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4章 秘密と約束
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短い夏休みは、あっという間に終わりを告げた。亜希は当然のごとく、一日も休まず補習授業に出席し、一度だけ子之葉と遊びに出かけた日を除いて勉強に没頭した。州徳高校では油断をすればあっという間に成績は周囲に追い抜かれてしまう。アルバイトというハンデを抱えていることを思うと、焦りは留まるところを知らない。
だが、亜希はそのストレスをむしろ誇らしく感じていた。憧れだった州徳校生の一員としての重圧である。補習授業も多量の課題も、なんの苦にもならない。オリオンでのアルバイトも、自分が周囲より一歩先に大人になったのだという気がして自然と身が入る。
その点、来栖航は真逆の姿勢を見せていた。オリオン以外に短期のアルバイトを行い、学校の補習授業には殆ど姿を見せなかった。真面目な学生ばかりの州徳高校では、補習授業に対して生徒の出席率は百パーセントといっても過言ではない。それを百から九十九に下げるのが彼だった。「強制じゃないし」と彼は言っていたが、亜希には残りの一パーセントに入る勇気がそもそもありそうもなかった。しかしそんな彼の態度は周囲に受け入れられており、生徒も教師も「またか」という顔をするだけだった。
そんな夏休みもすぐに明け、州徳高校には普段の日常が瞬く間に戻ってくる。
「亜希はさ、コンタクトにはせえへんの?」
昼休み、いつもの如く教室で共に弁当を食べていると、不意に子之葉が言った。
「なんで?」
「なんでって、邪魔そうやから。眼鏡」子之葉は自分の目元で指を動かし、架空の眼鏡をずり上げる真似をする。
「さっきも体育の時、落としそうになってたやん」
「大丈夫よ。慣れてるから」
そんな返事に、子之葉は「ふーん」と気のない返事をする。連日、窓の外には青空が広がる天気。テニス部で活躍する彼女はすっかり日に焼けている。
「イメチェンとかせえへんのかなーって」
「私が?」
どうして、と言いたげな顔をする亜希を見ながら、子之葉は弁当箱のブロッコリーを摘む。
「眼鏡とか髪型とか、小学校の時とほとんど変わってへんし。せっかく高校生になったんやから、ちょっとは遊んでみんともったいないで」
「私はいいの。そういうの。だいたい子之葉だって……」
言いかけて、亜希は口を閉ざした。子之葉も昔と大きな変化はないが、改めて見ると肩にかかる髪は緩く内側に巻かれている。箸を持つ指先の爪は、無色のマニキュアを塗っているようでとても艶やかだ。
「部活行く頃には落ちとんやけどね。これ以上伸ばしたら邪魔になるし」彼女は笑って自分の髪に触れる。「そんな見んとってや。なんか恥ずかしいやん」
「子之葉がお洒落になってる……」
「こんなん大したことないって。みんなもっと苦労しとんやから」
けらけらと笑う彼女は、ふと教室の出入り口に目を止めた。「あれ、凛香やん」
亜希も教室の前方を振り向いた。教室と廊下の境に立つ女子生徒は、四月に初めて会話をした、山本凛香という少女だ。彼女に苦手意識を持っている亜希は積極的に彼女に関わろうとしなかったし、幸い教室のある階が違っているためすれ違うこともほとんどなく、あれからまともに会話はしていない。
彼女はこちらに手招きをしているが、もちろん用があるのは子之葉に対してだろう。二人ともそう思ったから、子之葉は弁当を置いて立ち上がり、凛香の方へ向かった。
多分、教科書を貸して欲しいとか、そんなことだろう。自分には関係のないことだと、亜希は続けて弁当を食べる。
だが子之葉はすぐに戻ってくると言った。
「うちやないって。なんか、亜希に用事やってよ」
「私に?」
ぽかんとする亜希に、子之葉は頷いた。
まったく意味が分からない。だが、わざわざ他クラスからやって来た凛香を無視するわけにはいかない。席に着く子之葉と入れ違いに立ち上がり、亜希は首をひねりながら凛香の方に向かった。
「ねえ、今日の放課後暇?」
開口一番、凛香は言う。
「ちょっと、話したいことあるんだけど」
「なんの話?」
「ここじゃ無理。もしかして、今日バイト?」
「今日は、シフト入ってないけど……」幸か不幸か、今日のアルバイトは休みだ。「何でバイトしてるって知ってるの」
「風の噂ってやつ。うちの学校でバイトしてる人、あんまいないしさ」
オリオンも学校から徒歩圏内にある店だ。州徳高校の生徒も時折やって来ることを思えば、知られているのはそうそう不思議なことではない。
「体育館の脇、ベンチあるじゃん。すぐ終わるから来てくれない?」
ようやく亜希は、逃げを打てないことに気が付いた。仕事がないと言ってしまえば店に逃げるわけにもいかず、子之葉は部活だから頼るわけにもいかない。
「用件だけでも教えてくれないの」
「だから、ここじゃ無理なんだってば。ね、お願い」
