完全少女と不完全少年

柴野日向

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2章 小さな友人

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 夏の訪れを感じるその日の夜、亜希はけやき公園までの道のりを歩く。学校からはほど近く、徒歩で十分足らずの距離だ。当然、オリオンもその近くにある。この距離感が、アルバイト先を決める一手となったのだ。
 彼がわざわざ自分を呼び出す用事というのが、未だにとんと見当がつかない。彼の仕事上がりの時間だとは思い至るが、どうして学校では駄目なのだろう。首をひねるしかない。
 やがて公園に辿り着き、きょろきょろとあたりを見渡す。遊歩道を行きながら、とりあえず以前に彼を見かけた東屋を目指す。
 予想通り、そこには人影があった。だがそれが一つではなく二つに増えているのに、亜希は眼鏡をかけ直す。近寄るとこちらに気が付いたのか、その一つが駆け寄ってきた。
 やたらと小さな影の正体は、先日万引きを働いた子どもだった。今日は泣いてはいない。強張る顔を見せるが、意を決したように頭を下げた。
「ごめんなさい」顔を上げ、「まんびきして、ごめんなさい」と繰り返す。
 まさかあの子に改めて謝罪されるとはつゆとも思わず、亜希は呆気にとられる。すると「許してやってよ」と航が近づいてきた。
「あの次の日さ、店に来て俺に謝ってきたんだよ。そんで、水無瀬にも謝りたいって言ったんだ」ぽんぽんと軽くその子の頭を叩く。「偉いよな。それが出来ない大人なんか腐るほどいるのに」
 おどおどと頼りない表情のその子に、亜希は屈む。
「もう、あんなことしちゃだめだよ」
 うんと大きく頷くのに、笑いかけた。
 その子は、星野ほしのかえでと名乗った。その名前について「芸能人みたいだよな」と航は言う。近くの小学校に通う一年生らしい。
 航と楓は、並んで座り弁当を食べている最中だった。航はバイト先の廃棄予定の弁当。楓は、彼が買った子ども用の小さな弁当。流石の彼でも、オリオンで弁当を二つ貰うのは気が引けるらしい。
 小さな口で懸命に卵焼きを咀嚼するのを見ている亜希に、楓はおずおずと尋ねた。
「あきちゃん、ごはんたべたの?」
 名乗りはしたが、いきなり亜希ちゃんと呼ばれたことに些か驚いてしまう。だが馴れ馴れしさに対する嫌悪ではなく、気恥ずかしさが沸くのが不思議だ。楓は、最後にとっておいたハンバーグを譲るべきか考えているらしい。
「私、もう食べてるから大丈夫だよ」咄嗟に嘘をつき、すきっ腹を隠す。
「食べな、楓。おまえこそ、腹減ってないのか」
 早々に自分の分を食べ終えていた航が訊くと、楓は「だいじょうぶ」と頷いた。「ありがとう、こーちゃん」笑って、ハンバーグを口に運ぶ。
 航と楓は、既にいくぶん親しくなっていた。楓は今日学校であったことを喋り、航は相槌を打って聞いている。それが嬉しいのか、取り留めなく話し続ける様子に、亜希は気になって仕方がない。
「ねえ、楓くん」話がひと段落ついたところで、ようやく口を挟んだ。「おうちには、帰らなくていいの」
「うん」
 思いがけず、彼はあっさりと頷いた。
「どうして、もう遅いよ」
「おとうさん、おしごとでずっとかいしゃにいるし、おかあさん、おでかけしてるから」
「お出かけって、帰ってこないの」
 あんまり、と答える楓に更に亜希は質問しようとしたが、それを制するように航が弁当箱の蓋を閉じた。
「そんでも、おまえまだ小一だろ。明日も学校だし、帰って寝ときな」
 すると楓はぐずるでもなく、「うん」と聞き分けよく返事をした。「こーちゃんも、おうちかえる?」
「帰るよ。帰って寝る。……ほら、一緒に捨てるからこれに入れて」
 ビニール袋を広げ、楓に空き箱を入れるよう促す。
「俺、明後日もバイトだから、腹減ってたら八時までに来いよ」
「こうえんに?」
「そう。ただあんまり早く来てうろつくなよ」
「わかった」
 楓は嬉しそうに声を上げ、にこにこと笑う。
 ゴミを捨て、航と亜希は楓を家まで送ることにした。州徳高校とは異なる方角に十分ほど歩いた先のアパートらしい。
「あしたのね、きゅうしょく、シチューなの」
 亜希と手を繋ぐ楓は、素晴らしい話題を共有するように話す。
「シチュー好きなの?」
「うん」
「楓、食べることばっかだな」
 航の言葉に、彼は恥ずかしそうにはにかむ。先日、あれほど怯えて泣いていた子が、今はこうして満足そうに笑っている。それを思うと亜希もなんだか嬉しくなり、彼の手をきゅっと握る。同時にその手の小ささが胸に迫り、無邪気な彼が如何に理不尽にさらされているかを実感して悲しくもなる。
 やがて、住宅街の一画にある二階建てのアパートに辿り着いた。クリーム色の外壁は黒ずんでいて、二階の廊下の照明は切れかけてちかちかと明滅している。年季を感じさせる外観だ。
「あそこのね、いちまるに」
 彼が指さす先にある一階の部屋は、当然のごとく真っ暗だ。亜希が手を離すと、彼は首にかかる紐を手繰り寄せ、服の中から鍵を取り出した。
「ひとりで大丈夫?」
 思わずそんなことを口走る亜希だったが、楓は既に一人の夜を何度も越えたのだろう、平気な顔をしてこっくりと頷いた。
 航が、楓の背を軽く叩いて帰るように促す。「ちゃんと風呂入りなよ」楓は彼の言葉に再度頷くと、先ほど亜希と繋いでいた手を左右に振った。
「こーちゃん、あきちゃん、ばいばい」
 小さく開かれたドアがぱたんと閉まり、部屋の電気がつく。それを見届けて二人は踵を返した。
 駅の方へ住宅街を行く。煌々と明かりの灯る家からは、はしゃぐ子どもやその両親の笑い声が漏れてくる。ほんの数軒離れただけで、こうも違う世界が広がっているだなんて。いったい楓が何をしたというのだろう。
「あーあ」航が伸びをした。「片足突っ込んじゃったなあ」
「でも、いい子でしたね」
 よかったと言いかけた亜希は、彼の手からそれを奪い取る。
「なに」
「なにって、何してんですか!」
「別にいいじゃん。子どもの前じゃないんだから」
「そういう問題じゃないです」
 おもむろに彼が取り出して咥えかけた煙草。取り上げたそれを見て彼女は口をへの字に曲げる。
「そんなことしてたら、本当に身体が壊れちゃいますよ」
「ほっといてよ。別に健康体だし」
「今はそうでも、将来のリスクを考えてください! お酒まで飲んで。不良じゃないですか」
「はいはい、所詮ふりょーですよ」
「こっちは真剣なんですよ!」
 亜希は真面目に叱るが、にやにやと笑う航はむしろその様子を楽しんでいる風だ。
「それやるから、吸ってみれば」
「いりません!」
 亜希が突き返す煙草を受け取り、彼はやれやれとそれを箱にしまった。
 本当に、来栖航は不真面目でよく分からない不良生徒だ。そうして亜希はむくれるが、当初ほど嫌な感情が沸いてこないのは紛れもない事実だった。
「そんじゃ、またな」
 駅の前で彼が手を振るのに、思わず手を振り返してしまうほどには。
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