影の消えた夏

柴野日向

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6章 ケガレ

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 夜明け、地面が激しく揺れた。約一か月前に体験したのと同じものだった。ケガレの元に行くには絶好のチャンスだ。夜明けにほんのり染まる空を見て、陽向は思った。
 朝になり家を出ると、壬春が門の前にいた。千宙と祐司と共に坂道を下りながら、彼は念を押すように問いかける。
「本当に行くのか」
「もしケガレの中にみんなの記憶があれば、それも戻せるかもしれない」
「まだ記憶がどうの言ってるのかよ」
 大袈裟にため息をつく小憎らしい態度も、今では懐かしく思える。
「どうせなら、その方が希望があっていいだろ」
「はいはい。ケガレに記憶が溜め込まれてるって説な」
 壬春の銀髪が日に照らされて眩しい。彼はその下の目を細めて、ちらりとこちらを見た。
「そんなんどうでもいいから、おまえは戻って……」
「早いな、おまえら!」
 右手で陽向、左手で壬春の背を平手で叩き、いつの間にか白樫が合流していた。
「水臭えぞ、何の話してたんだ」
「あー、うるせえ」
 半眼で睨みつける壬春の視線に、白樫がガハハと大きな笑い声をあげた。
「陽向、やっぱり怖いって言っても、俺たちゃ全然構わんぞ」
「言わないってば、かっこ悪い」
 大きな手でガシガシと頭を撫でられながら、海鳥に到着する。律が用意してくれた朝食を食べ終え、そろそろ行こうと店を出た。店先には、見知った住民の顔が既に全員分並んでいた。
 並んだ彼らから一歩前に出て凪が言う。
「どうなるかは、俺にもわからない。上手くいくように、願ってる」
 彼が右手を差し出したので、陽向も右手を伸ばした。てっきり握手だけかと思っていたが、凪は握りしめたその手を引き、軽く抱きしめてくれた。どことなく懐かしい思いがするのは、彼が長い間自分を見守っていたからだろうか。こんな時だというのに、心が静かな平穏さで満ちていく。
「……待ってるよ、陽向」
 とんとんと背中を叩き、凪が身体を離した。行ってくると返事をし、陽向はみんなに手を振って道を歩き出した。何度振り返っても、妖たちは大きく手を振ってくれていた。

 まだ朝の九時だが、次第に残暑の陽射しは強くなっていく。陽向と千宙と祐司は、島の中央にそびえる山の中心をめがけて道を上っていた。段々と両脇に木々が繁茂し、陽の光を遮る。木漏れ日がちらちらと地面の上で揺れている。
「その、ケガレってのがいる場所は分かってるのか」
 最後尾の祐司の問いかけに、先頭の陽向は歩きながら返事をする。
「正確には分からない。島の中心……つまり、この山の真ん中に潜んでいるんだって。地震があったんだから、捕食に出てくるはずだ」
 滑りそうな坂で、千宙が転ばないよう手を貸す。その身が強張っていることに気が付き、咄嗟に「戻っていいよ」と言いそうになった。
 しかし千宙の眼差しがこちらを真っ直ぐ捉えるのに、その言葉は飲み込んだ。今更一人で逃げたりしない。彼女の瞳はそう語っていた。
 地面の見えていた道はやがて緑の中に隠れ、獣道さえ怪しくなってきた。事前に渡されていたコンパスを見て方角だけを知りながら、一歩ずつ山を登っていく。最盛期は過ぎたが蝉の声はあちこちから聞こえ、名も知らない鳥の鳴き声が空気を震わせる。
 この足の下に、今もケガレが息づいているのだろうか。じっと身を潜め、一気にとどめを刺す機会を覗っているのか。覚悟はしているが、緊張は抑えられない。
 ちょろちょろと水の流れる場所を見つけ、一度休憩する。小川とも呼べない水辺で一息つき、小ぶりな岩の上で天を見上げた。青い空は木々の緑に覆われ、葉の隙間からやけに遠く見える。
 再び歩き出し、すぐに気が付いた。蝉や鳥の鳴き声が聞こえない。木々のざわめきもない。まるで、山の中で生きる全てのものが、息をひそめて隠れてしまったようだ。
 地面が呼吸をしているのを感じる。この島は、生きている。生と呼ぶべきかわからないが、確かに意思を持っている。
 陽向はコンパスを千宙に手渡した。彼女の右手を両手で包み、しっかりと握らせた。思い詰めた泣きそうな顔に笑いかける。
 途端、轟々と激しい音に包まれた。地面が激しくぐらぐらと揺れ始め、とても立っていられない。陽向は咄嗟に千宙を抱き寄せる。
 地面に膝をついた三人を地鳴りが包む。山が大声を上げている。いや、山ではなく暝島、ケガレが鳴き声を上げている。
 ばらばらと枝葉が零れ落ちてきた。小石が地面の上で踊り、揺れは更に大きくなる。足の下で轟音が響いている。
 そして陽向は、嘗ての感覚に包まれた。

 寂しい。悲しい。苦しい。憎らしい――。

 切ない想いが頭の中、胸の奥、身体中に広がっていく。髪の先から指先まで、全身が悲しみに満ちていく。理不尽に退治された妖怪たちの嘆き。そして、喰われた人たちの無念の慟哭。世から抹消された者たちの、行き場のない凄絶な悲愴。
 身をかきむしりたくなる感情の渦の中、そばにいる千宙と祐司の姿が遠ざかった。
 激しい音が耳をつんざき、足が地面の上を滑る。まるで陽向だけを引きずり込むように、足場が雪崩のように崩れていく。
 轟音の中、それでも自分を呼ぶ千宙の声が聞こえた気がした。必死に手を伸ばす彼女を、懸命に祐司が引き戻している。
 行ってくる。口を動かし、陽向はその言葉だけを残した。
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