうには」
ぶつぶつと上げられる報告は、満足そうな笑い声に遮られた。
人が真剣に悩んでいるのに。
ぷくりと頬を膨らませるラヴェンナが見えているかのように、失礼、と電話口の声は笑いを収める。
『いい手がかりが散らばっているじゃないですか』
とても、楽しそうだ。
しょっぱなからどんづまりのラヴェンナにしてみれば一体どこが? と思うのだが。
「宅配司書!」
ふいに響いた声音が、安らぎの時間の終わりを告げる。
「はっ、はいっ‼ ただ今!」
扉の向こうに告げた後、ラヴェンナは早口で、スマートフォンに向かう。
「すみません、後ほど折り返します」
『了解しました。自らやってきた手がかりを、みすみす逃す手はありませんからね』
謎めいた言葉を残し相手は通話を切った。
スタンドクリップで立てたスマートフォンの前にぴしりと折り目正しく座り、ラヴェンナは通話ボタンを押した。
二度のコールの後、予想していたいくつかの声のうち、今求めていたそれが答える。
『ご依頼ありがとうございます。ウィスタリア私立図書館でございます』
ハワイと中央ヨーロッパに位地するウィスタリアとの時差は十一時間。
深夜零時の今はちょうどあちらは昼前だろうと加味した上での連絡である。
中心に貫く螺旋階段。
ロココの装飾を施したコチニールレッドのカウンター。
天井にまで連なる本たち。
この声を聴くだけで、ホームに戻ったような心地になる。
一般利用客に向けた挨拶。
それすらも彼が発すると、自分を認め、発してくれているかのように錯覚する。
「社長。――ダイアン社長」
それを証拠づけるかのように、電話口の声が苦笑に滲んだ。
『常夏の国でリフレッシュできているようには思えませんね。ラヴェンナさん。もうホームシックですか』
「いえ。その」
あながち間違いでもない指摘に幾度か口籠り、ラヴェンナはようやく言うべきことを思い出す。
「依頼本のご手配、ありがとうございました」
スマートフォンにぺこりと頭を下げるとハーフアップの編み込みが首元に垂れ下がる。
『いいえ。ほとんどワットが動いてくれましたから』
ラヴェンナの口が開き、止まる。
次の台詞が、見つからない。
自分はいつもこうだ。
言葉を扱う商いなのに肝心な時言葉が続かない。
物語に白紙のページなど、ないのに。
『お困りのようですね』
「……どうしてわかるんですか?」
『長くつきあっていると、声ににじみ出る感情の色が見えるようになってきます』
「はぁ……」
なんだかこの上司と話しているといつも、すべて見透かされているような気がする。
そのくせ謎めいた相手のことはまだまだ未知な部分が多いのだが。
「気になるんです、この依頼」
だからついつい想いの粉を零してしまう。
暖かいティーカップへと誘われるままに。
『ですね』
「ご依頼のままに、英語で書かれた本、ジャンルを問わず送っていただきましたが、果たしてこれでよかったのかと」
『――ラヴェンナさん』
電話口に添えられる下弦の月の形が容易く想像できる声音だった。
優しく、諭すように、彼は言う。
『ウィスタリア私立図書館に来館されるお客様も、探している本のタイトルを正確に言えない方は多い。お客様が本当に求めているもの。それを探し出すのが司書の仕事ですよ』
声の色がわかると詩的なことを言うこの人こそが絵の具で世界を染め上げる魔法使いのようなところがあるとラヴェンナは思う。
そう。――悩みも難題も、虹色に輝き出す。
この人に話すと。
とはいえ。
「……うう」
繰り返し語られる社訓であるその言葉には共鳴するし、今回もそれが登場することは半ば覚悟の上ではあったが、突き付けられるとやはり途方に暮れる。
そんなこと言ったって。
無茶ぶりにもほどがある。
『人を読み解くのは本のごとしです。一ページずつ、丁寧に繰っていきます。焦らずに』
「社長。依頼の期限は三か月ですー」
『お客様を見ていて、何かわかったことはありませんか』
ぴくりと、揺れていたラヴェンナの上体が静止した。
ここ数日、ラヴェンナなりに、依頼主――プルメリアの動きを観察してはいたのだ。
「たまに手にされている本を見ると、物語がお好きなようですが」
スマホの画面に留まっていた視線が徐々に下降する。
「でも、本当にお好きなのでしょうか。読書される時はいつも、ぐっと眉間に皺をよせられて。あまり楽しそうには」
ぶつぶつと上げられる報告は、満足そうな笑い声に遮られた。
人が真剣に悩んでいるのに。
ぷくりと頬を膨らませるラヴェンナが見えているかのように、失礼、と電話口の声は笑いを収める。
『いい手がかりが散らばっているじゃないですか』
とても、楽しそうだ。
しょっぱなからどんづまりのラヴェンナにしてみれば一体どこが? と思うのだが。
「宅配司書!」
ふいに響いた声音が、安らぎの時間の終わりを告げる。
「はっ、はいっ‼ ただ今!」
扉の向こうに告げた後、ラヴェンナは早口で、スマートフォンに向かう。
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