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第5話 宅配司書が死ねない理由
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午後の一時を過ぎた頃。貸出カウンターの担当時間を終えたラヴェンナをダイアンが社長室に召し立てた。
ラヴェンナが顔を出すと、ダイアンは窓辺にたたずみ、外をじっと見つめている。
いつも希少な書物の修理や収集に輝くボルドーの瞳が今は眇められ真紅の色合いを帯びている。
「何を話し合うためにお呼びしたのかは、言わずもがなだと思いますが」
ラヴェンナは頷く。
「あのお客様は、どなたなのでしょう」
情けないながら、司書魂を刺激される問いに気をとられ、名前すら訊きそびれた。
「わたしと母子というようなことをおっしゃっていましたが」
力なく窄めれらたウィスタリアの瞳と、ぱさぱさに乾いたセピア色の髪。
二色のとりあわせは毎朝鏡で見ているものだったと今更ながら気付く。
ダイアンはラヴェンナの問いには答えず、振り向くと同時に言を放った。
「次、あの女性がやってきたら社長室に回しなさい」
ウィスタリアの瞳が大きく見開かれ、瞬かれる。
真珠の粒のような光が、その中に惑うように揺れている。
「どうして、ですか?」
ダイアンの表情が目に見えて崩れた。
数秒言葉を探した後、吐息を選んだ彼は、
「……逆に問いますが、なぜ、自身で対応可だと思うのですか」
「あの方は、心を病んでおいでです。生きる意味を求め、当館のレファレンスカウンターを訪ねられました」
「あなたに危害を加えようとしました」
「ただ、首筋に触れられただけです」
「爪と掌の跡が食い込むほど締め付けられることをただ触れられたと表現するのは司書の語彙力としていかがなものでしょうか」
「うっ」
あわてて傍らの鏡で首元を確認する。
たしかに。そこにはくっきりとしたあざがある。
ダイアンに命じられ手当てをしてくれた同僚たちのおかげで、湿布とガーゼに隠れてはいるが。
「社長!」
それでも、ラヴェンナを引かせまいとする何かが胸に燻る。
「わたしもかつては、言葉を失った異常者でした。そんなわたしを社長は匿い、本を与えてくださったのに」
どうしてか哀しくて、もどかしくて。
「あの方は見限れとおっしゃるんですか」
その紅い瞳が見開かれても、急くように言葉を続ける。
「あの方は人生に対する答えを得たいと、それも本を通して得たいとおっしゃっておられます」
ダイアンは小さく息を吐き、途方に暮れたようにラヴェンナを見やる。
「そう、口では言っていますが。とてもそのようには」
「お客様がそうおっしゃられるかぎりわたしは、その手を放したくありません」
「――ラヴェンナさん」
かすかに、ダイアンの首元が傾ぐ。
「あなたの仕事に対する真摯な姿勢は称賛に値しますが――そう片意地を張るものではありません。信念に頑なになりすぎるゆえ身をほろぼしたら元も子もない。本を待っている世界中の人々の元へ、あなたは行けなくなるのですよ」
「それは」
一瞬言葉に窮したラヴェンナはそれでも一人頷き持ち直す。
「けれど、それでも、大勢のために一人をとりこぼすなんで、そんなわけにはいきません。あの方だってきっと何か――」
ダイアンは立ち上がると、ラヴェンナの目の前にまでやってきて直に語りかける。
「目の前のお客様を救うことより、優先すべきものもあるのではないですか」
彼女に注がれるのは、一心に案じる瞳。
だがそれは、ラヴェンナには解読不可だった。
「あるの、ですか? そんなものが」
みし、と。
ダイアンの相好が崩れた時、そんな音を、ラヴェンナは聞いたような気がした。
「わかりました」
「そこまでおっしゃるなら好きになさい」
紳士的に品よく、ラヴェンナを戸口まで促す。
「話は終わりです。手間をかけました」
だがそれは明らかに不機嫌な声。
社長にそう言われれば。
