流星の徒花

柴野日向

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10章 約束

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 電話の音で、翔太は目を覚ました。キッチンの硬い床に寝ていたせいで、身体中がぎしぎしと痛む。久々に深く眠れていたのに、叩き起こすのは誰だろう。
 のろのろと起き上がり受話器を手に取るまで、電話はしつこく鳴り続けている。
「はい……」
「おまえ、翔太か?」
 もしもしの言葉もなく、切迫した男の声が向こうから聞こえてきた。
「そうですけど」
「おまえはいい。早く美沙子に代われ」
「えっと……城戸さん、ですか」
 そうだと、電話越しに城戸は言った。「いいから、さっさと代われ」
「今、いません」
「いるんだろ、誤魔化すな!」
 唐突な怒鳴り声に閉口し、翔太は受話器を耳から遠ざける。無理に起こされた挙句に怒鳴りつけられるなんて、迷惑な話だ。
「いないです。俺ひとり」
「おまえ、嘘ついてたら承知しないぞ」
「美沙子さん、そっちにいるんじゃないですか。城戸さんのところに行くって言って、それからずっと帰ってきてないです」
 少し黙り込んだ城戸は、「本当か」と尋ねてくる。「それ、いつの話だ」
 翔太が日付を思い出して答えると、城戸は考え込んでいるのか返事をしなくなった。
「あの、何かあったんですか」
 いい加減翔太が聞くと、男は苛立ちを露わに「あいつ、とんでもない女だった」と呻いた。
「確かにその日、俺の家に来たんだ。これから同棲するはずだったんだ」
「それなら、そっちに……」
「あいつ、俺の金持って逃げやがったんだ!」
 はあ、と翔太は間抜けた声を出した。
「朝になって、一度荷物を取りに帰るって言って出てったんだ。解約の手続きもあるから遅くなるってな。なかなか戻ってこねえから連絡したら、ガスの停止でトラブっただの、翔太を親戚に預けてくるだの言ってたんだ」
 誰を誰に預けるって? そう言いたいのを我慢して、翔太は黙って話を聞く。
「そしたら今朝になって電話にも出なくなりやがった。嫌な予感がして調べたら、俺の通帳も印鑑もあいつが持っていってやがった」
「盗まれたってこと?」
「ああ。あの朝には俺の金持ってとんずらするつもりだったんだ!」
「金って、いくらあったの」
「一千五百万」
 それは大変だ。翔太は完璧な他人事として思った。と同時に、奇妙な感心を覚える。やっぱり彼女は城戸ではなく、勝也とお似合いの人間だったのだ。
「くそっ、ふざけんなよ!」城戸は怒鳴り散らす。
 もちろん、圧倒的に悪いのは美沙子だ。盗んだ本人が何よりも悪い。
 だが城戸の方こそ、そんな大金を持っていることを、どこかでひけらかしでもしたのだろう。そうした不遜は働くのに、悪人を見破る力は持っていなかった。翔太にはいまいち同情の心が湧いてこない。
「翔太、おまえ何とかしろよ。おまえの親戚だろ!」しかもとんでもないことを言い出す。
「なんとかって」
「もし戻らなかったら、おまえが稼ぐか借りるかして返せよ。それが道理ってもんだろ」
「無理だよ」即答する。「知ってると思うけど、俺、バイトして高校行くのがやっとだし。そんな大金貸してくれるとこなんかないよ」しかもクビになったし。そんなことをわざわざ言う必要はないだろう。
「じゃあ他の親戚に頼めよ。大人なら借りれるだろ」
「縁が切れてるんだ。美沙子さん、親戚に嫌われてたから。俺も嫌われてたし、親戚なんてどこにいるかも知らないよ」
「ちくしょう!」城戸が激昂するから、またしても翔太は受話器を耳から遠ざける。これで耳が傷んだらたまらない。
「それより、警察に行った方がいいよ」
「行ってやる。あの女許さねえ!」
 だが、美沙子が城戸の家を離れてから既に日が経っている。今はもう遠くに逃げおおせているだろう。
「早めに行った方がいいと思う」
「おい、おまえやけに冷静だな。あいつの噂が立ったらおまえも立場が悪くなるぞ」一瞬、心配しているのかと思ったが、もちろんそんなはずがなかった。「本当にグルじゃないだろうな」
「そう思うなら来てもいいよ。もう誰もいないから」
「なんなんだ、その余裕。てかなんでおまえまだそこにいるんだ。そこ解約するってのは嘘だったのか」
「捨てられたんだ、俺。家賃払えないし、ここも出てかなきゃいけない」
 数秒、城戸が沈黙する。「それ、マジか」
「うん」
「これからどうすんだよ」
「どうしよう」
「学校は」
「辞めないといけない」
「あの女、マジでクズだったんだな」
 改めて城戸が吐き捨てた。そのクズに傷めつけられた自分たちはなんなんだろうと、翔太は思った。
「美沙子が戻ってきたら連絡しろ。いいな、翔太」
 自分勝手な言葉に翔太は返事をしなかったが、城戸は勝手に肯定だと受け取ったらしい。
「そうじゃなかったら連絡するなよ。俺とおまえは他人なんだからな」絶対に泣きついてくるな。そういう意味の言葉を重ねて、城戸は電話を叩き切った。
 俺はもう、何にも繋がってないんだな。
 受話器を戻し、そう考えるとなんだか不思議な気がした。自分がこの世で一番孤独な人間に思えた。
 人間は皆、生まれる前から母親とへその緒で繋がっている。生まれた後はずっと多くの人と出会っていく。常に誰かと繋がっているはずなのだ。誕生してから息絶えるまで、その繋がりがゼロになる人間がどれほどいるだろう。増えたり減ったりしながらも、皆誰かと繋がっている。
 俺は、ゼロになったんだ。生まれて初めて、全ての繋がりが切れたんだ。翔太はそう思った。果たしてそれは、生きていると言えるのだろうか。誰にも認識されない「生」は、「生きて」いると言えるのか。
 延々とそんなことを考えながら、部屋に戻り布団の上に転がった。「切れて」いるのはある意味楽だなとも思った。誰のことも考えなくていい。後のことも先のことも、知ったことじゃない。だって、気分次第でいつでも終わらせることが出来るんだから。何も怖くはない。
 今が何時だろうが関係ないから、時計を伏せて目を閉じた。窓からそよぐ風が、やけに冷たかった。
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