百万回目の大好き

柴野日向

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3章 百万回目の大好き

20-2

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 放課後、初めて麻斗は茜や夏実の教室に向かった。既に茜以外の生徒は帰宅してしまったあとで、呼び出した彼女だけが珍しく不安そうにそこにいた。
「もうみんな帰っちゃったから、そこ使っていいよ」
 そう言われたが、茜が所在無げに立っているから、麻斗も指された席につかず、立ったままでいた。人のいなくなった教室は、やけに寒く冷たく思える。
「ちょっと……ううん、ちょっとじゃないんだけど、頼みたいことがあるんだ」
 そう前置きして、茜は本題を口にする。
「麻斗にね、夏実を助けて欲しいの」
「助けるって……え、ぼくが、夏実先輩を?」
「麻斗、夏実から何か聞いた?」
 唐突な台詞に「何かって」と返すが、一口に「何か」というのも迷ってしまう内容らしい。何から話すかと考えていた彼女は、ようやく口を開いた。
「あのね、あの子、今ひとりぼっちなの。……ううん、あたしや、あっちゃん……他の友達なんだけど、その子達がいるから、ひとりぼっちってわけじゃないんだけど。でもね、夏実のことを気に入らないって子がいて、ひどいことしてくるんだ」
「ひどいって……いじめってことですか」
 にわかには信じられないが、茜は迷った末に頷いた。
「去年の、学祭終わった頃からかな。ほら、あの子、自分の感情を口にできるでしょ。……麻斗には言うべきじゃないけど、気軽に相手に好きだとか言えるじゃない。それが気に入らないんだって」
「そんな頃から……というか、それの何が気に食わないんですか」
「普通はなかなか言えないでしょ、好きだって思ってもさ。それを気軽に言っちゃって、おまけに仲良くやってるから、目に付いたんだと思う。ねえ、馬鹿だよね。そんなの人それぞれなのに、自分たちに勇気がないだけなのに、それが出来る人間を恨むなんて。最低だよ」
 茜は苛立ちを露わに、自分がもたれる机の隅を人差し指でとんとんと叩く。
「夏実、言ってたんだ。伝えたいことは、言えるうちに伝えなきゃって。明日になれば、大好きな誰かはいなくなってるかもしれないんだから、隣にいる間に想いは口にしないとって。だから、麻斗にずっと好き好き言ってたんだよ。夏実はね、良くも悪くも素直なんだ」
 そんな彼女の素直さが気に食わない同級生がいるらしい。しかし、そんな気色など夏実は微塵も周りに見せなかった。
「先生とかには、相談しなかったんですか」
「あたしも勧めたんだけど、大事にしたくないって。もう少しで卒業なんだからって、ずっと隠してたの。先生にも、麻斗や五樹にも、絶対言うなって。でもそうしたら連中、どんどん調子に乗ってさ。……最近、麻斗が学校来なくなったのは、夏実が鬱陶しいからだって。後輩一人の未来潰したんだって、言いふらして。そうしたら、もう夏実は何も言えないでしょ。ひどいよ」
「なんですか、それ。何も知らないくせに。それに、ぼくはその人たちの名前すら知らないのに、勝手にそんなこと」
「そうだよ、勝手だよ。あいつら粘着質なんだ。根も葉もない噂流して、勝ち誇った顔してるんだ」
 茜はまるで、自分のことのように憤っていた。怒りが収まらないのか、奥歯を噛んでじっと床を見つめている。
「……夏実先輩のことで、一つ聞きたいことがあるんです」
 すっかり冷えた教室で、麻斗はずっと気になっていたことを問いかける。それはあの日、なぜ夏実が自分に電話をかけられたのかということ。受験当日の朝に、彼女は一体どこにいたのかという疑問。
 それを訊くと、茜はため息をついて額に片手を当てた。
「それもね、夏実には言うなって言われてるの。でも、言っちゃうね。このままじゃ、あんまりだもん」
 あんまりとは、どういうことか。麻斗が問いかける前に、茜は辛そうに言った。
「どこにいたかは知らないけど、麻斗に電話をかけてた時間、高校には来なかったよ。あの子、本当に馬鹿だよ。間に合わなかったんだから」
「間に合わなかったって、受験、遅刻したってことですか……」
「遅刻で済めばよかったんだけど、電車の遅延でもないし、自己都合の遅刻なんて、認められないよ」
「そんな……。あんなに、行きたいって言ってたのに」
 麻斗は絶句した。夏実は以前から、第一志望の四ノ宮高校に行って、軽音楽部に入りたいと口にしていた。それなのに、試験を受けることすら叶わなかったという。
「麻斗のせいじゃないよ。ていっても、麻斗は自分のせいだって思っちゃうから、絶対言うなって言ったんだろうけど。これはね、全部夏実の決断。責任は夏実にあるんだから」
 これ以上、麻斗に重荷を課さないようにとの夏実の配慮だった。自分の進学よりも、麻斗の傷を塞ぐことを願った彼女の。
「いじめのことも受験のことも、絶対内緒って言われたけど……。このまま卒業して消えるのが一番って笑ってたよ、夏実。立つ鳥跡を濁さずって。だけど、私は納得できなかった。綺麗事だけ並べて、体裁だけつくろって、自分に嘘をついていなくなるなんて、そんなのひどすぎるでしょ。あの子らしくないよ。許せない」
 彼女は両手を強く握り締める。唇を噛んで耐えている顔は、泣き出す直前のように見えた。それでも強がる彼女は、涙をこらえて麻斗を見つめる。
「夏実、言ってたの。自分の将来より、麻斗の現在(いま)の方が大事だって。だから全然後悔なんてないって」
 茜の台詞を頭の中で反芻して、考えて、麻斗は力なく笑った。夏実はあの時、本当に最後の別れにするつもりだったのだ。それに自分は気がつかなかった。会えばまた、いつものように夏実は笑ってくれると思い込んでいた。しつこいほど大好きだと言って、暑苦しいほどに抱きついてくるものだと思っていた。
「夏実先輩は、本当に馬鹿ですね」
 そうすると、茜も笑う。
「そうだよ。ほんっとにね、馬鹿だよね」
「でも、それより馬鹿なのは、ぼくだったんですね」
 自分の未来を顧みないほどに、夏実は自分を好いてくれていた。そのことに、彼女が離れてしまうまで、こうして茜が言ってくれるまで気がつかなかった。これを馬鹿だといわずしてなんというのだろう。
「お似合いだよ」
 二人で顔を見合わせて笑う。氷点下まで冷え込んでいたような空気が、ほんの僅か、気のせい程度でも温まっていく。
「こうして麻斗が何も知らないままっていうのは、あんまりだって思ったから……。助けてって言ったけど、その方法、あたしにもわからない。思えば、助ける手段なんてわかんないよね。ただ知ってて欲しかったんだ。ごめん、麻斗。こんなこと言って」
 いえ、と麻斗は首を振って礼を言った。茜が教えてくれて、本当に良かったと思った。そうでなければ、鈍い自分は最後まで何も知らないままだった。それが一番、残酷だ。
 本当の気持ちを、探らなければならない。自分は一体どうしたいのか。夏実のことをどう思っているのか。今まで流されておざなりにしてきた感情に、今こそ向き合わなければならない。
 あと少し。桜が咲くまで、もう少し。
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