結局、亜希は断ることが出来なかった。大して親しくもない他クラスの彼女が、わざわざ教室までやってきて自分に頼みごとをするなんて。その内容がちっとも見当がつかないことに、不安が湧く。だが、元来真面目な性格と、彼女の頼みを知りたい好奇心に押され、亜希は首を縦に振った。
だが、亜希はそのストレスをむしろ誇らしく感じていた。憧れだった州徳校生の一員としての重圧である。補習授業も多量の課題も、なんの苦にもならない。オリオンでのアルバイトも、自分が周囲より一歩先に大人になったのだという気がして自然と身が入る。
その点、来栖航は真逆の姿勢を見せていた。オリオン以外に短期のアルバイトを行い、学校の補習授業には殆ど姿を見せなかった。真面目な学生ばかりの州徳高校では、補習授業に対して生徒の出席率は百パーセントといっても過言ではない。それを百から九十九に下げるのが彼だった。「強制じゃないし」と彼は言っていたが、亜希には残りの一パーセントに入る勇気がそもそもありそうもなかった。しかしそんな彼の態度は周囲に受け入れられており、生徒も教師も「またか」という顔をするだけだった。
そんな夏休みもすぐに明け、州徳高校には普段の日常が瞬く間に戻ってくる。
「亜希はさ、コンタクトにはせえへんの?」
昼休み、いつもの如く教室で共に弁当を食べていると、不意に子之葉が言った。
「なんで?」
「なんでって、邪魔そうやから。眼鏡」子之葉は自分の目元で指を動かし、架空の眼鏡をずり上げる真似をする。
「さっきも体育の時、落としそうになってたやん」
「大丈夫よ。慣れてるから」
そんな返事に、子之葉は「ふーん」と気のない返事をする。連日、窓の外には青空が広がる天気。テニス部で活躍する彼女はすっかり日に焼けている。
「イメチェンとかせえへんのかなーって」
「私が?」
どうして、と言いたげな顔をする亜希を見ながら、子之葉は弁当箱のブロッコリーを摘む。
「眼鏡とか髪型とか、小学校の時とほとんど変わってへんし。せっかく高校生になったんやから、ちょっとは遊んでみんともったいないで」
「私はいいの。そういうの。だいたい子之葉だって……」
言いかけて、亜希は口を閉ざした。子之葉も昔と大きな変化はないが、改めて見ると肩にかかる髪は緩く内側に巻かれている。箸を持つ指先の爪は、無色のマニキュアを塗っているようでとても艶やかだ。
「部活行く頃には落ちとんやけどね。これ以上伸ばしたら邪魔になるし」彼女は笑って自分の髪に触れる。「そんな見んとってや。なんか恥ずかしいやん」
「子之葉がお洒落になってる……」
「こんなん大したことないって。みんなもっと苦労しとんやから」
けらけらと笑う彼女は、ふと教室の出入り口に目を止めた。「あれ、凛香やん」
亜希も教室の前方を振り向いた。教室と廊下の境に立つ女子生徒は、四月に初めて会話をした、山本凛香という少女だ。彼女に苦手意識を持っている亜希は積極的に彼女に関わろうとしなかったし、幸い教室のある階が違っているためすれ違うこともほとんどなく、あれからまともに会話はしていない。
彼女はこちらに手招きをしているが、もちろん用があるのは子之葉に対してだろう。二人ともそう思ったから、子之葉は弁当を置いて立ち上がり、凛香の方へ向かった。
多分、教科書を貸して欲しいとか、そんなことだろう。自分には関係のないことだと、亜希は続けて弁当を食べる。
だが子之葉はすぐに戻ってくると言った。
「うちやないって。なんか、亜希に用事やってよ」
「私に?」
ぽかんとする亜希に、子之葉は頷いた。
まったく意味が分からない。だが、わざわざ他クラスからやって来た凛香を無視するわけにはいかない。席に着く子之葉と入れ違いに立ち上がり、亜希は首をひねりながら凛香の方に向かった。
「ねえ、今日の放課後暇?」
開口一番、凛香は言う。
「ちょっと、話したいことあるんだけど」
「なんの話?」
「ここじゃ無理。もしかして、今日バイト?」
「今日は、シフト入ってないけど……」幸か不幸か、今日のアルバイトは休みだ。「何でバイトしてるって知ってるの」
「風の噂ってやつ。うちの学校でバイトしてる人、あんまいないしさ」
オリオンも学校から徒歩圏内にある店だ。州徳高校の生徒も時折やって来ることを思えば、知られているのはそうそう不思議なことではない。
「体育館の脇、ベンチあるじゃん。すぐ終わるから来てくれない?」
ようやく亜希は、逃げを打てないことに気が付いた。仕事がないと言ってしまえば店に逃げるわけにもいかず、子之葉は部活だから頼るわけにもいかない。
「用件だけでも教えてくれないの」
「だから、ここじゃ無理なんだってば。ね、お願い」
結局、亜希は断ることが出来なかった。大して親しくもない他クラスの彼女が、わざわざ教室までやってきて自分に頼みごとをするなんて。その内容がちっとも見当がつかないことに、不安が湧く。だが、元来真面目な性格と、彼女の頼みを知りたい好奇心に押され、亜希は首を縦に振った。
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