流星の徒花

柴野日向

文字の大きさ
61 / 80
9章 失くした名前

しおりを挟む
 夜になるのを待ち、翔太は一枚のメモを手に電話台の前に立った。丁寧に書かれている数字の通り、ボタンを押していく。
 三コール目で、彼女は電話に出た。「……翔太?」慌てた声がする。それは翔太にとってひどく懐かしく感じられる。
「うん。今、大丈夫」
「大丈夫だよ」
「ごめん、連絡遅くなって」
「ううん。電話してくれてありがとう」彼女は心底安堵しているようだ。「翔太、どうしたの。ずっと学校休んでるけど、なにかあったの」
「あったよ」翔太は小声で笑う。「あったなんてもんじゃない」
「どうしたの、なにがあったの」
「俺、もういっぱいなんだ。それで疲れたんだよ」意図せずともため息が漏れた。
「いっぱいって、どうしたの。ねえ、教えて」
「幸せだったよ。本当に、楽しかった。全部、凛がいてくれたおかげなんだ」静かな声で、翔太は続ける。「今まで一緒にいてくれて、ありがとう。俺にはもったいない彼女だった」
「翔太、何言ってるの。そんなこと言わないで。私はこれからもずっと翔太のそばにいたい、私、何をしちゃったの」
 切迫した声ですら、彼女のものなら愛おしい。
「凛のせいじゃない。俺たちは、最初から一緒にいるべきじゃなかったんだ」
「嫌だよ。突然どうしたの。おかしいよ、翔太」
「言ったろ、疲れたんだ。もう何も抱えられない。しんどいよ。全部、疲れちゃったんだ……」
「全部って、何が疲れちゃったの。私、そんなに負担になってたの。ねえ、声が変だよ。しっかりして」
 声が変なのは眠たいせいかな。そう思いながら、翔太は目を擦った。電話をするのも億劫なほど、なんだか身体が重たい。思わず欠伸が出てしまう。床に座りたかったが、残念ながらコードが届きそうにないので仕方なく立ったまま口を開く。
「凛が負担なわけないよ。さっき言ったように、俺にはもったいないぐらいなんだ」
「ならどうして、こんなこと言うの」
「凛だって、少しは分かってるだろ」電話の向こうの声が途切れた。「この前、凛のお姉さんって人に聞いたんだ。どうして凛が親と暮らせなくなったのか」
「それは……」
 絶句する彼女があまりに哀れで、今すぐにでも電話を叩き切りたい衝動を抑える。
「俺は今も凛が大好きだ。だけどきっと、俺のことなんか忘れた方がいいと思う」
「やだ……」彼女の声がみるみる湿っていく。「やだよ……忘れるなんて、そんなの嫌……」
「その方が、凛も幸せなんだ」
「そんなわけない。私は、本当に翔太が大好きなんだよ。それにきっと……」翔太の想像通り、凛は一縷の望みにかけていた。「人違いだよ……」囁く声で彼女は言った。
「俺も、そうだったらいいと思ってた」
 彼女が泣き出す前に、翔太は最後の一言を繋げた。
「俺の前の名字、「みなみ」っていうんだ」
 かざしただけで、勝手に力の抜けた手から受話器が落ちた。ガチャリと音を立てて電話が切れる。
 南翔太。もう誰も呼ばなくなった、存在しなくなった名前。凛の父親である日下部雄吾に奪われた、一家の苗字。
 これで、全部終わった。そう思い、翔太はキッチンの床に倒れ込んだ。あとはもういくらでも眠れる。何も気に掛けることはない。
 空っぽが立てる音だけを聞きながら、今度こそ夢も見ないまま眠りについた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

灰かぶりの姉

吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。 「今日からあなたのお父さんと妹だよ」 そう言われたあの日から…。 * * * 『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。 国枝 那月×野口 航平の過去編です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

溺愛彼氏は消防士!?

