百万回目の大好き

柴野日向

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1章 夏実と麻斗

6-1

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 腰ほどの高さの堤防に上がり、並んで腰掛ける。足元ではちゃぷちゃぷと小さな波が立ち、花火が炸裂するたびに海面が鮮やかに彩られる。
 小さな花火がパチパチと連続して打ち上げられ、夜空が真っ白に輝く。その後ろで大輪が轟音を上げて一発、二発と花を咲かせている。美しい宝石が海上で弾け、その破片がぱらぱらと海へ降り注いでいく。
 二人はしばらく言葉を失って、その光景に見とれていた。夏実の、そして麻斗の瞳にも色とりどりの花の閃光が宿る。
「綺麗だねー」
「うん、すごい」
 ため息をついた彼女に彼もすぐさま頷く。
 砂浜を幾分離れてしまったここでは、ほかに人の姿もない。ただただ花火の打ち上がる音と小さな波の打ち寄せる音だけが、夜闇の中に響いている。
「夏実先輩」
 だから花火が赤々と上がっていても、彼の声はきちんと彼女の鼓膜に届けられる。
「どうして、学祭でないんですか」
 小さく息を呑む夏実を、麻斗はどこか不安げな目で見やる。夏実は珍しく言い淀み、上手に返事ができない。
「それは……エントリーシート書き忘れてて……」
「ぼくだって、部員だったんだから。自分が名前を書き忘れて出られないのに、白井さんや岸先輩を誘って代わりに出てもらうのなんて、おかしいじゃないですか。……何か、ぼくを騙さなきゃいけない理由があるんですか」
「騙すなんて、そんなつもりないよ……! でも、そう思っちゃうよね。ごめん」
「謝らなくてもいいけど。ただ、らしくないなと思って」
「らしくって」
 きょとんとする夏実に、麻斗は小さく笑う。
「だって、ギター弾いて歌って踊りまわってるのが先輩なのに。普段そんな人が、年に一回の学祭に出ないなんて。やっぱり変だ」
「……ばかにしてるな。麻斗のばあか」
 彼女はべえっと舌を出し、顔を見合って二人は笑う。「それなら」と、夏実はぱっと表情を明るくし、同時に夜空に咲いた花火がその頬をうっすらと赤く染める。
「麻斗は、私に学祭出て欲しい?」
「それは、まあ……だって先輩、今年で最後だし、折角なら。その、出ない理由が邪魔しないんだったら」
「それはね。うん、そう言ってもらえるんなら大丈夫。全然おっけーだよ。今からだとバンド組めるか……そもそも出られるかわかんないけど。でも、麻斗がそう言ってくれるなら、私一人でも出るよ、頑張る!」
 目を丸くする麻斗に夏実は笑顔を見せる。今度こそ彼女の台詞には、万に一つも嘘や誤魔化しは存在しなかった。彼が応援してくれるなら、例え一人きりでも舞台に立つ勇気が出る。夏実が言うのは、つまりそういうことなのだ。
「どうして、先輩は……」
「え、なに?」
 声が花火の音と被ってしまい、夏実は聞き返す。今度は麻斗が、「それは」と言葉を濁す番だった。頬を人差し指でかき、逸らしてしまった目で再度彼女の方を見やる。
「なんで、そうやって……その、ぼくのこと、好きでいるんですか」
 自分の台詞の恥ずかしさを痛感し、彼は慌てて言葉を繋げる。
「だってぼくなんか、大した取り柄もないし、何ができるってわけでもないし。こう言ったら、五樹の方がずっと優しいし、岸先輩の方がずっとかっこいいし。なんでわざわざぼくなんか」
「だって、好きなんだもん。好きなのに理由なんかいる?」
 彼の卑下を止めさせるように、伸ばした人差し指をその鼻先にちょんと当てる。麻斗は思わず口を噤む。
「第一、麻斗はピアノが弾けるでしょ。充分かっこいいよ」
「ピアノなんて、もっと上手い人もたくさんいるじゃないですか」
「私は、麻斗のピアノが好きなの。それに、いっくんも優しいけど、麻斗も優しいよ。だから君たちといるとね、ほっとするんだよ、ほんとは。たぶん茜も、同じこと思ってるよ」
 息を呑む彼に、「ね」と夏実は首をかしげてみせた。
「だからさ、自信持ってよ。麻斗はさ、自分で思ってるよりずっと出来てる人間なんだ。私は、例えどれだけ君に嫌われてようと、好きでいるよ」
「そんな、嫌いだとか」
 はっと顔を上げた麻斗は、ぽつりと呟く。
「……さっきのは、やりすぎだと思うけど」
「だーかーら、ごめんってば。流石にやりすぎたよ」
「でも、その、嫌いとかは……思ってないですよ。そりゃあ、先輩は表現が過剰すぎるし、人目を気にしなさすぎるし、声がでかいし、常識がないし、それに」
「なかなか言うねえ」
 麻斗の言葉に指を折りながら、夏実はにやりと笑う。だが彼の言うことは真実すぎるから反論することはしなかった。
「なんでそんなに言ってくれるのかわからないし……そうだ、わからないんだ。ぼくには先輩の考えもわからないし、どう応えたら正しいのかもわからない」
「嫌いじゃないなら、好きだって言ってくれたらいいのに」
 からかうように夏実は言ったが、麻斗は視線を俯けたまま、花火の音にもかき消えそうな声で言う。
「好きだとかなんとかって、よくわからないんです。それなのに、わからないくせに、「好き」だなんて言葉は軽々しく使っちゃいけない気がする」
「麻斗はほんとに真面目な子だねえ。それなら待ってるよ。好きだって気づかせてやる」
「それだけじゃなくって……」
 彼は夏実の言葉を遮った。手のひらで、自分の膝を軽く掴む。小さく唇を噛む表情はどこか苦しげだ。
「ぼくだけ誰かと、幸せになっていいのかって思って」
「だけって……それは、千華ちゃんのこと」
 夏実の方を見ないまま、麻斗は頷いた。
「千華は、まだ小学生だったのに。これからまだまだ、嬉しいこととか、幸せなこととか待ってるはずだったのに。もう絶対に、ぼくらと同じ時間を過ごすことはできないんです。それなのに、ぼくだけだなんて、そんなの狡すぎるなって。お兄ちゃん失格だなって、申し訳なくって」
 麻斗は悲しげだが、泣いてはいない。もう何度も繰り返し思い悩んだことなのだろう。幼くして死んだ妹を差し置いて、自分だけ幸せな未来を歩むことなど、彼自身が許せないのだ。
「そんなことないよ。麻斗は千華ちゃんのお兄ちゃんでしょ」
 項垂れてしまった彼の左手を、夏実は右手で取り両手で包む。咄嗟に引いてしまいそうな彼の手を、しっかりと握り締める。
「誰よりも知ってるはずだよ。千華ちゃんはそんな子じゃないって。麻斗のことを恨んだりなんて、絶対にしないって」
「それはわかってる。わかってるんです。千華はそんなやつじゃない。ぼくを恨んだり憎んだりなんて、あの子はしない。だから、許せないのはぼくなんだ。もうすぐ一年が経つのに、ぼくが、未だにぼくを許せないんだ」
 もっと気楽になれだなんて、夏実に言えるはずがなかった。夏実にとっても、妹のように可愛がっていた千華の死は、胸が張り裂けて目の前が真っ暗になるような悲しみだった。今だって、耳をすませば彼女の上手な歌声が聞こえる気がする。辺りを見渡せば、よく似合うポニーテールを揺らして明るく笑う彼女が、そこに居る気さえする。
 麻斗は既に、幼い頃に母親を病気で亡くしている。だから父子三人、その分力を合わせて生きてきたのだ。千華に対しても、兄であり親であるように振舞って面倒をみてきたことを夏実も知っている。
 だからどうして。それは未だに夏実も思ってしまう。なぜ神様は、彼女まで奪ってしまったのか。途方もない悲しみを、どうして更に彼らに被せようというのか。

