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3章 一年後に君はいない
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駅から下浮月橋への道を、二人で並んで歩く。見上げた夜空は晴れていて、散りばめられた星々がきらきらと光っている。「綺麗だなあ」と佑が呑気に言った。
土手に上がり、浮月川を左手に見ながら進む。
「先輩、どこまでついてくるの」
満を持して、彼は言った。
「……どこまでも」
「じゃあ、証人になってね。僕が自殺したっていう」
重たい足が、いっそう重たくなった。足首に無骨な鎖がぐるぐると巻きついているようだ。
「先輩に残酷なことさせないでよ」
「じゃあ、ここでお別れしましょうか」
おどけた風に言う台詞は、ずしりと心に沈み込む。黙って、瑞希は佑の手を握った。佑も何も言わず、瑞希の手をしっかりと握りしめた。
二人で並んで、下浮月橋に到着する。木製の頑丈な橋の真ん中には二車線道路が通っていて、時折思い出したように、スピード違反の車が疾走する。歩行者の姿はない。
ゆっくりゆっくり、瑞希は時間をかけて歩く。歩みののろさに佑は文句を言わず、瑞希に合わせて歩を進める。着実に死刑台に向かう。
「ここで、いいです」
やがて、橋の真ん中で彼は立ち止まった。時計を見る。針は二十三時十分を指している。
結城佑は一人で、四月一日にこの世を去る。
「……本当に、だめなの」
答えの解り切っている質問を佑に投げかける。瑞希はすっかり憔悴していた。彼が死を望む言葉を口にするたび、心の大事な部分が千切れていく。散り散りになり、修復不可能になっていく。
「ごめんね」そうして謝る佑は、「これで、最後なんですね」と繋げた。へその高さほどの低い欄干に、左手を軽く載せる。
「あれからも、先輩は繰り返したんだ。それで、もう後がない」
「やっぱり佑は、勘がいいね」瑞希は頷いた。「そうだよ」
彼の瞳を見つめ、綺麗だなと思った。今まで見てきた中で、一番の煌めきを持っていた。ひとまがいでも、高宮朋でもない、本物の結城佑。今は静かに微笑んでいる。
「佑には才能がある。努力もできる。ひとまがいは、たくさんの人に認められてるのに」
「あのひとまがいは、過去の存在なんです。僕はもう、戻ろうとは思わない」
ふと、彼は川面に視線をやる。浮月川の水面には、その名の通り、月が浮かんで揺れていた。絵本のように丸い満月が浮いていた。
「僕の生きがいは、書くことだけだった。物語を書いている間は、あらゆることを忘れられた。なんとなく作り出したひとまがいに人気が出て、嬉しかった。中二の時、賞を貰った時も、認められて嬉しかった。人間としてやり直す足掛かりを手に入れた気がした」
彼は弱々しい笑みを浮かべる。動かない小指を、右手の指先でそっとなでる。
「だけど、いじめがひどくなって、部活を辞めても収まらなくって。指を切られたとき、何もかもを奪われた気分になった。書くことさえ許されないんだと思った。味方も誰一人いなくて、絶望した。ひとまがいなんてやってられなくなった。あの頃の僕は、無気力の塊だった」
無気力。結城佑とはほど遠く感じられる言葉。彼はかつて、まがいものの生を全うする気力さえ失っていたのだ。
「そこで、思ったんです。一年だけ。朋の命日から一年だけ、朋と一緒に生きようって。それで、志望する人のいない南浜を目指すって決めました。部活は怖かったけど、学外のサークルなら入れそうだと思って、少しでも作品を書いていたくて、星の海に入りました。朋の性格を受け継いで、なり切って、僕は完全に偽物になったんです。ひとまがいは、更新を辞めてからひとまがいになった」
彼は欄干の上に足をかけて、ひょいと身体を持ち上げた。その場で器用に振り返り、瑞希を見下ろして両腕を大きく広げた。
「僕の一生は、この一年。この一年が、本当のひとまがい」
こんなに幸せそうな佑を、そしてこんなに悲しそうな佑を、瑞希は初めて目にした。現に彼の瞳からは雫が零れ、頬を伝って落ちていた。それは、流れ星のように美しかった。
欄干に両手をかけ、佑より少し苦労して、瑞希もそこに上がる。僅かでもバランスを崩せば川に落ちてしまう。だが、恐怖は微塵もない。
「君がいくなら、私はどこまででも一緒にいく。さよならなんて、言わせない」