すずなり。
恋愛
彼氏から突然言われた言葉。 「別れよう。」 その言葉はちゃんと受け取ったけど、飲み込むことができない私は友達を呼び出してやけ酒を飲んだ。 飲み過ぎた帰り、イケメン消防士さんに助けられて・・・新しい恋が始まっていく。 「男ならキスの先をは期待させないとな。」 「俺とこの先・・・してみない?」 「もっと・・・甘い声を聞かせて・・?」 私の身は持つの!? ※お話は全て想像の世界になります。現実世界と何ら関係はありません。 ※コメントや乾燥を受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。

俺と結婚してくれ〜若き御曹司の真実の愛

ラヴ KAZU
恋愛
村藤潤一郎 潤一郎は村藤コーポレーションの社長を就任したばかりの二十五歳。 大学卒業後、海外に留学した。 過去の恋愛にトラウマを抱えていた。 そんな時、気になる女性社員と巡り会う。 八神あやか 村藤コーポレーション社員の四十歳。 過去の恋愛にトラウマを抱えて、男性の言葉を信じられない。 恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。 そんな時、バッグを取られ、怪我をして潤一郎のマンションでお世話になる羽目に...... 八神あやかは元恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。そんな矢先あやかの勤める村藤コーポレーション社長村藤潤一郎と巡り会う。ある日あやかはバッグを取られ、怪我をする。あやかを放っておけない潤一郎は自分のマンションへ誘った。あやかは優しい潤一郎に惹かれて行くが、会社が倒産の危機にあり、合併先のお嬢さんと婚約すると知る。潤一郎はあやかへの愛を貫こうとするが、あやかは潤一郎の前から姿を消すのであった。

課長と私のほのぼの婚

藤谷 郁
恋愛
冬美が結婚したのは十も離れた年上男性。 舘林陽一35歳。 仕事はできるが、ちょっと変わった人と噂される彼は他部署の課長さん。 ひょんなことから交際が始まり、5か月後の秋、気がつけば夫婦になっていた。 ※他サイトにも投稿。 ※一部写真は写真ACさまよりお借りしています。

〜仕事も恋愛もハードモード!?〜 ON/OFF♡オフィスワーカー

i.q
恋愛
切り替えギャップ鬼上司に翻弄されちゃうオフィスラブ☆ 最悪な失恋をした主人公とONとOFFの切り替えが激しい鬼上司のオフィスラブストーリー♡ バリバリのキャリアウーマン街道一直線の爽やか属性女子【川瀬 陸】。そんな陸は突然彼氏から呼び出される。出向いた先には……彼氏と見知らぬ女が!? 酷い失恋をした陸。しかし、同じ職場の鬼課長の【榊】は失恋なんてお構いなし。傷が乾かぬうちに仕事はスーパーハードモード。その上、この鬼課長は————。 数年前に執筆して他サイトに投稿してあったお話(別タイトル。本文軽い修正あり)

19時、駅前~俺様上司の振り回しラブ!?~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
【19時、駅前。片桐】 その日、机の上に貼られていた付箋に戸惑った。 片桐っていうのは隣の課の俺様課長、片桐課長のことでいいんだと思う。 でも私と片桐課長には、同じ営業部にいるってこと以外、なにも接点がない。 なのに、この呼び出しは一体、なんですか……? 笹岡花重 24歳、食品卸会社営業部勤務。 真面目で頑張り屋さん。 嫌と言えない性格。 あとは平凡な女子。 × 片桐樹馬 29歳、食品卸会社勤務。 3課課長兼部長代理 高身長・高学歴・高収入と昔の三高を満たす男。 もちろん、仕事できる。 ただし、俺様。 俺様片桐課長に振り回され、私はどうなっちゃうの……!?

友達婚~5年もあいつに片想い~

日下奈緒
恋愛
求人サイトの作成の仕事をしている梨衣は 同僚の大樹に5年も片想いしている 5年前にした 「お互い30歳になっても独身だったら結婚するか」 梨衣は今30歳 その約束を大樹は覚えているのか

処理中です...