 麻斗があんなことをしたのも、きっとそのせいだ。

「悲しんでいいよ、麻斗。受け入れるなんて、すぐには出来るわけないよ。まだたったの一年だもん」
「まだなのか、もうなのか……」
 麻斗はすっと手を引くと、困ったように笑いかけた。
「ぼくがあの時、きちんと時間通りに行っていれば、千華は横断歩道を渡らなかった。事故に遭うこともなかった」
 咄嗟に否定の言葉を探したが、夏実は口にできなかった。そんなことないと言いたいが、麻斗の後悔は正しいものだった。
「それに、その後も……。千華は助けられなかったのに、ぼくは助けられたんだ。千華や母さんを追いかけて、背中に触れられるところだったのに、ぼくの助けは間に合ってしまった」
「麻斗……」
「本当に、ぼくは馬鹿なことをした。二度としようとは思わない。でも、今も夢に見るんです、あの時助けが間に合わなければって。そうすれば、こんな辛い思い、二度としなくて済んだのに……」
「そんなこと、もう言っちゃダメだよ」
 夏実はそっと、麻斗の袖を掴む。ふいに遠くに行ってしまいそうな彼を、その場に引き止めるように。
「私、すごく怖かった。麻斗までいなくなったらどうしようって。それに麻斗には、お父さんもいるじゃない。いっくんだって、あの時泣きそうなぐらい心配してた。茜も、きっしーも、どうしようってずっと言って、授業なんか上の空だった。みんな麻斗のこと大好きなんだから。だからもう、そんな言葉言わないでよ」
 喉元にこみ上げる熱い塊を夏実は飲み下す。麻斗の嘗ての望みが叶ってしまった世界を思うと、息ができなくなってしまう。声を出すことが辛くて、せめて誤魔化そうとするものの、濡れてしまう瞳では騙せない。
「大丈夫です。さっきも言ったように、ぼくは二度とあんな真似はしない。ただ時々、後悔みたいな感情が出てくるだけで、実行する気なんてさらさらないです。……多分ぼくは、神様に嫌われてるんだ」
 ああ、と麻斗は吐息をこぼすように声を漏らすと、夏実の顔にそっと左手を伸ばす。
「なんだか、言えたらすっきりしました。自分がどう思ってるのか、わかった気がする。ごめんなさい、折角なのに、こんな話して泣かせちゃって」
 目のふちに溜まった雫に、細い指先で触れる。ぱちりと瞼を開く夏実の涙を、彼は優しく拭っていった。
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