佑の身体が川の方へ傾いだ。両腕を伸ばし、欄干を蹴って、瑞希は彼を力いっぱい抱きしめる。
波打つ月が飛沫を立て、二人の身体を深く深く飲み込んだ。
土手に上がり、浮月川を左手に見ながら進む。
「先輩、どこまでついてくるの」
満を持して、彼は言った。
「……どこまでも」
「じゃあ、証人になってね。僕が自殺したっていう」
重たい足が、いっそう重たくなった。足首に無骨な鎖がぐるぐると巻きついているようだ。
「先輩に残酷なことさせないでよ」
「じゃあ、ここでお別れしましょうか」
おどけた風に言う台詞は、ずしりと心に沈み込む。黙って、瑞希は佑の手を握った。佑も何も言わず、瑞希の手をしっかりと握りしめた。
二人で並んで、下浮月橋に到着する。木製の頑丈な橋の真ん中には二車線道路が通っていて、時折思い出したように、スピード違反の車が疾走する。歩行者の姿はない。
ゆっくりゆっくり、瑞希は時間をかけて歩く。歩みののろさに佑は文句を言わず、瑞希に合わせて歩を進める。着実に死刑台に向かう。
「ここで、いいです」
やがて、橋の真ん中で彼は立ち止まった。時計を見る。針は二十三時十分を指している。
結城佑は一人で、四月一日にこの世を去る。
「……本当に、だめなの」
答えの解り切っている質問を佑に投げかける。瑞希はすっかり憔悴していた。彼が死を望む言葉を口にするたび、心の大事な部分が千切れていく。散り散りになり、修復不可能になっていく。
「ごめんね」そうして謝る佑は、「これで、最後なんですね」と繋げた。へその高さほどの低い欄干に、左手を軽く載せる。
「あれからも、先輩は繰り返したんだ。それで、もう後がない」
「やっぱり佑は、勘がいいね」瑞希は頷いた。「そうだよ」
彼の瞳を見つめ、綺麗だなと思った。今まで見てきた中で、一番の煌めきを持っていた。ひとまがいでも、高宮朋でもない、本物の結城佑。今は静かに微笑んでいる。
「佑には才能がある。努力もできる。ひとまがいは、たくさんの人に認められてるのに」
「あのひとまがいは、過去の存在なんです。僕はもう、戻ろうとは思わない」
ふと、彼は川面に視線をやる。浮月川の水面には、その名の通り、月が浮かんで揺れていた。絵本のように丸い満月が浮いていた。
「僕の生きがいは、書くことだけだった。物語を書いている間は、あらゆることを忘れられた。なんとなく作り出したひとまがいに人気が出て、嬉しかった。中二の時、賞を貰った時も、認められて嬉しかった。人間としてやり直す足掛かりを手に入れた気がした」
彼は弱々しい笑みを浮かべる。動かない小指を、右手の指先でそっとなでる。
「だけど、いじめがひどくなって、部活を辞めても収まらなくって。指を切られたとき、何もかもを奪われた気分になった。書くことさえ許されないんだと思った。味方も誰一人いなくて、絶望した。ひとまがいなんてやってられなくなった。あの頃の僕は、無気力の塊だった」
無気力。結城佑とはほど遠く感じられる言葉。彼はかつて、まがいものの生を全うする気力さえ失っていたのだ。
「そこで、思ったんです。一年だけ。朋の命日から一年だけ、朋と一緒に生きようって。それで、志望する人のいない南浜を目指すって決めました。部活は怖かったけど、学外のサークルなら入れそうだと思って、少しでも作品を書いていたくて、星の海に入りました。朋の性格を受け継いで、なり切って、僕は完全に偽物になったんです。ひとまがいは、更新を辞めてからひとまがいになった」
彼は欄干の上に足をかけて、ひょいと身体を持ち上げた。その場で器用に振り返り、瑞希を見下ろして両腕を大きく広げた。
「僕の一生は、この一年。この一年が、本当のひとまがい」
こんなに幸せそうな佑を、そしてこんなに悲しそうな佑を、瑞希は初めて目にした。現に彼の瞳からは雫が零れ、頬を伝って落ちていた。それは、流れ星のように美しかった。
欄干に両手をかけ、佑より少し苦労して、瑞希もそこに上がる。僅かでもバランスを崩せば川に落ちてしまう。だが、恐怖は微塵もない。
「君がいくなら、私はどこまででも一緒にいく。さよならなんて、言わせない」
佑の身体が川の方へ傾いだ。両腕を伸ばし、欄干を蹴って、瑞希は彼を力いっぱい抱きしめる。
波打つ月が飛沫を立て、二人の身体を深く深く飲み込んだ。
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