「はいっ。失礼いたしましたっ」
むきになったようにそう返し、ラヴェンナは社長室を後にするしかないのだった。
ラヴェンナが顔を出すと、ダイアンは窓辺にたたずみ、外をじっと見つめている。
いつも希少な書物の修理や収集に輝くボルドーの瞳が今は眇められ真紅の色合いを帯びている。
「何を話し合うためにお呼びしたのかは、言わずもがなだと思いますが」
ラヴェンナは頷く。
「あのお客様は、どなたなのでしょう」
情けないながら、司書魂を刺激される問いに気をとられ、名前すら訊きそびれた。
「わたしと母子というようなことをおっしゃっていましたが」
力なく窄めれらたウィスタリアの瞳と、ぱさぱさに乾いたセピア色の髪。
二色のとりあわせは毎朝鏡で見ているものだったと今更ながら気付く。
ダイアンはラヴェンナの問いには答えず、振り向くと同時に言を放った。
「次、あの女性がやってきたら社長室に回しなさい」
ウィスタリアの瞳が大きく見開かれ、瞬かれる。
真珠の粒のような光が、その中に惑うように揺れている。
「どうして、ですか?」
ダイアンの表情が目に見えて崩れた。
数秒言葉を探した後、吐息を選んだ彼は、
「……逆に問いますが、なぜ、自身で対応可だと思うのですか」
「あの方は、心を病んでおいでです。生きる意味を求め、当館のレファレンスカウンターを訪ねられました」
「あなたに危害を加えようとしました」
「ただ、首筋に触れられただけです」
「爪と掌の跡が食い込むほど締め付けられることをただ触れられたと表現するのは司書の語彙力としていかがなものでしょうか」
「うっ」
あわてて傍らの鏡で首元を確認する。
たしかに。そこにはくっきりとしたあざがある。
ダイアンに命じられ手当てをしてくれた同僚たちのおかげで、湿布とガーゼに隠れてはいるが。
「社長!」
それでも、ラヴェンナを引かせまいとする何かが胸に燻る。
「わたしもかつては、言葉を失った異常者でした。そんなわたしを社長は匿い、本を与えてくださったのに」
どうしてか哀しくて、もどかしくて。
「あの方は見限れとおっしゃるんですか」
その紅い瞳が見開かれても、急くように言葉を続ける。
「あの方は人生に対する答えを得たいと、それも本を通して得たいとおっしゃっておられます」
ダイアンは小さく息を吐き、途方に暮れたようにラヴェンナを見やる。
「そう、口では言っていますが。とてもそのようには」
「お客様がそうおっしゃられるかぎりわたしは、その手を放したくありません」
「――ラヴェンナさん」
かすかに、ダイアンの首元が傾ぐ。
「あなたの仕事に対する真摯な姿勢は称賛に値しますが――そう片意地を張るものではありません。信念に頑なになりすぎるゆえ身をほろぼしたら元も子もない。本を待っている世界中の人々の元へ、あなたは行けなくなるのですよ」
「それは」
一瞬言葉に窮したラヴェンナはそれでも一人頷き持ち直す。
「けれど、それでも、大勢のために一人をとりこぼすなんで、そんなわけにはいきません。あの方だってきっと何か――」
ダイアンは立ち上がると、ラヴェンナの目の前にまでやってきて直に語りかける。
「目の前のお客様を救うことより、優先すべきものもあるのではないですか」
彼女に注がれるのは、一心に案じる瞳。
だがそれは、ラヴェンナには解読不可だった。
「あるの、ですか? そんなものが」
みし、と。
ダイアンの相好が崩れた時、そんな音を、ラヴェンナは聞いたような気がした。
「わかりました」
「そこまでおっしゃるなら好きになさい」
紳士的に品よく、ラヴェンナを戸口まで促す。
「話は終わりです。手間をかけました」
だがそれは明らかに不機嫌な声。
社長にそう言われれば。
「はいっ。失礼いたしましたっ」
むきになったようにそう返し、ラヴェンナは社長室を後にするしかないのだった。
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