百万回目の大好き

柴野日向

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3章 百万回目の大好き

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 正月を無事に迎え、名残惜しく冬休みが終わった頃、いよいよ受験も近づいてきた。とうに部活も引退となり、放課後は面接の練習で埋められる。
 一緒に並んで帰る日も少なくなったある日、麻斗は再び夏実の部屋を訪れていた。借りていたCDを返す用事だったが、お茶だけ飲んでいけと誘われたのだ。
「そうだ。この前ね、大掃除してたときに面白いの見つけたの」
 そう言って夏実が押入れから引っ張り出してきたのは、一冊のアルバムだった。
「これ小学生の時のもあってさ、見て見て!」
 撮影された年月日が書かれた表紙を捲ると、一ページ目には夏実の小学生時代の集合写真が貼られていた。次のページには、全校生徒が集合した運動場の航空写真。
「これ、三十周年の写真ですよね。貰ったはずだけど、どこいったかな」
「空が眩しかったなあ……あ、これ、お泊まり会の時のだよ」
 更に数ページ捲ると、地区のイベントで夏休みに行われたキャンプの写真になる。一泊二日のイベントで、団地の子どもたちがボール遊びや肝試しに興じて楽しそうに笑っている。当然二人の共通の記憶も多い。それを眺めていた麻斗が、小さく声をあげた。
 手作りのカレーをまさに頬張っている彼らの中には、夏実だけではなく、当時小学五年生だった麻斗と、その一つ下の千華も写っていた。千華は夏実と並んで振り返り、ピースをしている。向かいにいる麻斗は咄嗟の撮影に気づいていないらしく、隣の友人と話をして笑っている。
「千華は枕が変わると寝れない子だったから……小四になっても、夜中にぼくのところに来て、起こされたんですよ」
「私、目覚ましてビビったんだよ。横で寝てた千華ちゃんが消えてるんだから。トイレにでも行って迷子になってるのかと思ってたら、麻斗の隣で普通に寝てるんだもん」
 夏実の言葉に麻斗も当時のことを思い出して苦笑する。
 地区のクリスマス会。小学校の卒業式。星ヶ丘中学校での学祭後の記念写真。
「ちょっと待ってて」
 懐かしい思い出に浸りながら、夏実が手洗いに立ち上がる。
 突然ひとり残された麻斗は、アルバムをめくる。もう残りページは少なく、あとは彼の知らない夏実の教室での姿が並ぶだけだった。
 だと思った。
 最後のページでその手を止め、麻斗は目を見張った。
「……うそだ」
 ぽつりと落とした言葉の波紋が、温まった部屋を急速に冷やしていった。

「ううー、寒いー」
 洗面所は予想以上に冷え切っており、洗った手を擦りながら夏実が戻ってくる。
「ただいまー」
 襖を閉めながらそう言ったが、麻斗は背中を向けたまま「先輩」と声を出す。急に改まった気配に夏実が振り向いたが、彼は依然としてこちらを見ない。
「前も聞いたけど、どうして、ぼくのことが好きなんですか」
 唐突な理解不能の質問に、夏実は彼がふざけているのかと思った。
「なに、いきなり。前も言ったじゃん。好きなのに理由なんかいらないって」
「そんなの、答えになってない。誤魔化さないでください」
「ええー、なんなの、麻斗。夏実さんのこと疑ってる?」
 ならばとおどけた風に返したが、彼は笑うどころか振り返りもしない。その背中は何かを拒絶しているように頑なだ。そこで夏実もようやく異変に気がついた。
「……なに、どうして急にそんなこと言うの」
「それは、答えられないからじゃないんですか」
 突きつけられるような言葉に、夏実は息を呑んだ。彼の意図がわからない。あのことを、彼は知らないはずだ。知りようもないはずなのだ。

