完全少女と不完全少年

柴野日向

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5章 近くて遠い

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 次の土曜日、共に午後七時半に仕事を終えると、亜希と航は最寄りの駅に向かった。駅の中では本屋や飲食店が軒を連ね、学生や仕事終わりの社会人が行き交っている。平日は制服の高校生もよく遊び歩いている場所だが、亜希は電車を利用する以外の目的で州徳校生がうろついているのを殆ど見たことがなかった。今の自分のように私服を着ていれば分からないが、少なくとも制服で遊んでいる姿は目にしない。それが州徳高校のイメージであり、航が言うように学生たちが利用しているものなのだろう。
「ま、うちの学校の奴らは制服でうろつきはしないからな」
「私服ならうろつくんですか」
「そりゃね。でも、補導されるようなことはしないよ。隠れてするだけで」
 相変わらず呆れてしまう。そんな彼女を見て、彼はいつものようにへらへらとしている。
「鉢合わせたとしても、知り合いとは限らないし。変な噂流されることはないだろ」
「そんな発想しないでください」
 言ってから、亜希は急に不安になった。住所などは知らないが、もしも凛香に会ってしまったらどうしよう。自分にそんな気がなくとも、一緒にいるなら誤解されても仕方がない。これは立派な裏切り行為ではないだろうか。
 しかし今更断って帰るわけにはいかない。近場のカフェに入り、各々軽食を注文する。一度ファミリーレストランを覗いてみたものの、休日の夕食を摂る家族連れが並んでいて、ノートを広げるのは気が引けた。カフェも混んではいたが、ノートパソコンや参考書をテーブルに置いている客が多く、一時間ぐらいならいいだろうと航は言った。
 窓際のカウンターに並んで総菜パンを食べ終え、亜希はさっそく英語の問題集を鞄から取り出す。学校指定の教材ではなく、以前本屋で購入したものだ。
「この、ふせん付けてる問題です」
「わざわざ準備してたの?」それを見て、航はため息を吐く。「なんていうか、真面目だなあ」
「せっかくなので」
「まあいいや、見せて」
 本を手にし、ページを捲り、航はしばし考え込む。
 学校指定のものなら、普段見慣れているぶん答えやすいだろう。しかしこれは本屋のコーナーに並んでいた多数の中の一冊だ。彼にとっても初めて目にする問題に違いない。
 だからもし答えられなくとも仕方がないと亜希は思っていたが、彼はテーブルに問題集を置き、正解を導いてみせた。
「回答の解説が不親切だな」
「そうなんです。分かってるっていうのが前提になってて」
「これ、複合名詞になるから形容詞いれても意味がおかしくなるんだよ。この二語で、身分証明書って意味」
 亜希が納得すると、航はページを捲る。
「そんでこっちは、二行になってるけど長い主語。ここのフォールドは動詞じゃなくて形容詞。述語動詞はその後ろ」
 一文しか載っていない解説文よりも、彼の説明は遥かに解りやすい。なにより、引っかかったところを口にするとピンポイントで答えてくれるのが有難い。
 やがて三十分程度で、亜希がふせんを貼っていた五つの問題を彼は解説し終えてしまった。
「びっくりしました。来栖くんって、本当に成績良かったんですね」
「なにそれ、疑ってたの」彼は氷の溶けてきたアイスティーのグラスを手に取り、ストローを咥えて一息つく。「俺は優秀なんだよ」
 散々、人を食った態度を取り煙草まで吸う彼だが、やはり中等部から州徳に入っていただけのことはある。おまけにアルバイトをして一人で生活しながら成績をキープできているとは。亜希は素直に感心した。
「あの、よかったらこれ」
 鞄に手を入れ、チョコレート菓子の小袋を彼に差し出した。オリオンでも扱っているような小さな駄菓子だ。
「いいよ、別に」
「教えてもらったんだし、私のけじめです」
「そう? そんなら、遠慮するの面倒だし貰うよ」
 実に彼らしい台詞を口にし、航は受け取ったそれをテーブルの脇に置く。
 二階に位置する店のため、顔を上げると窓の外には駅前を歩く人々を見下ろす景色が広がっている。既に陽は暮れているが、駅から漏れる明かりや街灯のおかげであまり暗さは感じられない。一方、店内の客層は、三十分が経ってもほとんど変化していなかった。お喋りに勤しむ客と、黙々と作業をする客が半々。流行曲を流すオリオンとは違い、店内には歌のないジャズがBGMとしてうっすら流れている。
「来栖くんは、今日は大丈夫だったんですか。用事とか」
「なんもないよ。明日も昼からだし」
 あれ、と亜希は首を傾げる。
「明日もシフト入ってましたっけ」
「あー、いや、別のバイト。短期のやつ」
「別のって、オリオンじゃなくて」
「日雇いの単純作業。夕方には終わるけどね」
 せっかくの日曜日にも働いていると知り、亜希は唖然としてしまう。そんな彼女の様子など気にも留めず、彼は窓の外を眺めながら欠伸をした。
「シフトがない時も、働いてるんですか」
「だって、時間がもったいないし。俺は回遊魚だよ。止まったら死ぬんだ」ふざけたことを言う。
「他の所でもってことは知ってましたけど……夏休みだけかと思ってました」
「夏休みは新聞配達してたよ。俺、中等部の時は新聞配達してたんだ。もう辞めたけど、なんか夏は帰省する人が多いから手伝わないかって連絡来たんだ」
「なんで今のバイトに移ったんですか」
「こっちの方が時間の融通効くし、なにより時給が良かったから。中等部の時は年齢的に配達しか出来なかっただけ」
 異様に働き慣れているのはそのせいらしい。常にあちこちで働いて経験を積んでいれば、いろいろな人間を見るのだろう。しかし亜希の口からは、「もったいない」という言葉が出た。
「これだけ勉強ができるなら、もう少し時間を割いたらもっと上に行けるんじゃないですか。もし返済無用の奨学金とか貰えるようになったら、そこまでしなくても進学できそうなのに」
 短時間の勉強で優秀な成績を収められる頭を持っているのなら、それを最大限活用すればきっと将来的にもプラスになるはずだ。亜希はそう思ったのだが、彼は「別に」と言った。
「いい大学行きたいとか、そういうのないし。それより今、金が必要なの」
「今勉強したら、将来働くのにもきっと役に立ちますよ」
「そんなんあと何年も先の話だろ。今現在、働かないと駄目なんだよ」
 それでもどことなく不満げな顔の亜紀に、航は「前言ったじゃん」と続ける。
「俺の生活費だけじゃないって。ただ平和に暮らすのよりも重要な目的があんの」
「重要な目的って」
「内緒」
 彼はそう言って意地悪な顔をする。ここまで話して、自分が働く本当の目的を教えるつもりはないらしい。
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