ラヴェンナ・ヴァラディ ~語れる司書の物語~

ほか

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第3話 宅配司書と女学生

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「お姉ちゃんのパーティー、わたしがいないうちに終わっちゃってた。名簿にわたしの名前、なかった」



 星々の海に揺蕩うようなロンドンの夜景に包まれて。



 自らのコートを有無を言わせずスウィーティの肩に被せ、ラヴェンナが形のいい眉間を大きく顰める。



「学の浅くて気の利かない子がいると困るんだって」



 わなわなと震える肩をどうにか抑え、うつむき、言を落とす。







「ずっとハニービーンズ家の婚約披露の準備手配をしてらっしゃったのはスウィーティ、ということで間違いないですか」



「……」



「間違いありませんね。学校から帰ってきてからの装飾の数々の制作。招待状のデザインとリスト。業者との連絡。その他、親族の世話。わたしはすべてを行っていたあなたを知っています」



「……ひっ」



「そのうえでのその仕打ち。それは、言葉に訳すと」



 夜景を見降ろし、ウィスタリアの瞳が鉱石のように鋭い指弾に揺れる。







「利用価値がある、都合がいいあなた以外はいらない、ということになるかと」







「……うっ」



「恐れながら、もし、わたしがあなたなら」



 ゆっくりと上げた顔はアラバスターのように青白く。



「相応の言葉を返させていただくことになるかと思われます」



 神々しく、美々しい。







「くそくらえ、ふざけるな。あなた方と家族などこっちから願い下げだ等々」



「……」



 その端麗なルームメイトにしばしあっけにとられ、ハニービーンズは笑う。



「ラヴェンナちゃん」



 肩にかけられた地味な紺のコートのその腕で、彼女を抱きしめる。



「大好き」







 そう言った後で、鼻をすすりつつ、スウィーティはぽつりぽつりと語る。



「お母さんの気持ちも。お姉ちゃんの気持ちもわかるしさ」



 どこか呆れたように首を傾げるラヴェンナに、それでも続ける。



「うちのお父さんとお母さんはね、学歴と能力があるのは人が生きてく絶対条件って人で。お姉ちゃんも あたしと同じくその中でずっと苦しかったの。あたしと違って出来がよかったお姉ちゃんは、親の繰り出す課題を次々クリアしてきて。やっと、自分も両親も全員が納得する相手と出会えて結婚できるんだもん。そりゃここへきて邪魔されたくなんかないよ」



 ルームメイトのコートに頬を委ねると、ほのかに異国の花のような香りがした。



「お父さんとお母さんもね、あれだけ能力にこだわったのは、きっと二人とも苦しかったと思うんだ。自分の親に言われてきたんじゃないかな。無能な者は価値がないとかさ」



 こんなだめな自分にも平等に香ってくれる、どこか遠い国の花。







「二人も高い理想の教育論で育てた自慢のお姉ちゃんを送り出せて、ようやくほっとしてるのが、わかる。……だから、みんなのこと、尊重してあげないと」



 ふっとラヴェンナは寂し気に笑う。



 抱きしめられたまま、とんとんとスウィーティの背中を叩く。







「わかる、わかると。あなたはいつもおっしゃいますね」







 なぜかそれがトリガーになって。



 ぶわっとスウィーティの瞳から涙が溢れ出す。



「ごめ……ん」



「なぜ謝るのですか」



「たやすく人の気持ちがわかるなんて言っちゃいけないって、それもわかるの」







 やれやれ、と、しょうのない妹をあやすような吐息が、スウィーティの耳朶を包んでいく。







「すべての人の気持ちを、わかろうとし過ぎて。飲み下し過ぎて胃がもたれる。あなたはあなたがわからなくなっていらっしゃる」







「……ふぐっ」



「人の気持ちが、その胸の中に侵食するように迫ってきて。ぼろぼろで。死んでしまう寸前なのではありませんか」



 ぐすり、ぐすりと。すすり泣きは一度表に出たら、留まってはくれなかった。







「何で。何でなのっ⁉」







 いつもあははと笑って、負の感情を出しそびれ。



 そんな一人の、どこにでもいる少女の隣で。



 ラヴェンナ・ヴァラディ。



 不思議な司書志望の少女がようやく引き出した感情は。







「家族のみんなのことが好きなのに。友達のことだって」



 はらりはらりと透明な雫となってロンドンの街に降りつもる。



「でもみんなはわたしが好きじゃない。家でも学校でも。どこに行っても一人になる……」



 優しい一人の少女の口調にはまだおどけた色が抜けない。



「ねーラヴェンナちゃんも、もう気付いちゃってるよね? わたし頭が悪いから現役生なのに大学も夜間のコースに通ってるし。要領も悪いの。計算も地図を読むのも苦手だし。同時に二つのことやるなんてほんとだめ」



 降り積もって、降り積もって。



「出来損ないだから。だからだよね」







「あんたはみんなのすることができない。空気が読めない。だから浮くのは当然なの。お母さんにだってそう言われた」







 今まで抑え続けたぶん、降り積もって。



「だからわたしは誰にも相手にされなくて。当然」



「スウィーティ、それは、違います」



 いつしかそれは、結晶になる。



「あはは、やめてよ。気休めとか、わかっちゃうんだから」



「あなたがずっと孤独だったのは、不幸にも」







 スウィーティは強い吐息をついた。



 人前でのため息は絶対に控えていたのに。



 それすらできなくなるほど。







 不幸にも知能指数が足らなかったから。 



 不幸にも生活能力が足らなかったから。



 不幸にも世間知が足らなかったから。



 ありすぎる心当たりがまた、心を侵食していく。









「あなたに見合う高度な精神性の持ち主が、身近にいなかったためです」









 恐る恐る、スウィーティは隣を見やる。



 ゆっくりと、信じられないほど均整のとれた結晶がそこにあった。

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