完全少女と不完全少年

柴野日向

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4章 秘密と約束

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 放課のチャイムが鳴った頃、着いてきたかったと嘆く子之葉と別れて教室を出た。体育館からは、早くも活動を始める運動部の生徒たちのランニングをする掛け声が聞こえてくる。
 脇のベンチに腰掛けて数分すると、凛香が校舎からやって来た。体育館と塀に挟まれているこの空間には、あまり人は通りかからない。
「何の用事? 山本さん」
「凛香でいいってば」彼女は鞄をどさりとベンチに置く。鞄のチャックに結び付けられているのは、今はやりの犬のマスコットだ。
 並んでベンチに座ると、亜希はちらりと視線をやった。凛香のスカートからはすっかり膝が覗けている。緩くウェーブした長い髪に、顔にはうっすらと化粧をしているのが分かる。まるで自分とは正反対だと、思う。
「亜希はさ、付き合ってる人いる?」
 唐突な台詞に、思わず「へ」と変な声が出てしまった。
「いっ、いないよ。いるわけない」
 慌ててぶんぶんと頭を横に振り、何故ここまで必死に否定しているのか我ながら疑問に思う。
「じゃー、好きな人は?」
「そんなの、いないってば」
「ほんと?」
 頷きながら、「凛香ちゃんは」と咄嗟に切り出した。すると待ってましたとばかりに、「いるよ、気になる人」と凛香は言った。
「だれ。学校のひと?」
「そーそー。うちのクラスじゃないんだけど」
「何組?」
 亜希が質問を重ねると、凛香は大袈裟にため息をついた。「もう、鈍いなあ」そう言われる不快感を疑問が上回る。
「ほら、来栖っているじゃん。あいつ」
 いっちにー、いっちにー。背後の体育館から元気な掛け声。ボールで床を叩く音。更に遠くから、吹奏楽部の楽器の音。それらが急に鮮明に聞こえる。
 驚きに目を見開き、たっぷり間をおいて、亜希はやっと呟いた。
「……うちのクラスの?」
「他にいないよ。てか聞いたことないし」けらけらと彼女は笑う。
 あの来栖航が? バイト中に欠伸をして、陰で煙草を吸って、いつも人を小ばかにするあの彼のことが、気になるって?
「来栖くんの、どこがいいの」
「あー、亜希にはハマらなかったかー」残念、とでも言いたげだ。「なんていうか、流されないとこ? なんか自分の世界持ってるみたいな感じするじゃん」
「それは、なんとなくわかるけど……」
「あたしみたいなの、何人か聞いたことあるよ」
「好きだっていう人?」
「ま、実際に告った子はいないらしいんだけど」
 あの来栖航が、女の子にモテる? 亜希は頭が混乱するのを感じる。難しい数学の問題に当たった時でさえ、もう少し論理的に考えられそうだ。
「割とさ、かっこいいし。そんでも、みんなプライド高いから告れなくて。プライド高いのはあたしもなんだけど」
「つまり、来栖くんにフラれたらってこと」
「だってあいつ、何考えてるかよくわかんないじゃん。飄々ってしてて。万が一の負け戦なんて、誰も仕掛けられなかったってこと」
 はあ、と亜希はため息に近い声を漏らした。確かにそう言われてみれば、顔立ちはいくらか整ってはいるかもしれない。だがよりにもよって凛香のような、お洒落で今どきの女の子が思いを馳せる相手だとは予想だにしなかった。
「そんでね、亜希に手伝って欲しいのよ」
「手伝うって……」
「バイト、確かオリオンって店だったよね。一緒なんでしょ。方法は後で考えるから、上手くいくように協力して欲しくって」
「私、責任持てないよ」
「責任とか、そんな深く考えなくていいって。別に無茶なこと言うつもりないし。ちょこっと協力してくれるだけでいいから」
 だが、亜希はすぐに返事ができなかった。すんなり頷くのを何かが阻んでいた。嫌だ、というほどのものではないが、どうしてだか首が縦に動かない。
「考えさせてもらってもいい」
 そんな台詞に、凛香は大して嫌な顔もせず、鞄からスマートフォンを取り出す。
「返事欲しいから、連絡先教えてよ」
 躊躇したが、亜希は連絡先を交換することにした。今この場で決めるには些か混乱していたから、了承するにしろ断るにしろ一度離れて考え直した方がいいと思ったのだ。
「んじゃ、後で連絡するから」
 凛香は嬉しそうに言った。

 帰りの電車でも考え、夕食を食べながら考え、風呂に入って考えたが、何故これほど気持ちがもやもやしているのか判明しなかった。凛香とは全くもって親しい間柄ではない。薄情だが、彼女の恋愛が成就しようがしまいがどちらでも構わない。
 どちらでも。そう思うなら、僅かな協力ぐらい惜しまなくともいいのだろう。義理がないといって突っぱねるよりは、よほど無理難題を押し付けられない限り、応援した方が後味は悪くない。
 そう思うのに、心の底にはそうしたくないという思いが潜んでいる。どうして。そう問いかけても、それは沈黙を貫いて答えてくれない。
 途方に暮れた亜希が取り合えず課題をこなしていると、充電中のスマートフォンが鳴った。時刻は午後九時ちょうど。憂鬱な気持ちで机上のそれを手にする。届いたメッセージの送り主は、もちろん凛香だ。
 ――どう? やっぱりダメ?
 亜希は、以前凛香に馬鹿にされたことを思いだす。彼女は初対面で、自分を外部生だと見下した態度を取ったのだ。だから断っても文句はないはずだ。
 だが、それは凛香を拒む理由にはあと一歩足りなかった。入学から約半年経ったが、外部と内部を区別ないし差別する生徒は彼女だけではなかった。子之葉の言う通り、恐らく凛香が特別な意地悪というわけではなく、そういう風潮が学校を満たしているのだろう。
 あの発言は凛香の本意ではなかったのかもしれない。そう思うと、断りを入れる指が止まる。それなのに、賛成する気にもなれない。
 意を決し、亜希は文字を打ち込んだ。
 ――いいよ。
 数秒後に届いた感謝と喜びのメッセージを目にし、亜希は深くため息を零した。
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