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2章 青南高校
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踵を返す翔太の後ろで、勝也と美沙子が玄関からキッチンに入ってくる。
「こいつさあ、見学行ったからってうるさくてさ」美沙子は不満げに、そのくせ愉快そうに笑みを浮かべている。「自分の立場っての、未だに分かってないんだよ」
「高校か」勝也はテーブルに乗った缶の一つを手に取り、振って中身があることを確かめるとそれを飲み干す。「行きゃあええんやないか」
えっと美沙子は声を上げて驚いたが、同じく翔太も驚いて振り向いた。
「勝っちゃん、こいつ絶対当てつけだよ」美沙子は翔太を指さす。「自分のが学歴高いんだって、馬鹿にするつもりだよ」
「そんなことしない」
「うるさい!」
口を挟んだ翔太に美沙子がたちまち怒鳴る。椅子を引いてどっかりと腰掛けた勝也は、「まあ許したれや」と言った。
勝也の台詞は、翔太だけでなく美沙子にとっても意外過ぎるものだった。落ち着かない様子で彼女は勝也の向かいに座る。
「でもこいつに学歴なんか必要ないでしょ」
「ただでさえ親死んどんや、高校ぐらい行かしたってもええやろ」いつも翔太を親殺しとなじる人間の言葉だとは思えない。
「金かて、別に大学行くわけやないやろ。高校ぐらいやったら、そんなかからんのやないか」
「だけどさあ」
不満げな美沙子をよそに、勝也は翔太の方を向いた。その目の淀んだ輝きに、翔太は唾を飲み込んだ。「のう翔太」気軽に言うが、そのギラギラとした何かに立ち尽くすのがやっとだ。
「おまえ、三年経ったら働くんやろ」
その一言で、翔太は全てを理解した。勝也はこれから更に三年間、美沙子に寄生するつもりだ。そして三年後には、自分に。
「大学行きたいとか言わへんよな」
勝也の思い描く未来は、翔太にはぞっとするものだった。重すぎる。美沙子だけでなく、勝也までだなんて。
だが翔太は、黙ったまま小さく頷いた。今はそれよりも大切にしたいものがある。その時間を得られるなら、三年後からの人生を堪えられると思った。
「約束やぞ」勝也の口元はにやにやと笑っている。それは翔太を安心させるためではなく、自分の思い付きに自画自賛しているからに違いない。「破ったら、承知せえへんからな」
乾いた喉で、翔太はなんとか「わかった」と返事をした。
美沙子は、勝也に少なくない金を与えている。その額がいくらかは知らないが、確実に自分にかかる分より高額なことは知っていた。翔太で削減している分を勝也に貢ぎ、それが尽きることをこの男は恐れている。競馬や競輪やパチンコや麻雀でそれを失くすくせに、それより先の未来のことを心配して先手を打つ。なんて嫌な人間なんだろう。
そう思うくせに、この男に今は助けられた。
「決まりや」勝也は自分の膝を叩く。その頃には美沙子も彼の思惑を察し、翔太に「しゃあなしだからな」と吐き捨てた。
「サボりやがったらおまえ、追い出すからな」
「そんなことせえへんやろ。翔太は真面目やからな」
そこまでで二人は彼についての話題を止めた。酒を飲み、やかましく騒ぎ始める。
まるで影のように、翔太はそこを引いて部屋に戻った。
自分はとても馬鹿な選択をしたのかもしれない。布団に俯せると、そんな考えが湧きあがる。三年の楽しみで、一生の苦痛を選んでしまったのかもしれない。
だが、ふつふつと喜びの感情が湧いているのも確かだった。これで自分もみんなと同じ舞台に立てる。頑張れば、凛と同じ高校に行けるかもしれない。
自分の単純さには呆れもするが、嬉しさで心臓が高鳴る。それを抑えるために、凛から借りた本の一冊を手にしてページを繰った。
その本は少し字の大きな児童文学だが、読んだことのないものだった。不時着した飛行機乗りが、不思議な子どもに出会う話。優しい希望に満ちていて、三分の一ほど読み進めた頃、日付が変わっているのに気が付いた。
本を閉じてそれを目にする。裏表紙の下部に「榎本凛」と律儀に名前が書いてある。だが苗字は白いシールの上に書かれていた。きっと彼女は両親と暮らしていた幼い頃からこの本を読んでいて、当時の名前をここに書いたのだ。
一体、彼女の苗字は何だったのだろう。
純然たる興味で、翔太はそのシールに指を置いた。だがすぐさま思い留まる。どれほど仲良くなろうとも勝手に知って良いことと悪いことがある。これはどう考えても「悪いこと」だ。
気にはなるが、そのまま枕元に本を置いた。明日の日中には読み終わる。次に食堂で会うのはいつになるだろうか。その時は本を返して感想を言って、それで受験できることを伝える。必ず彼女は喜んでくれる。