「頼まれたのなら、はっきりそう言って欲しかった」

 やっと振り返った彼は、一枚の紙を手にしている。
 それを見て、夏実は思わず「あっ」と声を上げた。
「どうして先輩が、ぼくの父さんと友達でいるのか、やっとわかった」
 ちがう、となんとか夏実は振り絞ったが、そんな言葉が今の彼に届くわけがないことは痛いほどに理解できた。それでも首を横に振る。
「ちがうよ、麻斗。それがなくたって、私は麻斗のこと……」
「二人で、ぼくのこと監視してたんですか。またあんなことしないかって、また死のうとしたりしないかって、見張ってたんですか」
「監視なんて、そんな言い方」
「それなら、心配って言った方がいいんですか。心配だから、ぼくの傍にずっといたんですか。そんなに……そんなに、ぼくのこと、信用ならなかったんですか」
 口調は相手を責めているのに、彼の声は震えていた。怒りや悲しみというよりも、夏実に裏切られたというショックに、彼の顔は引きつっていた。
「先輩は……夏実先輩は、嘘なんてつけない人だと思ってた」
「嘘じゃない! 私が、麻斗のこと好きだっていうのは、嘘なんかじゃないよ!」
 唐突に立ち上がり、彼は左手に握った紙を叩きつけるように畳に放る。勢いの割に、間の抜けた速度でひらひらと一枚の紙が落ちていく。いや、手紙だ。麻斗の父親から、夏実への。
「じゃあどうして黙ってたんですか! 最初っから言ってくれたらよかったのに。ぼくはもう死のうなんて思わないのに。先輩は信じてくれてると思ってたのに……!」
「麻斗、ねえ、ちょっと待ってよ」
 部屋を出ていこうとする彼の服の裾を辛うじて握るが、彼は緩やかな動作でその右手を左手で押さえた。
「まだぼくのことが好きなら、離して」
「離してって……」
「ぼくも、先輩のことは、嫌いになりたくない」
 だから離してという言葉に、夏実の指から力が抜けていった。
 温かな部屋は、あっという間に凍えるほどに冷えていく。砂漠の砂を摘んで零すように、少しずつ、少しずつ積み上げてようやく形になったものは、あっさりと崩れていった。重ねた年月も累積した想いも、一瞬で形を失ってしまった。



 ――麻斗は、ひどく不安定です。

 一命を取り留めて家に帰ってきた彼を心配する父親からの、夏実へ向けたSOSだった。

 ――私一人では、十分な助けになれる自信がありません。

 彼が再び母や妹のいる場所を望んでしまうことに、父親は怯えていた。いくら医師の診察や投薬という手段を利用したとしても、彼にとって身近な者の助けが足りないのではと懸念した。

 ――不躾なお願いですが、夏実ちゃん。あの子のそばにいて、様子を見てあげてはもらえないでしょうか。

 それが、彼の父親から夏実に対する願いだった。そして夏実は、引き受けた。麻斗の近くにいて、一人で戦い続ける彼が生き残る手伝いをすると、約束したのだった。


 それは監視と呼ぶのかもしれない。もう死ぬことなど考えなくなった彼にとって、父と夏実の共謀に対するショックの大きさは、想像することさえできない。事実、この手紙を受け取った半月後に、夏実の初めての告白は行われたのだ。
「違うよ……違うんだよ、麻斗」
 もう泣くことしかできなくなった夏実は、嗚咽の隙間で絞り出す。だけど違うのだ。本当は、手紙なんてなくとも、好きだった。手紙があるから好きなのではない、その気持ちを口に出す勇気を、この手紙に貰っただけだった。何年も前から、ずっと好きだった。彼を好きだと気づいた日から、一日ずつ、どんどん好きになっていった。大好きだ。
 けれど、追いかけられなかった。すれ違った彼の瞳に、涙の膜が張っていたのが見えたから。それほどまでに自分を信じてくれていたのだと痛感したから、夏実はただ独りきり、泣くことしかできなかった。
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