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9章 航
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「うん。金曜ならいける。こっちの駅でいいの、大丈夫?」
弁当を食べる手を止め、航が電話をしている。亜希はその背側でタイムカードを打刻する。
「いや、いいよ、別に。気にしないでいいってば」
約束を取り付け、彼は通話を終えた。
「……春乃さんですか」
久々に、亜希は挨拶以外の言葉を航にかけた。彼との険悪な空気は未だに薄れず続いていて、とても以前と同じような会話など出来そうもなかった。
「そうだけど」
「待ち合わせですか」
「盗み聞きかよ」
彼の言い方に少しムッとしてしまう。
「それなら、聞こえない所で話してください」
「はいはい。すんません」
面倒そうに返事をして、彼は箸で弁当のおかずをつまむ。どうやら、春乃は要件を告げなかったらしい。彼女はあくまで、対面で話をするつもりだ。
彼はこれまでずっと、春乃の進学のために働いてきた。大切な姉のために、自身をも傷つけてきた。そんな彼が春乃の話を聞けば、どれほどショックを受けるだろう。立ち直ることは出来るだろうか。
そんな亜希の心配を他所に、コロッケをかじる彼は、鬱陶しいものを見る視線を送る。
「なに。なんか用」
「いえ、別に……」
「見られてると食べにくいんだけど」
そんな彼に亜希は呟いたが、聞き取れなかったらしい。「なに」と眉を顰める彼に亜希は自信のない声で言った。
「……行かない方が、いいかも」
「なにが」
「その、春乃さんとの、待ち合わせ」
明らかに苛立ち、彼は足先で床を叩く。
「どういう意味だよ」
「なんとなく、ですけど」
「なんとなくで行くなとか言うのかよ」
春乃に止められている以上、亜希はもう何も言えない。彼は黙って背を向ける。亜希も口をつぐみ、部屋を出ていくしかなかった。
「なあ、亜希。この問題分かる?」
休憩時間に、子之葉がノートを持って席にやって来る。十二月も中旬に入り、街も学校もすっかり冬の様相だ。暖房の効き具合によっては、授業中の居眠りを誘われて危険な季節でもある。
子之葉は化学が苦手だが、それは亜希も大差なかった。彼女が躓いたという問題を見せられたが、何故その回答になるのかよく分からない。
「ごめん、私も解けない」
「うーん、ありがと。ほんなら……」きょろきょろと教室を見渡す。「くるすー、ちょっと教えてやー」
フレンドリーさを全開にして子之葉は航の席に向かって行く。だがその後に続く気になれず、亜希は次の授業の教材を机から出した。国語の教科書を開き、漢字テストの復習に取り掛かる。
「亜希ー、わかったでー」
「わっ」
後ろから伸びた子之葉の指に頬をつつかれて振り返る。
ノートを広げる子之葉から、航の解説を伝え聞く。流石というべきか、彼の解説は分かりやすい。それは彼女も同じようで「よう解けるなー」と感心している。
「ていうか、亜希も聞きに来るかと思たんやけど」
「えっと、まあ……うん」
亜希の様子を不審に思った子之葉は、席と窓の間でしゃがむ。「なに、喧嘩でもしたん」周囲に聞こえないよう、声を潜める気遣いは流石だ。
「ほんのちょっとね」
いくら子之葉でも、全てを説明するわけにはいかない。だがまるきりの嘘もつきたくなので、親指と人差し指の間を僅かに開いて「ちょっと」を強調する。
「ふむむ」彼女は自身の指を顎に当てて少し考えた。「来栖自体は機嫌よさそうやったけどなあ。まあ、悪い時もあんまないんやけど」
必死に貯めた金を、ようやく春乃に渡せるのだ。機嫌も良くなるだろう。
首を傾げる子之葉の横で、亜希は曖昧に頷くだけだった。
弁当を食べる手を止め、航が電話をしている。亜希はその背側でタイムカードを打刻する。
「いや、いいよ、別に。気にしないでいいってば」
約束を取り付け、彼は通話を終えた。
「……春乃さんですか」
久々に、亜希は挨拶以外の言葉を航にかけた。彼との険悪な空気は未だに薄れず続いていて、とても以前と同じような会話など出来そうもなかった。
「そうだけど」
「待ち合わせですか」
「盗み聞きかよ」
彼の言い方に少しムッとしてしまう。
「それなら、聞こえない所で話してください」
「はいはい。すんません」
面倒そうに返事をして、彼は箸で弁当のおかずをつまむ。どうやら、春乃は要件を告げなかったらしい。彼女はあくまで、対面で話をするつもりだ。
彼はこれまでずっと、春乃の進学のために働いてきた。大切な姉のために、自身をも傷つけてきた。そんな彼が春乃の話を聞けば、どれほどショックを受けるだろう。立ち直ることは出来るだろうか。
そんな亜希の心配を他所に、コロッケをかじる彼は、鬱陶しいものを見る視線を送る。
「なに。なんか用」
「いえ、別に……」
「見られてると食べにくいんだけど」
そんな彼に亜希は呟いたが、聞き取れなかったらしい。「なに」と眉を顰める彼に亜希は自信のない声で言った。
「……行かない方が、いいかも」
「なにが」
「その、春乃さんとの、待ち合わせ」
明らかに苛立ち、彼は足先で床を叩く。
「どういう意味だよ」
「なんとなく、ですけど」
「なんとなくで行くなとか言うのかよ」
春乃に止められている以上、亜希はもう何も言えない。彼は黙って背を向ける。亜希も口をつぐみ、部屋を出ていくしかなかった。
「なあ、亜希。この問題分かる?」
休憩時間に、子之葉がノートを持って席にやって来る。十二月も中旬に入り、街も学校もすっかり冬の様相だ。暖房の効き具合によっては、授業中の居眠りを誘われて危険な季節でもある。
子之葉は化学が苦手だが、それは亜希も大差なかった。彼女が躓いたという問題を見せられたが、何故その回答になるのかよく分からない。
「ごめん、私も解けない」
「うーん、ありがと。ほんなら……」きょろきょろと教室を見渡す。「くるすー、ちょっと教えてやー」
フレンドリーさを全開にして子之葉は航の席に向かって行く。だがその後に続く気になれず、亜希は次の授業の教材を机から出した。国語の教科書を開き、漢字テストの復習に取り掛かる。
「亜希ー、わかったでー」
「わっ」
後ろから伸びた子之葉の指に頬をつつかれて振り返る。
ノートを広げる子之葉から、航の解説を伝え聞く。流石というべきか、彼の解説は分かりやすい。それは彼女も同じようで「よう解けるなー」と感心している。
「ていうか、亜希も聞きに来るかと思たんやけど」
「えっと、まあ……うん」
亜希の様子を不審に思った子之葉は、席と窓の間でしゃがむ。「なに、喧嘩でもしたん」周囲に聞こえないよう、声を潜める気遣いは流石だ。
「ほんのちょっとね」
いくら子之葉でも、全てを説明するわけにはいかない。だがまるきりの嘘もつきたくなので、親指と人差し指の間を僅かに開いて「ちょっと」を強調する。
「ふむむ」彼女は自身の指を顎に当てて少し考えた。「来栖自体は機嫌よさそうやったけどなあ。まあ、悪い時もあんまないんやけど」
必死に貯めた金を、ようやく春乃に渡せるのだ。機嫌も良くなるだろう。
首を傾げる子之葉の横で、亜希は曖昧に頷くだけだった。
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