電気を消すと、月明かりのさし込む窓の向こう、遠くで光が流れる。「ほうきぼし」が、今夜も誰かを乗せて走っていくのが見えた。
「こいつさあ、見学行ったからってうるさくてさ」美沙子は不満げに、そのくせ愉快そうに笑みを浮かべている。「自分の立場っての、未だに分かってないんだよ」
「高校か」勝也はテーブルに乗った缶の一つを手に取り、振って中身があることを確かめるとそれを飲み干す。「行きゃあええんやないか」
えっと美沙子は声を上げて驚いたが、同じく翔太も驚いて振り向いた。
「勝っちゃん、こいつ絶対当てつけだよ」美沙子は翔太を指さす。「自分のが学歴高いんだって、馬鹿にするつもりだよ」
「そんなことしない」
「うるさい!」
口を挟んだ翔太に美沙子がたちまち怒鳴る。椅子を引いてどっかりと腰掛けた勝也は、「まあ許したれや」と言った。
勝也の台詞は、翔太だけでなく美沙子にとっても意外過ぎるものだった。落ち着かない様子で彼女は勝也の向かいに座る。
「でもこいつに学歴なんか必要ないでしょ」
「ただでさえ親死んどんや、高校ぐらい行かしたってもええやろ」いつも翔太を親殺しとなじる人間の言葉だとは思えない。
「金かて、別に大学行くわけやないやろ。高校ぐらいやったら、そんなかからんのやないか」
「だけどさあ」
不満げな美沙子をよそに、勝也は翔太の方を向いた。その目の淀んだ輝きに、翔太は唾を飲み込んだ。「のう翔太」気軽に言うが、そのギラギラとした何かに立ち尽くすのがやっとだ。
「おまえ、三年経ったら働くんやろ」
その一言で、翔太は全てを理解した。勝也はこれから更に三年間、美沙子に寄生するつもりだ。そして三年後には、自分に。
「大学行きたいとか言わへんよな」
勝也の思い描く未来は、翔太にはぞっとするものだった。重すぎる。美沙子だけでなく、勝也までだなんて。
だが翔太は、黙ったまま小さく頷いた。今はそれよりも大切にしたいものがある。その時間を得られるなら、三年後からの人生を堪えられると思った。
「約束やぞ」勝也の口元はにやにやと笑っている。それは翔太を安心させるためではなく、自分の思い付きに自画自賛しているからに違いない。「破ったら、承知せえへんからな」
乾いた喉で、翔太はなんとか「わかった」と返事をした。
美沙子は、勝也に少なくない金を与えている。その額がいくらかは知らないが、確実に自分にかかる分より高額なことは知っていた。翔太で削減している分を勝也に貢ぎ、それが尽きることをこの男は恐れている。競馬や競輪やパチンコや麻雀でそれを失くすくせに、それより先の未来のことを心配して先手を打つ。なんて嫌な人間なんだろう。
そう思うくせに、この男に今は助けられた。
「決まりや」勝也は自分の膝を叩く。その頃には美沙子も彼の思惑を察し、翔太に「しゃあなしだからな」と吐き捨てた。
「サボりやがったらおまえ、追い出すからな」
「そんなことせえへんやろ。翔太は真面目やからな」
そこまでで二人は彼についての話題を止めた。酒を飲み、やかましく騒ぎ始める。
まるで影のように、翔太はそこを引いて部屋に戻った。
自分はとても馬鹿な選択をしたのかもしれない。布団に俯せると、そんな考えが湧きあがる。三年の楽しみで、一生の苦痛を選んでしまったのかもしれない。
だが、ふつふつと喜びの感情が湧いているのも確かだった。これで自分もみんなと同じ舞台に立てる。頑張れば、凛と同じ高校に行けるかもしれない。
自分の単純さには呆れもするが、嬉しさで心臓が高鳴る。それを抑えるために、凛から借りた本の一冊を手にしてページを繰った。
その本は少し字の大きな児童文学だが、読んだことのないものだった。不時着した飛行機乗りが、不思議な子どもに出会う話。優しい希望に満ちていて、三分の一ほど読み進めた頃、日付が変わっているのに気が付いた。
本を閉じてそれを目にする。裏表紙の下部に「榎本凛」と律儀に名前が書いてある。だが苗字は白いシールの上に書かれていた。きっと彼女は両親と暮らしていた幼い頃からこの本を読んでいて、当時の名前をここに書いたのだ。
一体、彼女の苗字は何だったのだろう。
純然たる興味で、翔太はそのシールに指を置いた。だがすぐさま思い留まる。どれほど仲良くなろうとも勝手に知って良いことと悪いことがある。これはどう考えても「悪いこと」だ。
気にはなるが、そのまま枕元に本を置いた。明日の日中には読み終わる。次に食堂で会うのはいつになるだろうか。その時は本を返して感想を言って、それで受験できることを伝える。必ず彼女は喜んでくれる。
電気を消すと、月明かりのさし込む窓の向こう、遠くで光が流れる。「ほうきぼし」が、今夜も誰かを乗せて走っていくのが見えた。
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